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2017年9月14日更新

[彩職賢美]沖縄キリスト教学院大学准教授の新垣友子さん|しまくとぅば復興を

しまくとぅばが沖縄の人の母語となり、親から子へ継承される。そんな理想を追い求め、家庭でのしまくとぅば復活を目指す新垣友子さん。根底にあるのは後悔の念。104年の生涯をしまくとぅばだけで生きた祖母と会話ができなかった。「うやふぁーふじが使ってきた言葉は英知がこもっていて、お金で買えない『宝物』です」ときっぱり。

沖縄キリスト教学院大学准教授 新垣友子さん|しまくとぅば復興を
 

うやふぁーふじの言葉は宝

沖縄キリスト教学院大学准教授
新垣友子 
さん

「しまくとぅばの日」編

しまくとぅば(沖縄の島々、地域で使われてきた言葉)は、うやふぁーふじ(先祖)が脈々と受け継いできた貴重な文化だ。沖縄では本土復帰を前に、標準語励行運動が起きた。学校でしまくとぅばを使ったら「方言札」を首からぶら下げるという罰まであった。次に使う人が出るまで、方言札はついて回る。しまくとぅばは聞けるが話せない人が多いのは、方言札が一枚かんでいるのかもしれない。

新垣さんも、聞けるが話せない世代の一人だ。両親は、しまくとぅばの中のすいくとぅば(首里言葉)の話者。すいくとぅばには士族と庶民の言葉があるが、両親が話すのは士族の方。夫婦の会話はしまくとぅばで、親子の会話は日本語の環境で新垣さんは育った。本土復帰後、沖縄の多くの家庭がほぼ同じだった。

現在、両親は近所に住んで、母が毎日学童で小学校1年生の娘を迎えてくれる。母は孫としまくとぅばで会話。新垣さんも母と一緒の時は努めてしまくとぅばを使う。しまくとぅばが流ちょうな父があまり使ってくれないので今、新垣家ではおじいちゃんをいかに巻き込むかのプロジェクトが進行中という。

祖母と孫が話せないというのは「異常事態」と位置付ける。「なぜそんな状況が作られたか。歴史をひもとけば分かる。若い人たちにはその歴史を教える必要がある」と危機感を募らせる。博士論文は「首里言葉における琉球諸語の証拠性について」だ。多くの国の研究者に引用してもらえるように、あえて英文で書いた。言語学の研究者として、消滅の危機に直面している言葉を多くの研究者に知ってもらいたい思いは強い。

しまくとぅばを話せるようにするにはどうすればいいか、を模索しているときに、しまくとぅばの特性は、証拠性にあると気付いたという。伝聞、推測があちこちに出る。つまり、話し手は、聞いた話として言語化しているのだ。例えば、「彼は頭が痛い」をしまくとぅばで言うと、「あれー ちぶる やむんでぃろ」となる。直訳すると、「あれは頭が痛いってよ」と伝聞の形式になる。「あれー ちぶる やむん」と断定調にはならないのだ。会話の中で、実際に見たなどの証拠がなければ「ゆみが夕ばん にちょーる(嫁が夕飯煮ている)」とはならず、「ゆみが夕ばん にちょーるはじ(煮ているはず)」とか「にちょーんてー」などと、「そうじゃないかなー」と、過去そうだったという証拠を基に推測する表現が随所に出てくるというのだ。

留学先のスコットランドではゲール語が消滅の危機にひんし、復興のためのさまざまな取り組みがなされていたという。「しまくとぅばは、話者が健在なので、まだ間に合う」と悲観はしていない。ただ、しまくとぅばも今のまま放置してはやがて消滅してしまう。

現に、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が2009年に発表した消滅の危機にある言語に日本では、致命的なアイヌ語の次に琉球諸語6言語中、八重山、与那国語が深刻。そして奄美、国頭、沖縄、宮古語もすべて危機言語だ。

言語は使用する場がなければ継承されない。「場を用意しなければ」。新垣さんのしまくとぅば復興のための取り組みは続く。


祖母のおかげで単語が豊富
祖母と縁側で語り合う娘(中央)は、幼いころから祖父母としまくとぅばで話すため、単語をかなり習得している。「ひーじゃー(ヤギ)」「やーるー(ヤモリ)」「ひー(屁)」と多彩だ。
新垣さんは聞くことはできるが話すことができない世代こそが、しまくとぅば復興のカギを握ると考えている。「話せなくても聞ける」と意識を変えて、「祖父母と孫の橋渡しを担ってほしい」と願う。そうすることで「話者数は激増する」と信じている。


しまくとぅば復興に向けて
言葉は、話す人がいなくなると消滅してしまう。しまくとぅばは幸い、第一話者として親、祖父母世代が健在だ。もっと活用して地域社会の中で、例えば英語カフェのように「しまくとぅばカフェ」を開いて、生きた言葉を学ぶ機会はつくれないものか。
しまくとぅばは地域差が大きいだけに、地域の先輩たる年配者が担い手になると、伝統文化の継承にもつながる。新垣さんは講演会をはじめさまざまな機会をとらえて、しまくとぅば復興のために汗を流す。写真は2016年10月、沖縄キリスト教学院大学で。



那覇市首里に住む高齢者の家を日々訪ね、聞き取った言葉から選んだ例文が満載の、博士論文を収めた本の表紙(写真左)と内容。身近な会話が数多く紹介され、分析されている。



新垣さんのハッピーの種
Q.趣味や習い事はありますか?
中国武術をやって10年。出産もあってまるまるではない。上の子がいじめられないよう体力をつけようと始めた。4月から娘と2人で通っているが、早くも抜かれそう。
やっている時間は、無になれる。剣も使うなど、新しいことにも挑戦する。できなかったことができるようになる達成感がある。教える側が習う側になるので、習う側の気持ちが分かる。いい仲間にも出会えた。


沖縄キリスト教学院大学准教授の新垣友子さん|彩職賢美
PROFILE
新垣友子(あらかき・ともこ)
1970年嘉手納町生まれ、11歳で浦添市に。沖縄キリスト教短期大学、桜美林大学、獨協大学で英語や言語学を学び、うちなーぐちの研究を始める。28歳の時、1歳半の息子を連れ、スコットランドに家族で留学。その後エディンバラ大学で言語学の博士号取得。現在は沖縄キリスト教学院大学で英語や言語学を教えながら、しまくとぅば復興に携わる。2人の子の母。本紙「宝言葉しまくとぅば」の執筆者。



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撮影/比嘉秀明・編集/上間昭一
『週刊ほーむぷらざ』彩職賢美<1269>
第1574号 2017年9月14日掲載

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