彩職賢美
2014年12月11日更新
[彩職賢美]アーティスト・起業家 Awichさん|沖縄の価値を世界へ
沖縄の価値を世界へ知らせたい―描く未来図はスケールが大きい。ウチナーグチと英語を自在に操る語学力と知性、リズム感を武器に、メッセージ性の高いリリック(詩)で沖縄のアイデンティティーを表現する女性ラッパー、Awichさん。自身の表現活動にとどまらず、企業やアーティストのブランディングを手掛ける起業家としても活躍の場を広げている。
経験すべてを自分の力に
沖縄のアイデンティティー深め価値を創造
アーティスト、起業家
Awichさん
「アイデンティティーに誇りを持つことで、自分の価値や地域の価値が高まり、ものづくりや経済活性化につながる。その基盤をつくりたい」と、マーケティング会社「CIPHER CITYH(サイファー シティ)」を立ち上げた。ファッションブランド「YOKANG(ヨーカン)」やアーティスト、大城英天さんらの海外プロモート、アーティストの活動をつなぐイベントの企画等を中心に、沖縄の人、アートなど地域資源の価値を高め、世界に広げる活動を展開している。
企業のブランド価値を高める提案力が強み。5年の海外留学で得たマーケティングのノウハウ、音楽活動でのクリエイティブな発想力が持ち味だ。「競争が激しい海外市場で印象を残すには、ユニークさがあり、明瞭で分かりやすく情報を伝えることが不可欠」。そのために最も気を配るのが、「企業の根底にあるブランド・アイデンティティーをしっかりと定義、強化すること」という。
音楽活動で得た人脈を生かした宣伝力も彼女ならでは。米国のファッション誌「VOGUE」の取材でYOKANGの取り組みに触れ、県産ファッションブランドを印象付けた。
「沖縄には世界に通用する独自の地域資源がある。その資源を魅せる場、仕掛けをつくり、憧れや誇りを見い出せる象徴的な人(象徴資源)を増やしていきたい。そこから地域資源の価値を高め、経済循環につなげていくことが目標」
2014年1月、NYで開かれた大城英天さんの個展で、レセプション・ライブを開催。沖縄からのさまざまなアーティストらとコラボした様子=CIPHER CITY写真提供。
9歳から詩を書き続け、14歳で出合ったラップを通し、自身の根っこにあることを表現したのが原点。「Tupac(ツーバック)のラップを聞いたときは、体中の血が湧いた。ラップは米国の抑圧された若者たちが、自分たちのアイデンティティーを深く掘り下げ生まれた表現。社会を変えるエネルギーだと感じた」。
自らのラップを録音し、17歳でクラブのラップバトルに参加、19歳でCDもリリースした。ウチナーグチを織り交ぜた社会性のあるリリックで、県内外から注目される存在になった。
音楽活動にのめり込みながらも、高校卒業後は「沖縄の音楽シーンを広めるためのビジネスを学びたい」と米国に留学。音楽活動と大学生活を両立させながら、マーケティングと起業学の学士号を取得した。
一方、在学中に結婚、娘を出産するなど女性として大きな変化も。めまぐるしい日々の中で、社会の格差も目の当たりにした。「夫は米国のストリート育ちで文化も価値観も違う。次第に関係がギクシャクしてきてけんかも絶えなかった」。
卒業後、日本で家族生活をやり直そうと就職先を決めた矢先、夫が事件に巻き込まれて亡くなった。「夫の死で気持ちが大きく変わった。人生は短い。自分の根っこにあるものを育てる会社をつくろうと決めた」。
原動力は娘の存在と、戦後何もない時代を生き抜いた沖縄の先人から受け継いだ精神。「やったことは何でも自分のものにしたい、欲張りなんです。いろいろな経験を経て、自分が存在する意義が分かって肩の力を抜いて表現できるようになった。これからも挑戦を続けたい」。力強いまなざしにその思いが宿る。
Awichさんのハッピーの種
Q.出産したことで変化は?
「無償の愛」を知った。人は好きな相手との関係でも、傷つくのが嫌だったり、愛情を返してもらえないかと思うことがあると思うけど、そういったことに関係なく、娘のことは大好きって言える。娘は生まれてすぐ私の靴下をかんでたんですが、成長してからも握力がすごくてつかんだものは離さない。私の子だなって思う(笑)。自分が積み重ねて得た環境は娘につなげ、一族として進化していければと思う。
Q.いつから沖縄を意識しました?
ラップを始める前から。学校で沖縄の歴史や文化について調べたことを発表する授業があったんですが、それがとても楽しかった。ラップをやり始めてから、より自分のアイデンティティーや、さまざまなことを沖縄の社会とリンクしながら考えるようになりました。たとえばラップの精神性やパワーは、沖縄の苦しみや悲しみを描く沖縄民謡にも通じると思う。
PROFILE
Awich エーウィッチ(本名 浦崎亜希子)1986年、那覇市出身。学生時代から女性ラッパーのはしりとして活躍。高校卒業後、米インディアナポリス大へ。2007年、県産映画「琉球カウボーイ、よろしくございます」の主題歌「サルー」をリリース。11年にマーケティングと起業学の学士号取得後、夫が他界したことで娘と帰沖。翌年「CIPHER CITY」設立。
[今までの彩職賢美 一覧]
撮影/比嘉秀明・編集/岸本貴子
『週刊ほーむぷらざ』彩職賢美<1150>
第1431号 2014年12月11日掲載