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2015年8月6日更新

[彩職賢美]国指定重要無形文化財「琉球舞踊」保持者 大城政子さん|妥協せず歩み 琉舞一筋74年

父が三線奏者、義母が箏の指導者という芸能一家に育ち、戦前から琉球舞踊一筋に歩み続けてきた大城政子さん(86)。芸歴74年、妥協を許さず芸を追及。「踊りの感覚は師匠を見たり、自分の踊る姿を鏡で見て自分なりに表現力を磨くもの。その『歩み』が大事」と繰り返す。「長年続けられたのは好きだから」と話し、現在は地域で指導し琉舞の裾野を広げている。

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舞の心説き芸の裾野広げ

心に響く踊りを伝える
琉球舞踊保存会相談役
国指定重要無形文化財「琉球舞踊」保持者

大城 政子さん


「踊りは形通りに動くことだけでなく、踊る人の感情のような目に見えない『無』の部分が表現された時に優美さや軽快さが伝わる」と大城さん。「同じ演目を踊っても違う物が伝わるのがおもしろい。全く同じ踊りには出合えない『一期一会』だ」とも。

指導法を尋ねると、「踊りの感覚は師匠を見たり、自分の踊る姿を鏡で見て、自分なりに表現力を磨くもの」。レベルを保つにはひたすら稽古をして、体が自然と動くように体得しないといけないという。

「舞台でうまく見せようとするとかえってうまくいかない事が多い。誰かと比べてもっとうまく踊ろうといった気持ちではなく、稽古で得たことを出し切ること。踊りは『歩み』が大事」と繰り返す。  さらに、精神や技はもちろん、内面も鍛えないと全力を出し切れないという。「『これで完璧だ』、と思うとそのおごりが舞台に出てしまい、見ている側の心に伝わらない」と、謙虚な気持ちの大切さを説く。



週に1度、琉舞サークルでメンバーと一緒になって踊っている大城さん(手前)。踊りの最中は常に自分の手足の動きを確認。真剣そのものだ=那覇市中央公民館


大城さんの家族は父が三線、義母が箏をやっていた。そんな環境から芸の道へ。7歳の頃、義母で琉球箏曲保存会元会長の故・亀谷ウト氏から筝を習ったのが芸ごとの始まり。「箏も良かったのですが、きれいな着物を着て踊りたくて」と踊りを始めたのは1941年、12歳のこと。

男踊りを希望し、名優玉城盛重氏に師事。「かぎやで風」を中心に基礎を3年間学んだ。そこで玉城氏に言われたのが「できる子だから続けなさい」との一言。その言葉が、踊りを続ける励みになった。

45年、戦火が激しくなったため東京へ行き、沖縄に戻ったのは8年後の53年。そんなある日、女踊りの名優比嘉清子氏の公演を鑑賞し「また踊りたい」と比嘉氏の元へ向かい踊りを披露。すると「『柳』から教えよう」と、入門を許された。それが、後に自らの代表作となる「柳」との出合いでもあった。

それからは、当時、目標だった沖縄タイムス新人芸能祭ベストテンの受賞を目指し毎日、一心不乱に稽古に励んだ。自分に厳しく妥協を許さない姿勢はその時から培われてきた。

コンテストでは、動きの強さとしなやかさが魅力の「柳」を踊り、念願のベストテンを受賞。「踊ることが好きで、楽しかった」と回想する。妊娠中にもかかわらず、破水するまで踊っていたことも。その時、生まれたのが娘の一乃さんだ。

68年には「寿乃会大城政子琉舞道場」を開設。舞踊家の育成にも力を注ぎ、後を継ぐ一乃さんをはじめ、多くの弟子を舞踊界の一線へ送り出してきた。2009年には、国指定重要無形文化財「琉球舞踊」の保持者に。 現在は気軽に琉舞を楽しんでもらい裾野を広げようと、地域のサークルで指導。「夢は100歳まで踊りを続け、最初に習った『かぎやで風』を踊ること」と笑う。琉舞を多くの人に伝えたいとの思いを胸に歩んでいる。


華麗な舞を披露する大城さん=沖縄タイムス社「大城政子顕彰公演 花は紅、人は情け」より

 

大城さんのハッピーの種

Q.踊りが上達するために気を付けておきたいことは?

とにかく誰かに話します。話すことでアドバイスがもらえたりするし、自分自身の整理も付きますしね。以前はパーッと飲みに行っていました。でも二日酔いで疲れると余計に落ち込むので、最近は、できないことで悔しい思いをした時は、ひたすら英単語を書いたり、本を読んだりとモーレツに勉強します。意外にストイックな一面もあるんですよ(笑)。
 

Q.イオンスタイルライカム内の、お気に入りスポットは?

私がよく弟子に伝えていたことは、「私と会った時だけが稽古と思っているかもしれないけど、それだけでは絶対にうまくならない」ということ。 例えば、1時間習ったら、自分でも2時間以上、考えながら踊ってみること。それは、娘にも口酸っぱく言っていました。それと稽古というのは、手を動かすことだけではなく、手の動きに込める力の強弱などを自分でしっかり体得すること。言葉で説明できない感覚が裏にあるので、とにかく多くの踊りを見て覚え、自分なりの踊りにしていくことが大切です。
 

Q.創作舞踊の振り付けはどうやって作っていたのですか?

創作舞踊の振り付けを作るときは、娘とマンツーマンで行っていました。振り付けはその時々で浮かぶ場合が多く、一気に仕上げていく感じです。「視線をもう少し高く」「あと5ミリ腕を内側に」などと実際に娘に指示し、動いてもらいながら形にしていきました。娘もよくついてきてくれたと思います。


PROFILE
大城政子(おおしろ・まさこ)1929年生まれ、越来村(現沖縄市)出身。1941年、玉城盛重に師事、琉舞を始める。1956年、沖縄タイムス「新人芸能祭ベストテン」を「柳」で受賞。同受賞を皮切りに、数々の賞に輝く。1968年、寿乃会大城政子琉舞道場開設。1996年、沖縄県指定無形文化財沖縄伝統舞踊保持者認定ほか。現在、那覇市中央公民館で琉舞サークルの踊りを指導している。


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撮影/比嘉秀明・編集/安里則哉
『週刊ほーむぷらざ』彩職賢美<1179>
第1464号 2015年8月6日掲載

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安里則哉

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日々、課題ばかりですが、取材ではできる限り、対象者の人間性が引き出せたらと思い、仕事に努めています。食べることが大好き。そのためダイエットにも力を入れたところですが、いまだ実現せず(笑)。

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