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2015年12月24日更新

[彩職賢美]臨床検査技師の知念邦さん|感染症撲滅目指し臨床検査に尽力

戦後の混乱期に看護師として働いている中、看護雑誌で臨床検査技師に興味を持ち、資格を取得。当時、女性としては数少ない臨床検査技師として医療現場で働いた知念邦さん(82)。定年後は経験を生かし、JICAのシニア海外ボランティアとして沖縄から初の海外へ。ソロモンやサモアなどで医療支援を行った。常に向上心を持ち、行動する女性だ。


 

経験生かし海外で医療支援

臨床検査技師
沖縄県JICA帰国専門家連絡会員

知念邦さん


「開発途上国ではその国に応じた検査技術が求められている。これまでのノウハウと経験を生かしたかった。特にサモアでは2年間だったが、多彩な経験をした」と目を細める。
感染症の撲滅などの支援に挑んだ知念さんは、サモアでは保健省に配属。「住民の血液中にフィラリア原虫がいないか、村を巡回して集団採血をしました」と説明。多忙な毎日だったが、家事は同伴した夫・清郎さんが協力してくれた。
「ボランティアは教えに来たという態度ではいけない。仕事では勉強しなければいけないことが多いけど、またそれが楽しい。常に問題意識を持っていないと何も見えてこないですね」ときっぱり。
仕事で思ったことは、日本の医療がいかに恵まれているかということ。検査に必要な蒸留水が不足すると、雨水を沸騰させ使ったり、医療用容器の代用としてコーヒーの空き瓶を使ったこともあった。
「インフラ整備が追いついてなく備品も十分ではなかったが、常に代用できるものは何かと考えるのが楽しかった」と笑顔。ほかにもパラグアイやカンボジアなどにも足を運び医療事業に携わった。


1949年、戦後の混乱時に奨学金の獲得を目指し、辺土名高校から越来村(現沖縄市)の看護婦学校に通った知念さん。同学校を卒業後、沖縄中央病院で伝染病棟勤務に。「当時、病棟の大半は日本脳炎患者。夜勤は5、6本の体温計を手に対応し、睡魔との闘いでもあった」と話す。そんなある日、看護学雑誌に臨床検査技師養成の記事が目に入った。その瞬間「これだ」と転職を決意した。
検査技師を目指し、1955年に上京。病院で働きながら、検査技師養成校受験に備えた。1957年、念願かない東京文化医学技術学校に合格。さらに勉学に励み、検査技師の資格を取得したのは27歳のころ。
その後は琉球政府の招聘があり帰沖し、1959年、新設の琉球政府立那覇病院に就職。1963年に結婚した。その後は、定年まで民間の病院で働いた。退職後は中国へ。というのも、清郎さんは戦前、満州電電で働いていた縁から中国の大学に在籍していたからだ。その大学に短期語学留学した知念さん。「多彩な人と触れる中、途上国では感染症やエイズなどの病気がまん延している事実を知った」と話す。
帰国後は派遣を前提にJICAに登録。最初は短期調査員としてソロモンへ。県内初のシニア海外ボランティアとしての派遣だった。自分の経験を生かし国際協力という新たな人生をスタートさせ、同ボランティアの定年まで働いた。
現在は、通信講座を受けながらエッセーを執筆するための勉強中。さらに、これまでの医療現場で得た知識をまとめるため、パソコンで資料を編集している。「私は何かしてないと落ち着かない性格。興味のあるものは挑戦したい。人生毎日が勉強」と語る。その向上心は尽きない。



サモアでは、現地のスタッフに医療の技術指導を行った知念さん。顕微鏡を用いて住民の血液を採取しフィラリアの検査も行った=本人提供



パラグアイで医療スタッフに技術指導をする知念さん=右から3人目


ソロモンで現地の子どもたちと会話を楽しむ知念さん

 

知念さんのハッピーの種

Q.ストレス解消法は?

ストレス発散は本を読むこと。ボーっとのんびり過ごす時間もいいですが、常に時間がもったいないという気持ちが強く落ち着かないタイプ。 日課としては、朝5時30分に起き、6時過ぎまで本を読みます。その後、家事をしたり資料作りでパソコンを触ったり、エッセー作りに励んでいると一日が終わる感じですね。
 

Q.常に心がけていることは?

自分のやりたいことなどの目標を持つことが大切だと思います。それが、生きがいにつながるはず。
臨床検査技師はもともとエンジニアなので、私たちは細かい電気のことを考えたり、機械的なことを分からないといけないため多彩な分野の勉強をしなければいけなかった。
講習では、一週間の間、日本語を使ってはいけないといった訓練も受け、大変なこともありましたが、楽しかったという印象が強い。仕事に集中できたのはもちろん、好きなことを継続できるのも協力的だった夫のおかげ。残念ながら夫は10年前に先立ちましたが、夫がいたら「したいように生きなさい」と言うと思う。



PROFILE
知念邦(ちねん・くに)1933年、国頭村生まれ。52年、沖縄中央病院看護婦学校卒業。59年、東京文化医学技術学校卒業。同年、琉球政府立那覇病院へ就職。65年から91年まで民間病院に勤務。定年後は、JICAのシニア海外ボランティアとして、ソロモンやサモア、パラグアイなどで医療協力事業に参加。現在は趣味のエッセー執筆に励んでいる。



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撮影/比嘉秀明・編集/安里則哉
『週刊ほーむぷらざ』彩職賢美<1198>
第1484号 2015年12月24日掲載

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安里則哉

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日々、課題ばかりですが、取材ではできる限り、対象者の人間性が引き出せたらと思い、仕事に努めています。食べることが大好き。そのためダイエットにも力を入れたところですが、いまだ実現せず(笑)。

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