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2016年8月25日更新

[彩職賢美]沖縄子どもの貧困解消ネットワーク共同代表 山内優子さん|貧困問題ない社会を

元県庁職員で福祉の現場で30年以上、子どもや女性に関わってきた山内優子さん(69)。虐待や子どもの貧困など、当事者に代わり声を上げ、対策を実現させてきた。退職後も子どもの貧困対策を国や県に訴え、予算化に結びつけた。「大事なのは前例や予算ではなく、目の前の人が幸せになるにはどうしたらいいか」。穏やかな口調の中に、強い意志がのぞく。

当事者に代わり声上げる

沖縄子どもの貧困解消ネットワーク共同代表・沖縄大学非常勤講師
山内優子さん


元県庁職員で福祉の現場で30年以上、子どもや女性に関わってきた山内優子さん(69)。虐待や子どもの貧困など、当事者に代わり声を上げ、対策を実現させてきた。退職後も子どもの貧困対策を国や県に訴え、予算化に結びつけた。「大事なのは前例や予算ではなく、目の前の人が幸せになるにはどうしたらいいか」。穏やかな口調の中に、強い意志がのぞく。


児童相談所で心理判定員をしていた山内さんは1982年、虐待された6歳の少年に出会う。頭に傷痕がたくさんあり、洗濯機に入れて回されることもあったという。両親はアルコール中毒だった。
「自分にも同じ年の子どもがいて、強い衝撃を受けた。あるとき、その子が隣にいる子を『俺は酔っ払ったぞ』と言って殴ったんです。父親に同じことをされていたのでしょう」
当時、児童虐待は一部の特殊なケースと捉えられ、社会問題化していなかった。山内さんは「埋もれさせてはいけない」と、県内で初めて児童相談所で受けた虐待の事例を調査。86年に発表し、実態を明らかにした。アイロンを押し付けられたり、布団で巻かれてほうきでたたかれたり、多くのケースがあり、新聞にも取り上げられた。調査の際に家庭環境を調べ、「虐待の背景には貧困がある」と知る。その後、98年に実施した県のひとり親世帯調査項目に、初めて離婚原因を盛り込んだ。そこでも一番多かったのは、経済問題だった。
「貧困と孤立化が問題を深刻にする。沖縄の子どもの貧困率は全国の2倍。沖縄戦や米軍統治下の27年の空白により、児童福祉法や施設の整備が本土より遅れたこと、基地問題の陰に隠れていたことが大きい」
児童相談所と婦人相談所に交互に勤務し、「子どもを幸せにするには、親を幸せにすること」という思いを強くする。「夜働く女性が、安心して子どもを預けられるように」、と県内に無かった認可保育園の夜間保育事業に奔走。虐待された子どもを預かる「一時保護所」や、母子が生活できる「母子生活支援施設」など、自ら声を上げにくい当事者に代わって声を上げ、実現につなげてきた。


虐待された子どもを救うには、一瞬の判断が命に関わる。現場は、緊迫した日々が続いた。それでも、「辞めたいと思ったことはない」。
パワーの源は、関わってきた人たちだという。虐待を受けた子ども、少年院の少年たち、シングルマザー、障がい者。一人ひとりに、真摯に向き合ってきた。「誠心誠意接すると、人は変わる」と確信を持つ。
中でも印象深いのは、1989年に相談所で出会った女性だ。10代で出産し、その後、定時制高校、大学へ進学。福祉の仕事をしながら一人で子どもを育て上げ、新たな伴侶に出会い結婚した。折々に相談に乗り、式に出席した山内さんは、彼女からサプライズで感謝の手紙をもらった。「本当に幸せそうで、人生捨てたもんじゃないなと思えた」と顔をほころばせる。
退職後も、子どもの貧困問題に尽力。2011年に11団体に呼びかけて「沖縄の子どもを貧困から守る連絡協議会」を立ち上げ、国や県に要請。12年の改正沖縄振興特別措置法の中に子ども・若者のための条文が追加され、予算化も決まった。「ようやく一歩を踏み出せたとほっとした」
沖縄大学で教べんを取る傍ら、広く講演を行う。「貧困の多くは連鎖していて、親個人の問題ではない。子どもたちが環境に左右されず成長していけるよう、社会全体で育てられたら」と思い描く。
 


年に数十回「子どもと貧困」をテーマに講演をしている山内さん。「こどもと女性の貧困を断ち切るために」と題して、沖縄市の社会福祉協議会で7月8日講演をした=写真。「沖縄の子どもの貧困はひとり親世帯が多い。母子・父子のための生活支援施策や、夜間保育の充実など、ひとり親世帯を支援することが必要」と、熱を込めて話した。

虐待の実態について発表した際の新聞記事。1986年3月24日付の沖縄タイムス。
虐待の実態について発表した際の新聞記事。1986年3月24日付の沖縄タイムス。
 

ロールモデルは母親

山内さんの仕事に影響を与えたのは、亡くなった母親だ=写真右。地域で、知的障がい者や子育て中の母親に声をかけて、励ましていた。「どんな人にも分け隔てなく接し、他人の悪口を言うのを聞いたことがない。言葉では何も言われなかったけれど、母を見て学んだ部分は大きい。子どもたちを、愛情深く育ててくれました」。


 

山内さんのハッピーの種児

Q.好きなアーティストは?

音楽が大好きで、子どものころは音楽の先生になりたかったくらい。今、よく聴いているのがサラブライトマンのCDです=写真。ラジオで耳にして以来のファンで、聴いているとパワーをもらえます。


 




PROFILE
山内優子(やまうち・ゆうこ)1947年石垣市生まれ。70年、琉球大学教育学部心理学科を卒業後、沖縄県庁に入り、児童相談所や婦人相談所など福祉の現場で30年勤務。児童家庭課長、中央児童相談所所長、福祉事務所長、コザ児童相談所長を歴任し、2008年に退職。同年から沖縄大学で児童福祉論を担当。16年に沖縄タイムス社が創設した「沖縄こども未来プロジェクト」の運営委員会委員長を務める。沖縄子どもの貧困解消ネットワーク共同代表



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撮影/比嘉秀明
編集/栄野川里奈子
『週刊ほーむぷらざ』彩職賢美<1225>
第1519号 2016年8月25日掲載

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栄野川里奈子

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編集者
おいしいものに目がないガチマヤー(くいしんぼう)。2016年に国際中医薬膳師の資格をとりました。おいしく健康に!が日々のテーマ。

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