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2023年10月5日更新

助け合い、生きて100歳|比嘉春子さん(中城村)[人生ブラボー!④]

仕事の一線を退いた後も、年を重ねても、人生を生き生きと送る人たちを紹介します。今月は中城村の比嘉春子さん。現在満100歳、周囲からは「理想の先輩」と慕われています。

100歳を祝い、岸田首相から贈られた賞状を手にする比嘉春子さん(前列中央)。子孫に囲まれ笑顔を見せる=中城村の自宅
比嘉春子さん(中城村)
100歳を祝い、岸田首相から贈られた賞状を手にする比嘉春子さん(前列中央)。子孫に囲まれ笑顔を見せる=中城村の自宅


 子孫や友人との交流楽しむ 

健康長寿の理由は、「よく食べて、よく寝て、クヨクヨしないこと」。好き嫌いなく何でも食べ、夜は9時に寝て、5時に起床。週3日はデイサービスに通う。「デイサービスの友達といろんな話をしたり、体操したり、一緒に過ごすのが楽しい」とにっこり。

長男の光雄さん(80)家族と4人暮らしだが、たくさんの子孫が春子さんの元に集まるので、いつもにぎやかだ。「おばあちゃんがデイサービスから帰ってくると、ひ孫たちが一目散に走っていくんです。おばあちゃんのつえを持つ子、手を引く子、カバンを持つ子と担当がいる」と光雄さんが目を細める。

春子さんの6人の子のうち、4人は沖縄で、2人はアルゼンチンで暮らす。孫は18人、ひ孫は21人以上。玄孫(やしゃご)もいるが「増え過ぎて数えきれない」と笑う春子さん。海外の子孫と「文通するのが楽しみ」と満面の笑みを見せる。

「おばあちゃんと話すのが楽しい」と笑う、ひ孫の莉杏(りりあ)さん(9)=中央=と莉朱那(りずな)さん(5)。莉杏さんは手作りした座椅子を手に「おばあちゃんから教えてもらった」とうれしそう
「おばあちゃんと話すのが楽しい」と笑う、ひ孫の莉杏(りりあ)さん(9)=中央=と莉朱那(りずな)さん(5)。莉杏さんは手作りした座椅子を手に「おばあちゃんから教えてもらった」とうれしそう


家族の誇り

101年前の大正11年(1922年)、春子さんはアルゼンチンで生まれた。父は中城村伊舎堂からブラジルへ移民した最初の人で、後にアルゼンチンへ渡った。5歳のとき、伊舎堂の祖母が他界。家族で沖縄へ戻った。

10代後半にかけ、戦争の足音が大きくなっていった。数え20歳のとき、隣に住む5歳上の亀光さんと結婚。長男が生後1歳を過ぎたころ、夫に2度目の召集令状が届いた。戦時中は子どもを連れ、名護の嘉陽に疎開した。「10家族くらい一緒に、4~5日かけて歩いて行きました。嘉陽では集落の人と農作業を手伝いながら避難小屋で暮らしました」。今でも胸を締め付けるのは、後から避難してきた弟と妹たちのことだ。「うるま市あたりで日本兵に止められて南部に行くよう言われ、弟と妹は亡くなってしまった。北部に避難できたら死なずにすんだはずなのに」。悔しさが頬をぬらす。

戦後の伊舎堂はフクギだけが残り、風景が一変していたが、収容所で夫の生存を知り、共に中城へ帰れた。その安心した記憶の方が強く残る。「お金もない、食べるものもない、それでも芋や野菜があれば、隣同士分け合い、助け合った」。無我夢中で生き延び、今の幸せな生活がある。

穏やかで慈愛と芯の強さもある春子さん。光雄さんは、地域の人からよく「理想のおばあちゃんですね」と声を掛けられるという。春子さんは比嘉家の誇り。家族の笑顔の中心にはいつも春子さんの姿がある。


カジマヤーで三線を披露65歳から三線を習い始めたという春子さん2018年、97歳のカジマヤーを家族に祝ってもらったときは、自ら舞台に上がり、「かぎやで風節」「御縁節」「揚作田節」の3曲を演奏。宴を盛り上げた。「最近は合奏するのが難しくなったので、時々、一人で弾いている」とマイペースで楽しんでいる。

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取材/赤嶺初美(ライター)
毎週木曜日発行・週刊ほ〜むぷらざ
「第1887号 2023年10月5日紙面から掲載」

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