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2024年5月30日更新
[沖縄スポット]自然豊かな街 戦後復興の拠点|うるま市石川|シマ散策(拡大版)
読者から人気の根強い当コーナーを拡大版としてリニューアル。今回は、うるま市の石川地域を訪ねました。石川岳の深緑や金武湾に面した白い海浜、沖縄の戦後復興の歴史を感じさせる史跡など見どころいっぱい。
山と海浜の公園
戦後沖縄の史跡
【うるま市石川】
石川地域は市街地にありながらやんばるの森や海岸沿いを散策できる公園があるのが魅力。また、沖縄の戦後復興のさきがけとなった地でもある。案内してくれたうるま市教育委員会の前田一舟さんは「点在する史跡を訪ねて戦後の歴史を振り返るのも意義深いです」と話す。
太平洋と東シナ海を一望
公園に防風・防潮備える
うるま市の北に位置する石川地域(旧石川市)。北に石川岳がそびえ、東は金武湾に面している。石川岳南西の高台にある「うるま市民の森公園(旧石川市民の森公園)」は、イタジイなどの広葉樹が茂る緑深い公園。森林散策ができる遊歩道を上がっていくと展望台がある。石川地域は本島でもとりわけ東西に細長い地形にあることから、展望台では東に太平洋と西に東シナ海が一望できる。前田さんは「気軽にやんばるの自然に触れられる公園で、園内には野鳥のアカショウビンやツマムラサキマダラといったチョウ、シリケンイモリなど多様な生物が生息しています」と説明する。これからの時期はホタル観察、秋にはドングリ拾いができるという。
うるま市民の森公園にある展望台では、太平洋(左)と東シナ海(右)を一望
うるま市民の森公園の池には、シリケンイモリなどの生き物が生息
左からツマムラサキマダラ、シリケンイモリ、ナガサキアゲハ(※うるま市教育委員会からの提供)
うるま市民の森公園の広場。奥には石川岳の深緑が広がる
石川地域の中央の市街地にある「石川公園(旧白浜海浜公園)」は、南北に細長い公園で東側には白い海浜が続く。かつて米軍の保養施設だった石川ビーチがあった場所で、復帰に伴い返還されると区画整理事業が行われ、一部は埋め立てられて市役所や体育館などの公共施設が整備された。「1980年に造られたこの公園は自然の海浜を残すように設計されています。住宅地と接する西側に城壁のような石垣を設け、園内にはフクギやモクマオウを植えるなど、公園施設に防風・防潮・防砂の役割を備える試みがされています」
石川公園の西側には自然の海浜が広がる。海岸沿いに遊歩道があり散策が楽しめる
石川公園の西側にある城壁のような石垣。トンネルを抜けて公園に入れる
石川公園の園内にはかつて石川集落の屋敷周りに植えられていたフクギが移植されている
市役所として使ったムラヤー
戦後復興を議論した会堂
戦前は旧美里村の一部だった石川地域は、戦後の沖縄復興のさきがけとなった地、と前田さんは話す。沖縄戦を経て民間人収容所が造られ、1945年9月に石川市になった。ムラヤー(現在の公民館)だった「石川部落事務所」が最初の市役所庁舎として使われた。「1936年ごろに建てられた石川部落事務所は今も残っています。ムラヤーは県内各地にありましたが、戦災にあったり、老朽化で建て替えられたりして、戦前からあるムラヤーはここだけになっています」と話す。やがて市内には警察署、登記所、病院、郵便局、図書館、劇場などの公共施設が設置され、市場もにぎわった。
また、1945年8月に米軍の指揮下で戦後復興を進める沖縄側の組織として「沖縄諮詢会」が設立された。「後に沖縄民政府初代知事となった志喜屋孝信を委員長に15人の委員が選出され、戦後復興について話し合われました」。同会は戦災をまぬがれた民家に設置されたが、「沖縄諮詢会堂跡」として現在も残っている。
ムラヤーの石川部落事務所。戦後、石川市になって初めての市役所が置かれた
沖縄の戦後復興について話し合われた沖縄諮詢会堂跡。市の文化財に指定されている
当時の写真(※うるま市教育委員会からの提供)
その後、石川市は2005年に市町村合併してうるま市になるまで60 年間続いた。
戦後、銀座通り(写真上:※うるま市教育委員会からの提供)には商店が並びにぎわった。同下は現在の通り
戦後、南栄通り(写真上:※うるま市教育委員会からの提供)には市役所や警察署などの公共施設が建ち並んだ。同下は現在の通り
案内してくれたのは
うるま市教育委員会
副主幹兼係長 前田 一舟さん
取材/池原拓
『週刊ほ〜むぷらざ』シマ散策
第1921号 2024年05月30日掲載