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2023年12月14日更新
[沖縄スポット]尚寧王が整備した古道|尚寧王の道|シマ散策(21)
地域の人におすすめのスポットを案内してもらい、その地の魅力を再発見する企画。今回紹介するのは、第二尚氏王統7代・尚寧王が整備した浦添グスクから首里までの古道、通称「尚寧王の道」。「うらおそい歴史ガイド友の会」の親富祖政昇さんに首里に向かう途中の経塚まで案内してもらいました。
尚寧王が整備した古道 【尚寧王の道】
浦添城の前の碑の近くにある復元された石畳道。市内には当時の石畳道が発掘された場所もあり、埋め戻されて地中に保存されている(11月撮影)
浦添市の東側にある「浦添グスク」は、三山時代の中山王城として知られる。親富祖さんは「尚巴志が中山王武寧を滅ぼし、首里城への遷都で浦添グスクは荒廃しました。それから16世紀初頭に首里から追放された尚寧王の先祖が居を構えました。尚寧王もここで生まれ育ち、25歳の時に王位を継ぐことになって首里に上がりました」と説明する。グスクにあった居館は、17世紀に薩摩の侵攻を受けて焼き払われ今は礎石だけが残る。
16世紀末に尚寧王の命で浦添グスクから首里城までの道が整備された。グスクから安波茶、経塚、沢岻、大名、平良、儀保までの全長5キロほどの道を石畳で舗装し、平良橋などを石橋に架け替えたという。この道は首里城と中頭・国頭方面を結ぶ主要道路(宿道(しゅくみち))「中頭方西海道」の一部分で、現在は住宅地などになって途切れるなどしているが、復元された石畳道が市内に点在している。
グスクの正門があった付近にはその時の記念に建てられた「浦添城の前の碑」がある。石碑の表面にはひらがなで裏面には漢文で碑文が刻まれていて、上部には太陽と雲の回りを舞う鳳凰の文様が彫られている。「碑文には国民が力を合わせて工事をしたこと、国民のために道を整備したこと、また、王が浦添の寺社を参拝するための工事でもあったことなどが記されています。上部の文様は日輪双鳳雲文といって、太陽は国王を表し、雲はこの国が豊な土地であること、鳳凰は王が優れた人物であることを意味しているそうです」
安波茶橋と南北に走る石畳道。手前が小湾川に架かる「南橋」、奥が支流のアブチ川に架かる「北橋」。沖縄戦で破壊されたが、のちに復元・修復された
浦添城の前の碑。高台にあり、遠くに首里の街並みが見える。右下はノロ(神女)が馬に乗るための踏み台にした「馬ヌイ石」
石碑の裏面の碑文は漢文で、上部には太陽と雲と鳳凰の文様が刻まれている
国王ゆかりの石橋
安波茶交差点の南には「安波茶橋」がある。「小湾川とアブチ川に架けられた2本の石橋で尚寧王が道を整備した時に造られたと考えられています。国王も普天満参詣などでここを通りました。橋の下流側には首里から来た国王に赤い皿で水をくんで献上したという言い伝えがある井戸・赤皿ガーがあります」
「経塚の碑」は、昔、街道に妖怪が出て悪さをしたため、日本から来ていた日秀上人がお経を小石に書き写して埋め、その上に金剛嶺と彫った石碑を建てたところ、妖怪は現れなくなったという伝説がある。「旧暦10月1日にはウマーチヌウガン(火の用心の拝み)で、この碑と集落内のカーを巡ります」
妖怪を鎮めた「経塚の碑」。地震の時にも「チョウチカ、チョウチカ」と唱えるとおさまると信じられた
案内してくれたのは
うらおそい歴史ガイド友の会
親富祖政昇さん
浦添グスク・ようどれ館を拠点に史跡や戦跡のガイドをしている。
電話・098(874)9345
取材/池原拓
『週刊ほ〜むぷらざ』シマ散策
第1897号 2023年12月14日掲載