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COLUMN

新城和博

2019年4月2日更新

3年越しの映画|新城和博のコラム

ごく私的な歳時記Vol.59|首里に引っ越して20年。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、この20年も振り返りながら、季節の出来事や県産本の話題をつづります。

3年越しの映画

 3月、4月はなにかしらココロざわつく。やふぁやふぁと吹くうりずんの風をうけて旅立つ若者たちの姿をあちこちでみかけては、わが身にのしかかる年月の重さによろけてみたりする。そういえば今年は年号もかわるというではないか。なんとなく浮足だっているのはそのせいか。あっ、いまこのコラムを書いているときに発表されました。すかさずネットで調べてみたら、新年号と同じ漢字の名前の人がいるではないか。どぅまんぎた【驚愕(きょうがく)した】だろうなぁ。
 
 さて3年前の今頃もココロざわついていた。この連載において「うりずん雑感」というタイトルで、東京で大学生している娘が春休みを利用して、自主製作映画を撮影しているということを書いた。その手伝いでなにかと大変だったのだが、その映画がようやく完成したので、上映会をこの3月に那覇・久茂地のライブスペースで行うことができた。
 沖縄戦における渡嘉敷島でのいわゆる「集団自決」の記憶を描いた作品なのだが、実際の集団自決もこの時期に起こったことで、実はぼくの母親の話がベースになっている。脚本・監督をした娘にとってはおばぁちゃんである。
 出演者、スタッフなどの関係者に加えて、うちの親戚関係や友人らに声をかけて、たった一日だけど、3回にわたって上映した。新聞やネットでも呼びかけたので、一般のお客さんも訪ねてくれて、いずれも大盛況だった。タイトルは「おもいでから遠く離れて」。



 若い世代が沖縄戦の記憶を受け継ぎ描くということは、必然的にフィクションとなる。まさに思い出から遠く離れたところに私たちはいる。しかしその記憶をフィクションとして描くことで、時を重ねて伝わっていくことがある。
 上映会には、もちろんおばぁちゃんも来ていた。スクリーンには、小さいときから聞かされていた集団自決の光景が映し出されていた。母はなんともいえない不思議な表情でスクリーンを眺めていた。ぼくもまた画面を見ながら、とても不思議な気分になった。小さい頃から母から聞いていた話、個人的な家族の物語が映像化されることによって、この場にいる人たちの共通の記憶、おもいでになるということ。忘れてはいけないことがあるのだなぁと、じんわり考えていた。



 最終上映のあとに、ぼくと監督である娘とで初めて舞台でトークをした。なかなかできない経験だ。これもまた家族の記憶、思い出のひとつとなって、沖縄戦の記憶ととけあっていくのだろう。
 記憶はだだ風化するのでなく、語り合う、描きつづけることで、熟成されて、物語として続いていくはずだ。来年のいまごろ、うりずんの風に吹かれると、なんとなくこの映画のことを思い出すことだろう。年月の重みも時にはここちよいこともある。

※今後の上映の予定はいまのところありません。いまからいろいろ上映の機会を考えているよう。


 

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ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。

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