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新城和博

2018年4月6日更新

タコライスの衝撃 完全版 329文化と58文化論序説|新城和博のコラム

ごく私的な歳時記Vol.38|首里に引っ越して20年。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、この20年も振り返りながら、季節の出来事や県産本の話題をつづります。



「魚座の会」という飲み会でのことが、なかなか衝撃だったのでここに記しておきたい。「魚座は変わり者が多いという風評があるらしいがそうでもないだろう」ということで始まった会。言い出しっぺの魚座の2人を軸にして、そのときなんとなくピンときた知り合いを呼んで、ただ楽しくおしゃべりするというものだ。
その晩も、ゲストが数人、うちなー・やまとぅ、出身も世代も違うものどうしで、とりとめのない会話に花が咲いた。いつもはタコパ(たこ焼きパーティ)なのだが、今回は鍋を囲んでいる。

しばらくしてなんのきっかけかは忘れたが、昨今の沖縄文化について、酔うと一家言あるワタクシが「タコライスって、1990年代初頭の那覇では知っている人がほとんどいなかった」という話をはじめた。
そう、今でこそ沖縄の郷土料理として全国に紹介されるまで成り上がったタコライスであるが、もともとは金武町の米軍基地近くの「パーラー千里」が発祥の地である。1980年代の中頃のことで、そこから中部の基地の町に広がった。ぼくは、1990年に創刊したコラムマガジン「ワンダー」の企画で、宜野座出身の女性が「タコライスは、故郷の味!」と断言したのにびっくりして、パーラー千里まで一緒にタコライスを食べに行ってインタビューしたことがある。タコライスって、タコを炒めたチャーハンみたいなものかと思ったのである。そもそも当時、那覇でタコスというメキシコ料理を出す店はほとんどなかった。タコスを食べるためにコザの「チャーリータコス」あたりまで出掛けたものだ。当時タコライスとは出会わなかった。金武からじわじわ南下途中だったのかもしれない。それからしばらくして、タコライス文化圏は、パーラー千里が始めたタコスのチェーン店「キングタコス」の広がりとともに南下し、沖縄全体へと広がった。ご飯に洋食の具を載せるというカレーライスにも似たキャッチーさによって、いつのまにか地元食品メーカーがレトルト食品として販売するころには、すっかり県民食となり、全国的に知られるようになった……。ここまで話を展開したところで、「でもうちの母は、南風原がタコライスの発祥の地って言っているんですよ」と、魚座の女性が新説を繰り出してきた。しかし沖縄ローカルカルチャーに一家言ある僕はピンッ!ときた。「それはきっと329(さん・にー・きゅー)沿いにあるドライブイン文化だっ」。
沖縄島の東海岸側をはしる県道329号は、南風原、与那原といった南部東海岸側と中部の文化発信拠点・コザとを結んでいる。与那原の人たちは、気軽にコザまで飲みに行くという話を聞いて、なるほどなぁと思ったことがある。与那原祭りで、やたら上手なフィリピンバンドがライブしていたのを見たことがあったけど、そのバンドの店はコザであった。与那原はコザ(中部)文化の影響を、那覇とは違って、ダイレクトに受けているのだ、たぶん。
さて、そのコザ文化を中継していく329号沿いには転々とドライブインの老舗がある。そのドライブインのメニューにタコスがあることは自然だ。キングタコス以前にタコライスが南風原に到着していた可能性はとても高いと思われる。
そうか、沖縄本島のサブカルチャーの流れを考える時に、コザとか那覇とかざっくりと広域の文化圏を考えるのが常だが、58号(ゴッパチ)の西海岸ルートと329号の東海岸ルートという風に考えると、新しい文化がどのように伝わっていったのかを考える際に極めて有効な視点になるのではないか………などと、酔っぱらいならでの思いつきで心静かにうかれていたら、一番若い参加者のKくんがこう言い出した。

「タコライス、おいしいですよね。最近チャーリータコスというところで食べたんですけど、おいしくて」

へー、チャーリータコス行ってわざわざタコライス食べるんだ。というかチャーリーってタコライスってあったっけ。あるかもね。

Kくんの話は続く。

「そこのタコライスは変わってて、なんか皮にタコライスが挟んであるんですよ。ナンみたいなものを薄くして揚げた感じの皮なんですよ。それに挟んで……」

一同、一瞬の沈黙ののち、騒然とした。彼は生粋の沖縄県民である。南部の西海岸側の出身だ。
ちょ、ちょっと待てKくん。落ち着け。タコライスって、何だと思っているの? 
「スーパーとかに売っているあれ、ですよ。家でも食べたりしているし、学校の給食でも食べてきたし」
違うんだ、いや当たっているけど。……ま、まさか、タコスを知らないのかっ。タコライスは知ってるのに!
タコスというメキシコ料理があって、君が食べたコザの老舗タコス屋チャーリーのタコスが、それだ。タコスが先にあるの! その具をライスに載せたのがタコライスなの。まずはメキシコに謝れ! インドのナンは知ってるのに!
Kくんは動揺しているのかしていないのか、表情からは読みとれない。さらに質問した。
「じゃあ、タコライスのタコって何だと思っていたの?」
「ライスに載っている具を"タコ"っていうのかと思ってました」
爆発的に、腹がよじれるぐらいに、笑ってしまった。
そうか、南部の西海岸側のKくんは、タコスより先にタコライスを知ってしまったのだ。タコライスが沖縄県内ですでにメジャーになってスーパーや学校給食で身近だった存在だった世代なのだ。
その晩集まったオトナたちは、学校給食にタコライスがある、ということにびっくりしていた。ジェネレーション・タコライス・ギャプはさらに盛り上がった。




さてその夜、魚座の会がお開きとなり、首里の家に戻るために、ぼくは独り、誰もいない深夜の那覇の街を歩きながら考えた。
タコライスとタコス。こんな小さい島でも文化の波はこのように伝播したり逆流したり渦巻いたりしている。そしてきっと329文化と58文化があるに違いない。またひとつ楽しい課題が増えた(Kくんが特異な存在であるという可能性もあるが)。


 

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ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。

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