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2020年4月9日更新

[彩職賢美]劇団でいご座 座長の仲田幸子さん|観客の笑顔力に 芝居一筋73年

ことしで芸歴73年目、振り返ってみると長い間芝居したなあって思うさぁ。歴史に残るよね(笑)。今でも常に「どうすれば多くの人を楽しませられるか」ってことばかり考えているよ。お客さまの笑顔が私のパワーの源。笑いがなければ、今でも舞台に立っていたか分からんさぁ。

「楽しませること」が生きがい

劇団でいご座
座長
仲田幸子
 
さん

観客の変化に合わせて 方言、標準語を使い分け

「ここで出て…」、「このせりふの後に笑顔で…」などと役者一人一人のせりふを読み上げ、流れを説明する。仲田幸子さん(87)が座長を務める劇団「でいご座」の舞台稽古の一幕だ。劇団のメンバーで台本を持つ役者は一人もいない。その稽古スタイルは劇団が設立された当時から変わっていない。

「昔は座長がそれぞれのせりふを読み上げて、役者はその場で覚えるのが普通だった。自分のせりふはもちろん役者が10人いたら10人分のセリフを暗記するのが習慣。そうじゃないとアドバイスできないさあねぇ。だから、役者たちには『分からないところは、すぐに聞きなさい』と伝えている」と説明する。

芝居一筋に生きてことしで芸歴73年、「喜劇の女王」の異名を持つ仲田さんのもとには「元気がわいてきた」、「思いっきり笑えた」との喜びの声が多く届く。「そんな声に励まされると同時に『楽しんでもらえたんだ』と安心する。みんなを楽しませることが生きがい」と話す。

舞台に立つ前に必ずやることが、観客の様子や会場の雰囲気を確認すること。「見てくれるお客さまの変化にも対応しないといけないからねぇ。方言を分かる人が減り、観光客が増えたから、標準語も取り入れている。方言へのこだわりや標準語で伝えるのが難しいニュアンスもあるけど、意味が分からなければ芝居が成立しないから」。舞台の直前に方言か標準語にするかを決めたり、演目そのものを変更することもあるという。


仲田さんが初めて芝居に興味を持ったのは幼少期だった。「7、8歳のころ、祖母と見に行った芝居が面白くて。私も大人になったらきれいな格好や化粧をして舞台に立ちたいと思ったね」。劇場に足を運んでは役者の表情や動きなどを目に焼き付け、自分なりに芝居の勉強を始めた。

しかし、沖縄戦により一時中断。戦後、劇団の旗揚げが相次いだことで、芝居への情熱が再び湧き上がり、15歳で劇団に飛び込んだ。

入団したその年には舞台女優としてデビュー。「最初はせりふがうまく言えなく、悔しくて泣いたこともあった。副座長から『こんなことでへこたれるようでは、役者はできない』って怒られてね。繰り返し練習して覚えていった」と振り返る。

稽古に励む中、座長から「喜劇が向いているのでは」とアドバイスをもらった。「当時は伝統芸能が基本で喜劇はなかったけど、戦後の混乱した時代に人々が笑いを求めているという意識もあった。芝居で少しでも元気を与えられたらと思って」と喜劇を追求していく決意をした。
 
無我夢中で芝居に取り組むがゆえの失敗も。「子どもが生まれても舞台に立っていたんだけど、会場に行くために子どもを連れてバスに乗ったとき、芝居のことばかり考えていて、バスに子どもを忘れてしまったこともあったよ。交番に迎えに行ったら警察の方にすごく怒られてね」と照れ笑いする。

1982年には「仲田幸子芸能館」を那覇市久茂地にオープンし、活動の拠点に。2008年には、同市松山に移転。多彩な民謡や話芸を披露し、客を魅了してきた。しかし、同館はことしの5月末に老朽化のため閉館が決まっている。

「舞台に立つのをやめたくないが、体力的に厳しくなったこともある。休んでもいいかなあって思う」と感慨深い顔を見せた。そんな仲田さんは、自身の主演の映画がことし公開される予定。主演の仲田さんが、命を落とし化けて世に出て騒動を起こすストーリーだ。映画でも多くの人を笑顔にしてくれるに違いない。


 芝居への情熱燃やし続け 

㈱沖縄タイムス社提供

お客が散髪屋の夫婦げんかに巻き込まれるという劇が「分かりやすくて面白い」と老若男女に評判の演目「床屋の福ちゃん」(写真上)。現代歌劇・沖縄版「寛一お宮」(同下)では母親役を演じ、さりげない一言で笑いを誘う。公演は常に満員で、仲田さんの芝居に笑いの渦が巻き起こる。

数々の作品でコミカルな役を演じてきた仲田さんは「昔は地方巡業で1日4回、4日で16回の公演をこなしたこともあった。最近は、疲れるのが早くなってきたから1日に舞台に立てる回数は減ったけど『どうすれば多くの人を楽しませられるか』と常に考えることは昔から変わっていない」と芝居に対する情熱を燃やし続けている。


仲田さんのパワーの種

Q.仲田さんにとって芝居とは?

芝居は命がけ。舞台で倒れて死んだとしてもそれが本望。そんな気持ちでやってきた。喜びの反応を直接、見たり聞いたりできることが芝居の面白さ。時には「今日の舞台はあまり盛り上がらなかったかなぁ」、「少し笑いが少なかったなぁ」って悩むことももちろんあって、眠れないこともあるよ。でも「今度はここを変えてみよう」、「試しにこれも取り入れてみよう」と反省を生かすようにしているよ。

体調の悪い日でも無理をして舞台に立っていたんだけど、舞台に上がると不思議と元気になれるんだよねぇ。薬でも打ったかなあって思うくらいよ(笑)。やはり、芝居は「好き」だからどんな苦しい状況でも続けられたよね。これまでやめようって思ったことは一度もないよ。それと、お客さまをはじめ、ずっとついて来てくれた劇団のメンバー、家族や友人たちの支えも大きい。本当に感謝の気持ちでいっぱい。


プロフィル
なかだ・さちこ

1933年生まれ、那覇市出身。15歳の時に南月舞劇団に入団し同年に舞台女優デビュー。後に同劇団の役者であり脚本家の仲田龍太郎氏と結婚。1956年、夫とともに現在の劇団でいご座の前身「仲田龍太郎一行」を立ち上げた。喜劇芝居の第一人者として沖縄の大衆芸能を引っ張り、1997年には沖縄県文化功労者として表彰された。


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撮影/比嘉秀明 文/安里則哉
『週刊ほ〜むぷらざ』彩職賢美<1361>
第1706号 2020年4月9日掲載

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