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2020年2月27日更新

悲哀の人生を送った「百度踏揚(ももとふみあがり)」|地元の宝ありんくりん[11]

執筆:竹内章祝
「百度踏揚」の名前を聞いたことのある方は多いかもしれません。個人的には、彼女は琉球史上、最も悲哀な生涯を送った女性ではないかと思います。今回は歴史の荒波に翻弄された女性の生涯をご紹介します。

歴史の波に踊らされた女性

阿麻和利の妻

百度踏揚を語る上で欠かせないのが、尚泰久(しょうたいきゅう)王、護佐丸(ごさまる)、阿麻和利(あまわり)、大城賢雄(おおしろけんゆう)です。



今からおよそ600年前の1429年、尚巴志の勢力を軸に三山は統一され、琉球王朝が誕生しました。しかしその後もしばらくは国の体制は盤石ではなく、各地の豪族たちを常にけん制するそんな不安定な時代でした。

中でも護佐丸は尚家に忠義を尽くすものの、万一反旗を翻したら脅威となる人物でした。そこで時の王である尚泰久は、護佐丸の娘を嫁にもらいます。すなわち政略結婚です。こうして生まれたのが今回の主人公、百度踏揚です。


阿麻和利の居住だった勝連城跡(うるま市勝連南風原)。百度踏揚を語る上で欠かすことができない場所だ。世界遺産に認定されている


百度踏揚の墓(南城市玉城富里)。彼女の弟と合祀されている


百度踏揚が使っていたとされるかんざしと鏡。今も大切に保管されている


夫が父に謀反

また、勝連地域でも彗星のごとく一人の有力者が現れます。阿麻和利です。そこで尚泰久王は娘である百度踏揚を彼の妻としてめとらせ、時の有力者2人を自らの親族とすることに成功しました。ところが、それでも平穏は訪れませんでした。阿麻和利は首里を攻め落とし、自ら王となる野心を抱いていたのです。

しかし、勝連城の阿麻和利が首里に攻めるには、厄介な存在がありました。阿麻和利をけん制するために王より命を受け、中城城に拠点を置いた護佐丸の存在です。そこで阿麻和利は、護佐丸が王府への反逆のため兵の訓練をしていると尚泰久王に伝えるという奇策に出ます。

王がこれを疑い調査させると、実際に中城で武具を整えていることが判明し、阿麻和利に護佐丸討伐を命じます。実は武装の真の理由は阿麻和利に対抗するためで、護佐丸には謀反の気は全くなかったため、抵抗もせず攻め入る王府軍の前で家族と共に自害するのでした。

邪魔者がいなくなった阿麻和利はいよいよ首里本陣を攻める戦略を立てますが、計画の一部始終を妻の百度踏揚に悟られてしまいます。

夫が祖父を死に追いやり、さらに実の父の命まで狙っていることを知った彼女の心中は察するに余りあります。

かくして彼女は付き人の大城賢雄と共に即座に勝連城を逃れ、父のいる首里へ向かいその全容を伝えます。事実を知った尚泰久王は、大城賢雄を大将に命じ王府軍を結成。勝連城を一気に攻めたてます。王府軍の反撃に成すすべなく勝連軍は敗北し、阿麻和利も命を落としました。

この功績が認められた大城賢雄は、百度踏揚を妻に与えられます。百度踏揚は自分の夫の命を奪った男性を、新たな夫として迎えることになったのでした。(1458年護佐丸阿麻和利の乱)


2人目の夫は処刑

のちに首里王府では政変がおき、琉球を統一した尚巴志(第1尚氏王統)とは全く血のつながりのない王統(第2尚氏王統)が立ち上がりますが、その際第1尚氏に忠義を尽くしていた大城賢雄は火あぶりで処刑されてしまいます。

再び未亡人となった百度踏揚は兄弟の住む南城市玉城に逃れて暮らし、そこで激動の生涯の幕を閉じたのでした。歴史に翻弄された一人の女性の悲哀な運命に心痛むばかりです。南城市玉城には百度踏揚のお墓だけではなく、生前彼女が使用していたとされるジーファー(かんざし)や鏡が、今も大切に保管されています。

参考文献:・琉球王女百度踏揚 与並岳生著 2003年 新星出版・うちなー観光教本 (財)沖縄観光コンベンションビューロー監修 2008年 平山印刷

執筆者

たけうち・あきのり
末期の沖縄病に感染した東京下町出身の人情派! 韓国や戦中のユーゴスラビアなど20年近くを海外で過ごし、沖縄に移住。沖縄地域通訳ガイド(韓国語)、通訳案内士養成研修講師など。
 

毎週木曜日発行・週刊ほ〜むぷらざ
「第1700号 2020年2月27日紙面から掲載」

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