教育
2019年6月27日更新
王家の墓「玉陵」に民間人ー占い師・木田大時|地元の宝ありんくりん[3]
執筆:竹内章祝
われらが沖縄の誇る世界遺産のひとつ「玉陵(たまうどぅん)」。今回はこの玉陵にまつわる占い師のお話です。
ネズミは何匹?
玉陵は、琉球国王尚真(しょうしん)によって今から約500年前に建てられた「琉球国王とその家族のお墓」です。ところが玉陵には、「王家の者ではない民間人の骨」とされるものが一体だけ安置されています。これこそ今日の主人公である占い師木田大時(むくたうふぅとぅち)の遺骨です。
どうして民間人が王家の墓に葬られているのでしょうか。
玉陵全景。手前から東室、中室、西室。東室には王と王妃、西室には王の家族の骨がそれぞれ安置されている。中室は、死者の骨を洗う「洗骨」まで遺体を安置しておく部屋(当時は火葬のない時代だった)
公開テスト
木田は南城市玉城の出身で、天文や暦学の第一人者として王府に仕えていたそうです。
あるとき尚真王の子がひどい病にかかりました。名医たちの懸命の治療にも関わらず、容体は悪くなる一方でした。そこで王は木田を呼び出し、王子を診てもらうことにしました。易学にも精通していた彼は王子の病の原因が悪い霊の仕業であることを悟り、すぐさまお祓(はら)いをしました。
するとどうでしょう。
王子はみるみる回復し、やがてもとの元気な姿を取り戻したのでした。王は喜び木田を寵愛し、「大時」という名前を授けたのです。「時」とは「易者」つまり占い師を指し、大きな占い師、すなわち国で一番の占い師という名誉ある名前を頂戴したのでした。
ところが王の周りの人々はこれが面白くありません。やがて彼らは木田がニセ占い師だと噂するようになります。
そこで木田を信頼する王は聴衆を集めて公開テストをしました。準備したものは「箱」と「1匹のネズミ」。
王は木田に言います。「箱にネズミが何匹いるか当ててみよ!」。木田は「5匹です」と即答したのでした(3匹など諸説あり)。王が「間違いないか?」と確認しますが、彼は「はい、相違ありません」と答えます。それを見た人々は「それ見ろ!」「ニセ占い師!」などと騒ぎ立て、木田は王に背いた罪に問われ、安謝の処刑場に連行されました。
一方、彼に全幅の信頼を寄せていた王は大きなショックを受け、ネズミの入った箱を開けました。すると…。なんと箱の中には5匹のネズミがいました。実はネズミは妊娠していて、箱の中で4匹の子ネズミを出産したのです。王はすぐさま首里城の高台から安謝に向けて処刑を止めるため旗を振らせたのですが、刑場ではそれをGOサインと勘違い。木田を葬ってしまいました。心を痛めた王は木田に謝罪し、彼の亡きがらを特別に王家の墓玉陵の中室に葬ることを命じたのでした。
玉陵には多くの人骨が甕(かめ)に納められていますが、その中でも立派で大きな甕(尚真王の父、尚円王と同形の骨壺)に彼の骨は納められており、尚真王の罪の念と感謝の心が感じられます(中室の骨が木田のものという科学的な根拠はありませんが、木田の子孫にあたる方々が、今でも清明祭の時に玉陵へお参りに来ることから、その信ぴょう性は高いのかもしれません)。
南城市玉城には木田大時の屋敷跡が現存し、周辺には見どころも満載です。出かけてみてはいかがでしょうか。
木田大時の屋敷跡
木田大時の屋敷跡の周囲には、糸数城跡や、沖縄戦の戦跡「アブチラガマ」、風光明媚(めいび)なグスクロード公園などがある
執筆者
たけうち・あきのり
末期の沖縄病に感染した東京下町出身の人情派! 韓国や戦中のユーゴスラビアなど20年近くを海外で過ごし、沖縄に移住。沖縄地域通訳ガイド(韓国語)、通訳案内士養成研修講師など。
玉陵は、琉球国王尚真(しょうしん)によって今から約500年前に建てられた「琉球国王とその家族のお墓」です。ところが玉陵には、「王家の者ではない民間人の骨」とされるものが一体だけ安置されています。これこそ今日の主人公である占い師木田大時(むくたうふぅとぅち)の遺骨です。
どうして民間人が王家の墓に葬られているのでしょうか。
玉陵全景。手前から東室、中室、西室。東室には王と王妃、西室には王の家族の骨がそれぞれ安置されている。中室は、死者の骨を洗う「洗骨」まで遺体を安置しておく部屋(当時は火葬のない時代だった)
公開テスト
木田は南城市玉城の出身で、天文や暦学の第一人者として王府に仕えていたそうです。
あるとき尚真王の子がひどい病にかかりました。名医たちの懸命の治療にも関わらず、容体は悪くなる一方でした。そこで王は木田を呼び出し、王子を診てもらうことにしました。易学にも精通していた彼は王子の病の原因が悪い霊の仕業であることを悟り、すぐさまお祓(はら)いをしました。
するとどうでしょう。
王子はみるみる回復し、やがてもとの元気な姿を取り戻したのでした。王は喜び木田を寵愛し、「大時」という名前を授けたのです。「時」とは「易者」つまり占い師を指し、大きな占い師、すなわち国で一番の占い師という名誉ある名前を頂戴したのでした。
ところが王の周りの人々はこれが面白くありません。やがて彼らは木田がニセ占い師だと噂するようになります。
そこで木田を信頼する王は聴衆を集めて公開テストをしました。準備したものは「箱」と「1匹のネズミ」。
王は木田に言います。「箱にネズミが何匹いるか当ててみよ!」。木田は「5匹です」と即答したのでした(3匹など諸説あり)。王が「間違いないか?」と確認しますが、彼は「はい、相違ありません」と答えます。それを見た人々は「それ見ろ!」「ニセ占い師!」などと騒ぎ立て、木田は王に背いた罪に問われ、安謝の処刑場に連行されました。
一方、彼に全幅の信頼を寄せていた王は大きなショックを受け、ネズミの入った箱を開けました。すると…。なんと箱の中には5匹のネズミがいました。実はネズミは妊娠していて、箱の中で4匹の子ネズミを出産したのです。王はすぐさま首里城の高台から安謝に向けて処刑を止めるため旗を振らせたのですが、刑場ではそれをGOサインと勘違い。木田を葬ってしまいました。心を痛めた王は木田に謝罪し、彼の亡きがらを特別に王家の墓玉陵の中室に葬ることを命じたのでした。
玉陵には多くの人骨が甕(かめ)に納められていますが、その中でも立派で大きな甕(尚真王の父、尚円王と同形の骨壺)に彼の骨は納められており、尚真王の罪の念と感謝の心が感じられます(中室の骨が木田のものという科学的な根拠はありませんが、木田の子孫にあたる方々が、今でも清明祭の時に玉陵へお参りに来ることから、その信ぴょう性は高いのかもしれません)。
南城市玉城には木田大時の屋敷跡が現存し、周辺には見どころも満載です。出かけてみてはいかがでしょうか。
南城市玉城前川にある木田大時の屋敷跡全景
木田大時屋敷跡の案内板
木田大時の屋敷跡近くにある史跡の一つ糸数城跡。美しい城壁が残る
木田大時の屋敷跡
木田大時の屋敷跡の周囲には、糸数城跡や、沖縄戦の戦跡「アブチラガマ」、風光明媚(めいび)なグスクロード公園などがある
執筆者
たけうち・あきのり
末期の沖縄病に感染した東京下町出身の人情派! 韓国や戦中のユーゴスラビアなど20年近くを海外で過ごし、沖縄に移住。沖縄地域通訳ガイド(韓国語)、通訳案内士養成研修講師など。
毎週木曜日発行・週刊ほ〜むぷらざ
「第1665号 2019年6月27日紙面から掲載」