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2017年8月31日更新

[彩職賢美]宜野湾市伊佐区自治会長の宮城奈々子さん|住民と津波考え15年

多数の断層や段丘が連なる低い丘と、その麓の低地を海が囲む琉球列島。地球活動の平穏期に豊かな個性を見せる島々で生きる私たちは、島と海の穏やかな表情につい大自然を甘く見てしまう。そんな沖縄で、東日本大震災前から地域住民と共に津波防災を実践する女性がいる。宜野湾市伊佐区自治会長、宮城奈々子さん。9月1日「防災の日」を前に、宮城さんの活動に学ぶ。



「防災の日」編

笑顔の防災レジェンド

宜野湾市伊佐区自治会長
宮城奈々子 
さん


「津波警報時、基地を通って避難できるようにしてほしい」。2012年、宮城さんと伊佐自治会は行政に訴えた。米軍基地を通るという考え方は、まだ異例だった。

伊佐区は大半が海抜2メートル以内だ。海に通じる河川も3本ある。高い建物が少なく、高齢者が多い。障がい者が暮らす施設もある。

2004年12月、スマトラ島沖地震津波が起こった。避難に慣れない22万人が犠牲になった。地震や津波の知識がなく、遠くに津波が見えているのに多くの人たちが海岸にとどまる中、たちまち低い波が人々や船、海岸沿いの建物を飲み込む映像に、宮城さんは凍りついた。「もしこれが伊佐に来たら…」。

自治会で伊佐の地域学習を行った時、高齢者から津波への懸念が出た。どう逃がすか、大きな不安を持った。

「本島に津波は来ないよ」「コンクリート住宅ばかりだから地震では壊れんし、火事にも強いさー」という根拠のない経験則が一般的な中で、宮城さんを勇気づけたのは伊佐の住民だった。1960年に襲来したチリ津波の経験者は、伊佐浜で波に追われた恐怖を地域の模合や会合で話した。測量技術を持つ住民が、土地に関する詳細な話をした。耳を傾けた住民は、本気で対策を考え始めた。

地域として、行政に避難ビルの設置を要請。2年後、自治会長就任直前に住民1266人の署名を提出した。地区の東側は米軍フェンスでさえぎられ、高台への避難路は南側の県道81号線だけ。スマトラ級が来たら、住民4千人の大半が命を落とす。

2007年、津波避難訓練や避難所体験を県社会福祉協議会の事業で行った。「行動で示すと役所も動くはず」という宮城さんの信念が通じ、建て替え予定の市営住宅が津波避難ビル機能を持つことに決まった。

2011年3月、東日本大震災が発生。その年、宮城さんに呼応した地域の6階建てマンションが津波避難ビルとして初めて手を上げた。チリ津波経験者の証言から、詳細なハザードマップを制作。海抜表示は、測量技術者の住民の提案で確実な避難につながるデザインにした。

翌年2月、住民700人が参加した津波訓練で「基地に逃げたら早い」という声が出た。冒頭の、自治会としては異例の基地ゲート開放を行政に要請。2014年、津波警報発令時は行政等の連絡なくゲートが開かれ基地を通過して避難できるようになった。自主防災組織も結成したほか、以前あった地区最寄りの基地ゲートの復元も要請した。

伊佐地区は市内で最も在住外国人が多いが、住民とのつながりは少ない。2007年の第1回避難訓練から英文のチラシを外国人宅に配布する。参加を呼びかけ、サイレンの意味を取り違えないようにとの配慮も行った。

地域挙げての避難訓練は11年目。自主防災組織は副会長が男性3人(棚原さん、又吉さん、新田さん=2面写真左から)。「ここで育ててもらった恩返しを」と、青年会の若い世代も加わる。地域から行政を動かす宮城さんの活動が知られ、県内各地域の防災意識も高まった。いつも笑顔の「防災女子レジェンド」は、若々しい発想と発信に磨きをかける。




 

伊佐区らしい外国人交流も

今年、多文化共生NGOや筆者も関わり、「やさしい英語ー日本語カルタによる避難ドラマづくり」を開催。避難に必要な英日の会話を身に付けながら交流を深める試みは、雨天ながら避難訓練での外国人参加につなげ=下写真、伊佐らしい進取的な取り組みとなった。宮城さんは「特に沿岸沿いのマンションに外国人家族が多いよう。故郷に海がない人が多く、海にあこがれる一方で津波のことをよく知らないと聞く。今回、地域外の外国人も来て、雨の中を高台まで避難してくれた。こういう機会を増やし、気軽に伊佐で交流できるようになれば」。



 

新しいアイデア、続々

県内で先行的な実践ならではの課題を感じている宮城さん。一番の悩みは「避難訓練し過ぎて、住民が慣れてしまった。飽きてきている」。2015年、宮城さんから「どうしたら住民の意欲を継続できるか」と、筆者に相談があった。
宮城さんの悩みを防災に関わる大学生と取材し=上写真=、3.11から交流を続けている岩手県大槌町の被災地区に聞きに行った。大槌町は津波で人口の8%以上の住民と市街地の大半を失い、現在被災者の教訓や創意工夫を盛り込んだ実践を行っている。この「宿題」に対し、現地で「マラソンなど、楽しみを入れるのが一番」など教わった。
大槌町からの「答え」に、宮城さんは実施を戸惑っている夜間の避難訓練を未明に行い「日の出を楽しむ会」にすることや、近隣自治会と連携して公園になる西普天間基地跡地の湧き水を使った活動案など、さまざまなアイデアを考えている。


宮城さんのハッピーの種
Q.なぜ自治会の仕事を?
当時の会長の奥さんが母の妹で、書記を探しているということで声をかけられました。多少パソコンができればということでしたが、それまで文化財の仕事でいろいろな地域を回っていたことがとても役に立ち、地域の高齢者のみなさんに溶け込むことができたようです。働きがいを強く感じながら地域での活動を続けているうちに、あっというまに20年がたちました。


自治会会合風景。左端が宮城さん




彩職賢美|宜野湾市伊佐区自治会長 宮城奈々子さん
PROFILE
宮城奈々子(みやぎ・ななこ)
1953年読谷村生まれ、3歳で伊佐に。行政で文化財業務に約20年携わった後、1997年に伊佐自治会で書記に就任。発掘調査などで地域を回っていたことが生き、自治会活動に深く溶け込む。2006年に自治会長。防災活動でもマップづくりなどで文化財に関わった経験が大きな役に立つ。3人の息子がいる。




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撮影/泉公(ララフィルム)・取材/稲垣暁(ライター)
※9月1日の防災の日にちなみ、今号は社会福祉士・防災士の稲垣暁さんに取材執筆してもらいました。
『週刊ほーむぷらざ』彩職賢美<1267>
第1572号 2017年8月31日掲載

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