彩職賢美
2014年12月18日更新
[彩職賢美]熊谷職業和裁学院 院長・熊谷フサ子さん|心込め針進める縫いの技後世へ
和服を縫う和裁士であり、指導者として女性たちが和裁を学びつつ、仕立ての仕事ができる環境を作ってきた熊谷フサ子さん。同時に沖縄独自の衣類、「琉服」の調査・研究を重ねてきた。「沖縄の文化や環境に合った装いを残したい」と和服から琉服への仕立て直しの技術も考案。功績が認められ現代の名工に選ばれた。縫いの技術を次世代につなげるため奮闘を続ける。
和服を琉服に仕立て直す
和裁で女性たちへ職を提供
「熊谷職業和裁学院」院長
熊谷 フサ子さん
熊谷さんが和裁と出合ったのは20代前半、集団就職先の東京で公民館の和裁教室に通いだしたことがきっかけだった。
「日本の文化に憧れがあった」ことから趣味として始めたが「これなら将来、仕事に困らないかもしれない」と考え、専門学校で本格的に学ぶようになった。
卒業後、帰沖。そこで、家計を支えるため自宅で作業ができる「和裁を学びたい」という女性たちの声を耳にした。当時は女性の働く場が限られていた時代。職へつなげるため指導の必要性を感じたが設備も講師も十分に足りていなかった。
そこで1969年、「島尻きもの学院」を設立。自身も和服の仕立ての仕事を請け負いながら、和裁の指導を始めた。
本土復帰すると「職業として和裁技術を高め、次の世代につなげるため人材を育成したい」と国家資格の「和裁士」取得を目指すため「熊谷職業和裁学院」に改称。生徒らが受講と同時に依頼のあった反物を和服に仕立て、「奨励金」という形で報酬を得る、学びと職の環境を整えた。
和裁教室の生徒を指導する熊谷さん(中央)。生徒の質問にも気軽に応じ、教室は和気あいあいとした雰囲気。来年から琉服研究のコースも設立する予定
そんな中、沖縄で昔から日常的に着用していた衣類「琉服」が和服とはまったく違う作りであることに注目。「和服は糸を外せば反物に戻り、何度でも縫い替えできるのが特徴。しかし、琉服は縫い替えをしない文化を持っている。このように仕立て方、縫い方などすべてが違った」と説明。さらに「琉服は袖口を広く取り、帯を使わずゆったりと身に付けるので、風通しも良く沖縄の気候に適している」という。
しかし、戦後、琉服の着用は減り博物館などの現物資料に頼るのみ。「和裁を通して、沖縄にしかない『衣』の良さを改めて知った。この文化を紹介し、残したい」と約40年に渡り、調査・研究を重ね、仕立てを繰り返した。
その結果、和服から琉服への仕立て直しの技術を考案。研究は書籍や講演会を通して地道に紹介を続けた。すると活動を知った人から「古い和服を琉服に仕立て直してほしい」という依頼も寄せられるまでに。こうした功績が認められ、ことし、現代の名工に選ばれた。熊谷さんは「技術を確立できたのも縫い手としての視点があったから。琉服の研究も和服の仕立てもどのように縫ったらいいか布目にしたがい針を進めた。仕事が教えてくれた」と話す。
手縫いの良さは布に合わせて針や糸、縫い方を変え、素材や柄に適した状態で仕立てる点。「花嫁衣装なら、白い生地に赤い糸でおめでたい飾りを施すなど縫いの工夫も。私なりのお祝いの気持ちを縫いで表現したり、思いを針に込めてきた」。
一方で「手縫いは日本が誇る技術。和服も琉服も仕立てには欠かせないのに、縫い手が省みられることが少ない。縫いへの軽視ではないか」と訴える。
現在、熊谷さんの元で10代から60代まで、広い年代の生徒たちが和裁を習う。中には「琉服の仕立てを学びたい」という志を持つ生徒たちもいる。「琉服は沖縄の衣文化の象徴。若い人たちと次の世代に伝えていければ」と意気込みを語った。
熊谷さんのハッピーの種
Q.元気の秘けつはなんですか?
ダウン症の娘が元気に過ごせるようにすることです。ただ、彼女の自立の妨げにならないように気をつけています。休みの日に一緒にお風呂屋さんに行くのも楽しみの一つ。
普段は早朝、まずお茶を点てて飲む。朝食は夫とコーヒー。その後、玄関の草花に水をやります。千利休が語ったように自然体で生きることを目指しています。
Q.目標はありますか?
中学校の授業で手縫いの基礎となる「運針技術」を身に付けることを提案したいと思っています。10代は吸収も早く、手縫いをすることは手先を使う訓練にもなるので中学生くらいの年齢が適しています。運針は繕いなど生涯を通して必要なことですからね。
縫えば縫うほど上達しますし、ほしいなと思った小物がサッと作れるようになると楽しくなります。
それに将来、和裁も仕事の選択肢として考えることもできますしね。
熊谷職業和装学院
098-862-0275
http://www.riyufuku.com
PROFILE
熊谷フサ子(くまがい・ふさこ)1943年、糸満市(旧高嶺村)生まれ。69年、琉球政府認可「島尻きもの学院」設立。70年社団法人日本和裁士会の和裁士に認定。76年「熊谷職業和裁学院(文部省認可)に改称、同学院院長に。(一社)日本和裁士会沖縄支部支部長。また、沖縄大学地域研究所特別研究員として「縫」について調査、研究を続ける。2014年、現代の名工に選ばれる。
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撮影/比嘉秀明・編集/相馬直子
『週刊ほーむぷらざ』彩職賢美<1151>
第1432号 2014年12月18日掲載
この記事のキュレーター
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編集者
横浜市出身、沖縄で好きな場所は那覇市平和通り商店街周辺と名護から東村に向かう途中のやんばる。ブロッコリーのもこもこした森にはいつも癒されています。「週刊ほ〜むぷらざ」元担当。時々、防災の記事なども書かせていただいております。被災した人に寄り添い現状を伝えること、沖縄の防災力UPにつながること、その2点を記事で書いていければいいです!