[彩職賢美]県内初の女性教頭の吉川文子さん|戦前・戦後と子どもたちの育成に力|fun okinawa~ほーむぷらざ~

沖縄で暮らす・食べる
遊ぶ・キレイになる。
fun okinawa 〜ほーむぷらざ〜

沖縄の魅力|スマイリー矯正歯科

わたしらしく

彩職賢美

2015年11月5日更新

[彩職賢美]県内初の女性教頭の吉川文子さん|戦前・戦後と子どもたちの育成に力

戦前、戦後と国語教師として小・中学校の教壇に立った吉川文子さん(93)。45歳で県内女性初の教頭に就任し、学校運営にも携わった。当時、「女性に管理職は務まるのか」という批判的な声も耳に入ったが、他者への依存や受け身の姿勢を絶ち、自分の規範に従う「自立・自律」を基に「自分の意思を持って交渉する」との信念を貫いた女性管理職の草分けだ。


 

信念貫き女性管理職の道開く

県内初の女性教頭
吉川 文子さん

吉川さんが県内初の女性教頭として、糸満市高嶺小学校に赴任したのは45歳。「子どもが小学生と幼稚園で小さかったこともあり、最初は断った。だが、教員になるべくして教育を受けてきた自分がその誘いをむげにできないと思った」。教師としての使命感が突き動かした。

当時は、男性社会で「女性に管理職が務まるのか」という声が周囲から上がっていた。そんな中で、「男女問わず、管理職としての力量は未知数。女性への偏見を捨ててほしい」と訴えた。それは今後続く女性の後輩の歩む道を考え、教育者としての決断だった。

しかし、女性管理職の道は厳しく、通常三年程度で校長になる男性教員とは異なり、十年間、教頭の職にいた。「周りは私が本当に管理職ができるのかという目で見ていたのでしょう。でも教職のプロとしてプライドがあったから、それを支えに教務に取り組んだ」。

主任制の導入で組合との闘争が激しかった時には、教職員との和を大切にしながらも「自分の意思を持って交渉する」「言いたいことは言う」との思いで、正面からぶつかった。真摯で飾らない真っすぐな人柄に、教職員も納得せざるを得なかったようだ。「女性らしさを大事にしながら、男性と張り合っていけばいい。男性に女性の細やかさを求めるより、女性が男性の大胆さを身に付ける方がやさしい」との思いも。



何度も読み返したという詩歌集を開きながら、自分の好きな詩や格言などを書き留める吉川さん。娘の朝子さん(右)と談笑も=吉川さん宅で

教員を目指すきっかけは、小学5年の時の先生とのやりとり。「先生に『県立第一高等女学校(一高女)を受けたい』と言うと先生が笑顔でうなずいた。入学のパスポートが下りた気分だった」と振り返る。その期待に応え県内で最難関だった一高女に入学。1940年、沖縄県女子師範学校を卒業後、与那城尋常高等小学校で教壇に立った。

戦前の教育は誰も疑問を口にせず、「一億一心」で戦争へと突き進んだ。その過ちを繰り返さないためにも「自分が正しいと思ったら貫く」「人の意見は聞く」という姿勢を大事にした。

1944年、十・十空襲があったその年は北部地域に避難し、戦火を免れた吉川さん。終戦直後は収容所で過ごし、そこには時間を持て余す子どもがあふれていた。そこで偶然、教員の先輩・喜屋武眞榮氏と再会したのを機に名護市嘉陽の青空教室で教壇に立ったことも。戦後は父が居た糸満市に戻り、教員として働いた。

26歳で設計士の夫と結婚。「子育てとの両立は正直、大変だった。夫は特に協力的というわけでもなかったが、子どもが通う学校のPTA会長を引き受けたり、対外的な部分では協力してくれた」と話す。

78歳でパソコンを使い始め、80歳で自分の勉強時間を持ちたいと福祉施設の所長を退いた。「放送大学」の門を叩き、文学や哲学など、5年間受講した。「勉学では、少しレベルの高いことに挑戦することが大事」。それが生きる力になっている。気になる書籍は取り寄せ、目を通すのも日課だ。「自立・自律」をモットーに吉川さんの勤勉さは衰えを知らない。

 

吉川さんのハッピーの種

Q.子育てで心掛けていたことは?

子育てをしながら働くとなると、子どもと仕事にかける比重を同じくらいにしようとすると、難しかった。しかし、子どもたちにはできるだけ心豊かな生活を送らせたいとボーナス時は旅行に連れていき、県外の環境をじかに感じてもらうようにしました。
県内だけでなく、県外の情報も知ってもらいたかった。おかげで、立派に成長したと思います。今では一緒に生活してくれたり、必要なときに駆けつけてくれるので、子どもたちには感謝しています。90歳を超えてからは、自分の誕生日を「子どもたちへの感謝デー」として、ごちそうしています。
 

Q.今の教育についてどう思いますか?

時代が変わっているからか、よく「学校支援」という言葉を耳にします。「自立・自律」をモットーに日々活動してきた私にとっては、時代が変わっても教育のプロとしての気概を持ってほしいと思います。
それと、生徒と先生のつながりが希薄になっている気がします。うれしいことに、わが家には今でも教え子が訪ねてきてくれます。教師みょうりに尽きますね。



PROFILE
吉川文子(よしかわ・ふみこ)1922年、那覇市生まれ。40年、沖縄県女子師範学校卒業。同年、与那城尋常高等小学校に教諭として赴任。
67年、糸満市高嶺小学校の教頭に就任。77年、同小校長。82年、定年退職。83年、県教育センター「こころの電話」相談員に。89年、県教育委員会教育委員となる。97年、沖縄県功労者表彰を受賞。福祉施設の所長なども務めた。一男二女の母。



週刊ほーむぷらざ「彩職賢美」|輝く女性を応援!
今までの彩職賢美 一覧


撮影/比嘉秀明・編集/安里則哉
『週刊ほーむぷらざ』彩職賢美<1191>
第1477号 2015年11月5日掲載

彩職賢美

タグから記事を探す

この記事のキュレーター

スタッフ
安里則哉

これまでに書いた記事:816

編集者
日々、課題ばかりですが、取材ではできる限り、対象者の人間性が引き出せたらと思い、仕事に努めています。食べることが大好き。そのためダイエットにも力を入れたところですが、いまだ実現せず(笑)。

TOPへ戻る