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2011年10月13日更新

命を繋ぐ「採り育む 日々の営み」

海んちゅ写真家 古谷千佳子のフォトエッセー「潮だまり」vol.07




命を繋ぐ

採り育む 日々の営み



秋の運動会シーズンが始まった。私の県外取材に同行させたため、息子は運動 会の練習がほとんど出来なかった。ちゃんと競技できるのであろうか? という 心配を吹き飛ばす、楽しそうな姿に、ほっとした。

「昔は、子供を連れて、熊野や静岡まで半年以上出稼ぎへ行っていた」という海女(現在60歳)から聞いた言葉が耳から離れない。目の前の海だけで海女漁をするようになったきっかけは、子供の小学校入学ということだ。

三重県での海女漁は、アワビをはじめ、海藻などの海の幸を絶やさないために、「口明け」という出漁日を決める制度や、その日の潜水回数、潜水(操業)時間、その日の漁場まで決める地区もある。各々(おのおの)の決まりの中で、自分の仕事をコントロールできるが、採ってなんぼは実力の世界。海女さんたちに「ストレスは?」と聞いてみると「ない」と口々に言う。経済的に自立しているから精神的に自由だ、と。

明治17年にミーカガン(水中眼鏡)ができたことで、「大型の追い込み網漁(アギャー漁)」を中心に、沖縄各県、東南アジア等の諸外国まで進出していった海人(うみんちゅ)達。それよりも少し前の明治10年に三重県の海女達の元へ、ガラスの磯メガネが入ってきた。しかし「アワビなどが見え過ぎるため、乱獲につながる」ということで、以降20年ほど使用を禁止してきたという。

また上半身裸だった海女が白い磯着を着るようになったのは、明治の中頃。大 正期になり、風紀上の理由も加わって定着し、昭和30年過ぎから、ゴム製のウエ ットスーツが着られるようになった。けれども長い時間海中での作業ができるアワビをとり過ぎるという理由で、最近まで使用を禁止していたところもあり、今でも一戸に1着しか許可していない地区や、厚さを制限しているところもある。

女性中心の海女の世界に、今では男海女(おとこあま)も増えてきた。しかし「男はルールを守らないから…」と女たちは言う。道具を進化させ、遠くまで舟を繰り出し、漁場を広げていく男たちと、女の大きな違いは「子どもの存在」ではないか。「食べ物の命をいただくこと」(採取)と「命を守ること」(育児)を同時に行い、縦横の「繋がり」をより感じられる「女性」が作ってきた世界から学び生かすべきものがあると思う。




[文・写真]
古谷千佳子(ふるや・ちかこ)
那覇市在住。海の仕事に従事、スタジオで写真を学んだ後、海人写真家となる。海・自然と調和する人々の暮らしや伝統漁業を主に撮影する。TBS「情熱大陸」などに出演。著書に 写真集「たからのうみの、たからもの」、「脳を学ぶ2」(共著)ほか
http://www.chikakofuruya.com/
 
古谷千佳子のフォトエッセー『潮だまり』
週刊ほーむぷらざ 第1268号・2011年10月13日に掲載

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