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2025年2月27日更新

有限会社プロジェクトZenko 代表取締役 フリーアナウンサー いらみな ぜんこさん|ラジオで56年 童謡を後世に[彩職賢美リターンズ]

30歳の時にフリーアナウンサーとして活動を始めた、いらみなぜんこさん(79)。しばらく仕事が少なくもんもんとした日々を送る中、待っているだけではだめだと奮起し、自分から番組の企画・提案に挑戦し、現在アナウンサー歴56年で7本のレギュラー番組を持っている。「童謡は優しさの文化。優しい文化が優しい社会を創る」をモットーに童謡の普及活動にも力を入れている。

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有限会社プロジェクトZenko 代表取締役
フリーアナウンサー
いらみな ぜんこさん


100歳まで現役で
子どもに童謡を


子どもの頃からアナウンサーの仕事に憧れ、ラジオ局に入社して7年間奔走しましたが、第2子に早産の恐れがあったのを機に30歳で退職。まだまだアナウンサーとして未熟で、もっと続けたい、成長したいという思いが強かったです。幸いなことに出産後まもなく、ラジオ局から番組のオファーをいただきフリーアナウンサーとして活動を始めました。番組は制作から携わり、自分でネタを探して取材、局で編集し、原稿を書いて、翌朝の生放送でしゃべりました。

番組ではニュースも読みましたが、女子アナとしては全国でも先駆けだったと思います。ネタを探すため重い録音機を担いで夜遅くまで国際通りをうろうろしたこともありました。編集作業も夜遅くまでかかることが多かったです。収入も不安定だったけどラジオでしゃべる喜びの方が大きかった。

それでも、フリーになって15年くらいはあまり仕事がなく、もんもんとした日々を送っていました。後輩のラジオ番組を聴くと、「私だってまだできるのに」「私だってアナウンサーなのに」「私はここにいるよ」と叫びたい気持ちでいっぱいになりました。その頃は自分の力にまったく自信が持てず、仕事のオファーをただ待つだけでした。でも、いつか自分の出番がやってくる、その時に自信を持ってやれるように今は勉強の時だと思い、講演会やセミナーを片っ端から受講しました。

先輩アナの言葉に奮起
自ら番組を企画・提案


大先輩のアナウンサーである木元教子さんの講演会では「私はまだ芽なのよね」という言葉に感銘を受けました。当時、50代の木元さんが芽なら30代の私はまだ種だ。もっと成長できる。50代、60代、70代のアナウンサーがいてもいいじゃないかと、この仕事をずっと続けていきたいという思いを強くしました。それは後年の私の「100歳の女子アナがいたっていいじゃない⁉︎」という言葉につながっていきます。また、あるセミナーでは、「人生には愉快な人生と不愉快な人生がある。あなたはどっちを選ぶ」という言葉が心に響きました。愉快な人生を選ぶなら、何をしたらいいのか自分で考えて行動を起こさないといけません。「棚からぼたもち」のように、仕事が来るのを待っているだけではいけないと気づかされた。

講演会で出合った数々の言葉に励まされ、言葉をなりわいとするアナウンサーとして改めて言葉の素晴らしさ、生きる活力を与える力を痛感し、大事に使わなければいけないと思いました。

45歳の時に事務所を立ち上げ、自分で番組を企画し、やったこともない営業に挑戦しました。くすぶっていた15年間の体験がここで生かされました。例えば、今も続いている「あしたへのメッセージ」は、うつ病など精神科の話題を中心とした専門医による情報番組。企画したきっかけは、心が荒れていた時の体験から欧米のように誰でももっと気軽に精神科を訪ねて心のケアができる社会になればという思いから。番組冒頭の「あなたの心模様は晴れ、曇り、それともにわか雨?」という言葉は、当時の私の気持ちを書いたものです。

子どもの心を育む
童謡に込められた願い


40代から童謡を普及する活動に携わっています。きっかけは、チャリティーコンサートで童謡を歌うことになり、音楽教室でレッスンを受けたこと。ピアノに合わせて童謡を歌っていると涙があふれ、とてもやさしい気持ちになりました。当時、心が弱り、荒れて、孤立感を感じていた私を童謡がやさしく包み込み浄化してくれました。童謡のことをもっと知りたいと、「七つの子」の作者として知られる野口雨情の故郷へ取材に出かけました。そこで知った雨情の詩想の根底にあるのは「地球上の全ての者、とりわけ弱者に深い愛を注ぐ」こと。未熟なままで夢を捨てきれず日々を過ごしてきた自分を弱者だと思っていたので、そんな思いが込められた童謡にひかれました。それからは全国各地の童謡ゆかりの地を訪ねました。

童謡を知る世代がだんだん少なくなっていく中で後世に残していきたいと、1993年から「平成の童謡運動」と称して普及に力を入れました。県内外や海外で童謡コンサートや講演会を行い、取材で知ったそれぞれの歌の背景や、込められた愛と平和のメッセージを語ってきました。また、ラジオ番組でも発信してきました。

童謡は、大正時代に文学者や音楽家たちが子どもたちの純粋な心を育みたいという思いで作られました。普及活動を続けるうちに、道徳心や日本人の心が失われつつある今の時代の大人や子どもたちにも童謡は必要だと強く感じました。これからは幼児教育の現場の先生を対象にした講演会で童謡の心を伝え、教育に生かしてもらい、また、学校でコンサートを行って、子どもたちや若い親たちに伝えることもこれまで以上に取り組みたいです。


コンサートで童謡の魅力を発信

コンサートで語り部として童謡の心を伝えて、歌う いらみなさん
(写真提供・(有)プロジェクト Zenko)


いらみなぜんこさんは1993年の童謡コンサートを皮切りに、コンサートや講演会で童謡の普及に努めてきた。2006年に童謡サークルしゃぼん玉(現在は沖縄市文化協会の童謡部)を立ち上げ、昨年12月には沖縄県文化協会から団体賞を受賞した。また、那覇市の首里公民館でもサークルを主宰している。NPO法人童謡の心を広め歌い継ぐ会を設立し、07年から19年まで県内外の団体が童謡を歌う「全国童謡まつり」の企画・運営にも携わった(現在はコロナで中止)。今月9日には、沖縄市文化祭で童謡部しゃぼん玉は、母をテーマにした童謡を中心に、それぞれの歌の背景やメッセージを語り、歌った。いらみなぜんこさんは「面白がりながら仕事も童謡の普及活動も続けていきたい」と話す。

■(有)プロジェクト Zenko
電話 098(932)7736

 

いらみな ぜんこさん
有限会社プロジェクトZenko 代表取締役
フリーアナウンサー

[プロフィル]
いらみな・ぜんこ/1968年ラジオ沖縄にアナウンサーとして入社。75年第2子の出産を機に退職してフリーに。90年広告代理店「プロジェクトZenko」を設立。童謡コンサートや講演活動も積極的に行っている。1945年、沖縄市出身。
 


1992年8月13日号に掲載


撮影/比嘉秀明 聞き手、構成/池原拓
『週刊ほ〜むぷらざ』彩職賢美リターンズ<26>
第1959号 2025年02月27日掲載

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