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2024年6月27日更新

【40th特集】彩職賢美に登場した6人に聞く|「始める」マインド

ほーむぷらざの人気連載「彩職賢美」に登場した1435人の女性の中から、自身で会社を興し、現在もさまざまなジャンルで活躍中の6人にインタビュー。左上の共通する五つの質問から三つ選んで答えていただきました! 起業はもちろん、毎日の仕事やプライベートまで、何かを「始める」際のヒントが満載です。

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彩職賢美に登場した6人に聞く

「始める」マインド

ほーむぷらざの人気連載「彩職賢美」に登場した1435人の女性の中から、自身で会社を興し、現在もさまざまなジャンルで活躍中の6人にインタビュー。左上の共通する五つの質問から三つ選んで答えていただきました! 起業はもちろん、毎日の仕事やプライベートまで、何かを「始める」際のヒントが満載です。


アナウンサー歴56年

㈲プロジェクトZenko
代表取締役
伊良皆 善子 さん(79)

いらみな・ぜんこ 1968年ラジオ沖縄にアナウンサーとして入社。75年第2子の出産を機に退職してフリーに。90年広告代理店「プロジェクト Zenko」を設立。童謡コンサート、話し方教室、講演活動も積極的に行っている。1945年、沖縄市出身。
 

好きな仕事を続けるため、体当たりで

①起業して良かったことは? 
79歳になる今でもラジオの仕事を続けてこれたことです。第2子の出産を機に30歳でラジオ局を退職。当時はそれが普通でした。その後、ラジオ局から番組のオファーがありフリーとして活動しました。仕事が来るのを待っているだけではやっていけないと、45歳で会社を設立して自らラジオ局に番組の企画提案をし、スポンサーを集めました。経営や営業はまったく知識なし。それでも好きな仕事を続けたいという一念で、誠実に、体当たりで取り組みました。

②自信をなくしたり逆境に陥った時の立ち直り方は? 
ラジオ局を退職した時、アナウンサーとして未熟なままで終わりたくない、もっと自分の可能性を追求したいと強く思いました。失敗も多いですが、今の自分に足りないものは伸びしろでもある。人は常に成長できるという思いでやってきました。

③起業したい人へのアドバイス
現状の自分の力ではうまくいきそうにない時、周りの人に助言をもらうのもいいと思います。私は会社を立ち上げたはいいが営業のやり方が分からず、知人によく相談しました。スポンサーとの交渉が進む中で、そのつど助言をもらうようなことも。そんな私に親身に接してくれた知人には感謝しかありません。


◎1992年8月に登場

当時は会社を設立したばかりで、番組の企画提案やスポンサー確保に奔走。現在は童謡に込められたメッセージを語り継ぐ活動にも力を入れている。


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ファッションで世界へ

YOKANG代表・デザイナー
山内 カンナ さん(50)

やまうち・かんな 洋服に紅型を取り入れた山内光子さんが母。仏・沖縄で服飾を学び2002年、染色家の夫とYOKANG設立。紅型の染め技法を取り入れ、手染めにこだわった商品を手がける。22年からカジュアルラインやユニフォーム展開。1973年、那覇市出身。
 

自分の力を信じ、“臨機応変脳”で

①起業して良かったことは? 
①染めの基盤を作るためスタッフとがむしゃらに働いた立ち上げ当初と、②コロナ禍で手染めのドレスが売れなくなって試行錯誤していた際、国産大型インクジェットプリンターと出合い、機械染めによるカジュアルラインへの道が開けた時。どちらもかつてないほど苦労しましたが、壁にぶち当たってもどうすればできるか考えて考えて、一つ一つクリアしていく瞬間が一番ワクワクします。

②失敗を成功につなげるカギは? 
“臨機応変脳”への変換。同業者でもある母の口癖でした。デザインの現場は工程が多く一つ一つが大切で、ミスや問題に常に直面します。そんな時も母は「失敗じゃない。こうすれば逆に素敵なデザインになるよ!」とミスと捉えなかった。以前は都合良くあしらわれている感があって嫌いな言葉でしたが、今は「自分と自分のデザイン力を信じなさい」という意味だと思っています。

③起業したい人へのアドバイス
いろんな人に話して、できるコトから挑戦してみて! 共感してくれたり厳しいアドバイスをくれたり、いろんな反応が返ってくるはず。それを元に試行錯誤する中から自分のカタチが見えてくる。強い思いは人の心を揺さぶり、縁が繋がって、応援してくれる人が現れるはず!


◎2002年5月に登場

当時は手染めのドレスが主だったが、今では古波蔵店限定で循環型アップサイクルも展開。着なくなったドレスを持ち込んで差額を払えば新作と交換も!


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「世界の発明50」に選出

H2L㈱創業者 代表取締役
玉城 絵美 さん(40)

たまき・えみ 2008年、筑波大学大学院システム情報工学研究科修士課程修了。11年、東京大学で総長賞受賞。12年、「ポゼストハンド」を応用したサービスなどを開発・販売するH2L㈱を設立。21年4月から琉球大学教授に。1984年、北谷町出身。
 

年齢に関係なくチャレンジを

①自信をなくしたり逆境に陥った時の立ち直り方は? 
ネガティブ思考を繰り返さないような状況をつくるため、とにかく寝ます。眠れない場合は、瞑想(めいそう)したり、部屋の隅っこを見つめるなど、視覚や聴覚からの外部刺激をシャットアウトした状態をつくります。そうすることで気持ちがリセットされ、問題の整理がしやすくなります。

②起業したい人へのアドバイスは? 
情報集めなど準備に時間をかけることをお勧めします。例えば、気になる会社のビジネスモデルを調べるなど。私は起業までに10年を要しましたが、「もっと調べておけば良かった」などとよく考えていました。しかし、恐れてばかりでは難しいと思うので、年齢に関係なく挑戦することを大事にしてほしいです。若い人はたとえ失敗しても今後の人生の糧になるし、年配の方もこれまでの人生経験が生きてくるはずです。

③仕事を終わって家での楽しみは?
本を読むことが大好きで、1日1冊は寝る前に読んでいます。経営法や自己啓発系から漫画まで幅広いジャンルを読みます。それと、文鳥との会話。文鳥は人間の5歳程度の子と同じ知能を持っていると言われていて、私が話しかけると鳴いて反応してくれるので、とても癒やされています。


◎2015年12月に登場

当時は人の手を制御する装置「ポゼストハンド」を開発し、米「TIME」誌が選ぶ「世界の発明50」に選出され世界中から注目。現在、研究成果の社会実装実現に力を注ぐ。


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インスタで会社設立

インスタグラマー
せっちゃん さん(44)

與那覇世津子(よなは・せつこ) 100均情報を発信するインスタグラマー。フォロワーは57万人超。通信系の会社に勤めながらInstagramに投稿し、収入を得るように。2020年に退職し起業。会社を設立し社員を雇用している。1980年、宜野湾市出身。
 

SNSはラクじゃないけど可能性がある

①起業して良かったことは? 
家族の体調や予定に合わせて仕事が調整できることです。シングルマザーで3人の子どもがいるのですが、会社勤めのころは子どもの発熱で仕事を休むのが心苦しく、本当にストレスでした。

もともとSNSが大好きで、好きなことが仕事に。投稿を作って反応をもらえることがやりがいです。

②失敗から学び、成功につながったことは? 
投稿への反応がイマイチだったら、何が悪かったか反省して改善する。その繰り返しです。動画一つにも、撮影のアングル、場面の変え方、アクションの仕方、録音。試行錯誤を繰り返し、投稿した分の何倍もボツにします。

批判的なコメントも来ますが、仕事なのでへこむことはないですね。感情的にならずサラッと返します。

③SNSで起業をしたい人へのアドバイス
無料でスマホーつででき、ノーリスクなのが利点。ただ、続けることや収益化は簡単ではないので、まずは仕事をしながら半年、1年間やってみて、続けられそうか試すといいと思います。そこからさらに、フォロワーを増やす、稼ぐ、といくつもステップがあります。

私は会社員時代の年収を1カ月で稼ぎ、社員を雇用できるように。楽ではないけれど、可能性があります。


◎2022年9月に登場

当時、「大好きな沖縄を広めたい」と話していたせっちゃんさん。現在、別アカウントで沖縄情報を発信中! 深い反響が、やりがいにつながっているそう。


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中国語を軸に事業展開

㈱スペースチャイナ代表取締役
佐藤 未雲 さん(52)

さとう・みくも 1972年、中国黒竜江省出身。中国人の父と沖縄出身で残留邦人の母の間に生まれ、91年に沖縄に引き揚げる。97年にスペースチャイナ設立。中国語の語学教育、通訳・翻訳、語学マッチング、ビジネスコンサルティングなどの事業を展開。
 

失敗は次のステップのためのもの

①起業して良かったことは? 
創業から27年、中国語を軸に社会の変化に合わせて事業を展開してきました。今、観光や医療の分野で中国語ができる人材のニーズが高まっていて、そうした社会から求められている人材の育成に携わってきたことをうれしく思います。また、近年はコロナ禍の影響でeラーニングに力を入れているのですが、中国語の分野では初らしく、まだまだ新しいことに挑戦できるという喜びがあります。

②自信をなくしたり逆境に陥った時の立ち直り方は? 
中国で生まれ、19歳の時に母の故郷である沖縄に帰国し、日本語も分からない状態からのスタート。よく周りからは苦労をされましたねと言われますが、自身では「労」は多かったが「苦」とは感じませんでした。今日の失敗や困難は次のステップに進むためのもの。「今日が常にベストな日」と前向きに考えるようにしています。

③家に帰ってからの楽しみは
家族との時間です。子どもたちが審査員になって夫と料理勝負をすることも。子どもたちにいいところを見せたいと夫婦で競うのは楽しい。趣味は水泳で、週末に仕事のことはいったん忘れて無心になって泳ぐことでリフレッシュできます。肺活量も鍛えられて、語学の授業で声が出しやすくなり、仕事にもプラスになっています。


◎1997年5月に登場

会社設立当初の中国語の通訳・翻訳、語学指導などの業務から、現在は中国語を生かした仕事と人材のマッチングなど幅広く事業を展開している。


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不動産会社営み25年

とまとハウジングⓇ代表
川端 ゆかり さん(52)

かわばた・ゆかり 短大卒業後、那覇空港地上職、地元情報紙編集、建設会社不動産部勤務をへて1999年とまとハウジングⓇ設立。県内の不動産売買仲介を担い、任意売却と軍用地売買に力を注ぐ。2児の母。趣味は猫とお酒と読書。1971年、浦添市出身。
 

あきらめない+進化と深化を恐れない

①起業して楽しかったことは? 
沖縄クチコミ不動産とまとハウジング®は猫2匹+9人からなる売買専門エージェント集団。相続を伴う軍用地売買などデリケートな案件もあり、答えを一つに絞るのは難しいのですが、①困難と思われることを自分たちの思考や行動で乗り越えた時、②それに対しお客さまから感謝の言葉をいただいた時。自らの責任で決断でき行動したことに対して感謝されるとうれしいですね。起業して25年。細やかな気配りが必要なこの仕事は、実は女性にこそ向いていると思います。

②自信をなくしたり逆境に陥った時の立ち直り方は? 
今もその繰り返しですが、とりあえず「OK」とヤケクソにでも口角をあげて現状を受け入れます。そして、とりあえず寝よう、落ち込むのは問題を解決した後にしよう、と言い聞かせます。挑戦と失敗はセット。あきらめない+進化と深化を恐れないコトが大切。

③キャリアや仕事のために払った最大の犠牲は?
自分は何者かと問われたら「働く母さんです」と答えますが、行動、移動共に多く、子どもたちには小さな頃から寂しい想いをさせています。後ろ髪をひかれ仕事に行くこともありましたし「一体、何のために頑張っているのだろう」ループに入ったことも。それはスタッフにも反面教師にしてもらっています。


◎2013年9月に登場

「どんな状況にも光を見つけたい」と競売になる前に所有者の意思で不動産を売却できる任売に早くから注力。現在は離婚に特化した不動産相談にも対応。


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『週刊ほ〜むぷらざ』
第1925号 2024年06月27日掲載

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