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彩職賢美

2025年10月16日更新

夢だった教職に就くも過労で心身不調に 中医学との出合いで変わった41歳女性の人生[彩職賢美]

沖縄市で薬膳教室を開く古堅知恵理さん。教職時代に過労で体を壊したのをきっかけに中医薬膳を学び、自らの体質改善と出産を経験した。脳性まひの息子や家族の健康を支えるため、さらに学びを深め、国際中医師の資格も取得。心と体のバランスを整える中医学の知恵を広く伝えている。

感謝して口にする食が最高の薬

国際中医師・国際中医薬膳師
「ぬちぐすい薬膳」主宰
古堅 知恵理(しえり)さん

 

中医学の叡智を
分かりやすく伝え

 子 どものころからの夢をかなえ、高校の国語教師をしていた古堅知恵理さん(41)。全力で生徒に向き合い、毎日、早朝から深夜まで仕事に励んだ。その結果、体調を崩し休職することに。「心は元気なのに、体がボロボロ」だった。そんな時、母に勧められ中医薬膳と出合った。

「中医薬膳を学びはじめると、原因不明だった数々の体調不良の理由がパズルがはまるように解けていったんです」と古堅さん。不調は次第に整い、長らく悩んでいた無排卵も改善。第1子を授かることができた。しかし、妊娠23週目の早産で、体重わずか610グラムの長男を出産。命の瀬戸際に立つ息子を前に自責の念で思考がいっぱいになることもあったが、退院するころには「生きているだけでありがたい」と思えるようになった。離乳食が始まると、学んだ中医薬膳の食養生をフル活用し、息子の命を支えた。

悩んだ末、教職は退職。古堅さんは中医学の学びを深めるため北京中医薬大学日本校(当時)に入学。国際中医師の資格も取得した。

中医学では、まだ病に至らない「未病」の段階で調整するのが名医の務めとする。「中医学の基本はバランス。陰と陽のバランスが整うことで心身の健康は保たれる」と説明する。家庭では、息子の体調変化を舌の状態や表情から読み取り、食材を選んで調整している。重い医療ケアが必要な子どもにも、食材を煎じたスープやエキスが役立つことは多いという。「薬膳は誰にでも、どのような状況にも寄り添う知恵。薬草を用いた特別な料理ではなく、身近な食材をその人の状態に合わせて組み合わせる。どんな食事も、おいしく、楽しく、ありがたくいただけば薬になる」と説く。ある特定の食べ物を悪として嫌悪感を抱くより、感謝と喜びを持って口にする食事が、巡りを整え健康へと導くとし、「『作って食べる』ではなく、『選んで食べる』ことができれば上出来。気負わないことが大切」と笑顔を見せる。
 
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2人の子どもたちも成長し、学校へ通うようになった。古堅さんは昨年から薬膳教室「ぬちぐすい薬膳」を始めている。

教室名の由来は、99歳まで1人暮らしで畑仕事をしていた曽祖母にある。友人が差し入れた料理を食べた後、「くすいないびたん(薬になりました)」と感謝を伝えていた。「戦後の食糧難を生き抜いた世代にとって、どんな食材も命を養う尊い糧だった」と古堅さん。「沖縄の言葉には、食べ物を薬として受け取る文化が息づいている。それを大切にしたい」と語る。

教室では調理実習はせず、講義とともに自身が用意した薬膳料理を受講生と囲む。「月に数回、誰かが作った食事をゆっくり味わうだけで、心と体が整うことを伝えたい」と自身の経験を生かす。受講した夫婦は「互いの体調を気づかう会話が増えた」「人生が豊かになった」と喜ぶ。

古堅さんが目指すのは、家庭ごとに「食医」がいる社会だ。「食医は日々の食事を通して体調を観察し、必要な食材を選べる人。食医が増えれば、家庭から地域全体の健康が広がる。薬膳を学ぶことは自分や家族のケア、老後の生涯学習、親子の楽しい会話にもなる」と瞳を輝かせる。

「わかりやすい、おもしろい、もっと知りたい、という声を聞くたび、喜びを感じます」

かつては国語教師として、今は国際中医師や薬膳の講師として、古堅さんが知識を伝えるその先には、学びから新たな視点を得て、豊かな人生を築く人々の姿がある。


 周りの支えに感謝 
笑顔を大切に生きる古堅さん家族。後列左から時計回りに、月綺(つき)さん、寿也さん、知恵理さん、陽寿さん(古堅さん提供)

生まれてすぐの子が死ぬかもしれないという不安の中で名付けた陽寿(はるき)という名前。夫の寿也さんが太陽の「陽」を、古堅さんが長寿の「寿」を選び、「元気になって1日でも長く生きられるように」と願いを込めた。

出産直後も、1歳の定期検診で脳性まひと宣告されたときも、罪悪感で苦しみ、泣く妻に寿也さんは「自分が生まれてきたことでママがシクシク泣いてたらどう思うかな。生まれてきてくれてありがとう、陽寿がいてくれてうれしいよ、陽寿のおかげで幸せだよって、ママがニコニコしている方が陽寿はうれしいんじゃない? 陽寿の幸せのためにも、自分たちが笑顔でいられる方法を考えていこう」と話した。

古堅さんは「自分のものさしで息子の幸せを測っていたことに気付かされ、その後の生き方が変わりました。笑って過ごせる方法を考えるようになり、無理だとあきらめる前にまずはチャレンジしたり、人に頼ったりすることができるようになった。家族や医療・福祉の関係者、ママ友など支えてくれる人々のおかげで、自分と今を大切に生きられるようになりました」と優しい表情を見せる。

 NICU待合室に希望のパネル 
古堅さん夫妻は「陽寿 Story~158日間の入院生活」のパネルを手作りし寄贈した(古堅さん提供)

古堅さん夫妻は、陽寿さんの出生から退院までの158日間を記したパネルを手作りし、南部医療センターに寄贈。パネルはNICU(新生児集中治療管理室)の待合室に掲示されている。「私自身、退院した他の子どものことを伝える掲示物にすごく励まされた。息子のような23週の早産は生存率が低い。もし息子が生きて退院できたら、必ず自分も作ろうと思った」と話す。入院中の身体や体調の変化、受けた治療などを写真や看護師との交換ノートの記録をもとに作成。パネルを見た人たちから人づてに「希望が湧き励まされた」と感謝の言葉が届いている。

12歳になった陽寿さんは、最新の再生医療にも取り組み、身体機能や認知機能に大きな改善が見えてきている。その姿もまた希望の光を放つ。しかし、在胎週数28週未満は「産科医療補償制度」の対象外で、経済的支援を受けられないこともあり、治療費の負担は大きい。古堅さんは「どんな命も平等に支えられ、家族が治療を選択できる社会になってほしい」と語る。
 
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プロフィル/ふるげん・しえり
1984年生まれ。読谷村出身。千葉大学を卒業後、国語教師として県立高校に勤務。28歳で第1子を出産し、32歳で退職。宮國由紀江さんが主宰する「薬膳琉花」で薬膳を学び、2015年に国際中医薬膳師の資格を取得。17年に第2子を出産。18年に北京中医薬大学日本校(現:日本中医学院)に入学。卒業後、23年に国際中医師の資格を取得。24年より薬膳教室「ぬちぐすい薬膳」を主宰。趣味はパステル画、お花、書道。


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今までの彩職賢美 一覧
撮影/比嘉秀明 取材/赤嶺初美(ライター)
『週刊ほ〜むぷらざ』彩職賢美<1451>
第1992号 2025年10月16日掲載

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