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2023年10月12日更新

[沖縄スポット]集落守る丘の御嶽と石獅子|南風原町照屋|シマ散策(19)

地域の人におすすめのスポットを案内してもらい、その地の魅力を再発見する企画。今回は、南風原町照屋を訪ねました。まち歩きツアーでガイドを務める大城敏雄さん(89)に御嶽(ウタキ)や石獅子がある小高い丘「デームイ」などを案内してもらいました。

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集落守る丘の御嶽と石獅子  【南風原町照屋】


南風原町の中央付近に位置する「照屋」。ガイドの大城さんは「南風原町は、琉球かすりや南風原花織など織物の産地として知られていますが、照屋もかつては織物が盛んで、昔は各家に織り機があって女性たちが副業としていました」と話す。集落の北側は傾斜地で、ノロ(神女)が祭祀(さいし)を行った「照屋ノロ殿内」がある。「この辺りは照屋集落の始まりの家(ムートゥヤー)が集まるところ。集落はまず北の傾斜地にできて、だんだん南の平たん地に広がっていったそうです」と説明する。

照屋ノロ殿内からほど近い場所にある小高い丘「デームイ」は、15世紀の三山統一以前、琉球の戦国時代にのろし台や見張り台として使われたといわれる。「頂上の平たん地・デームイ毛(モー)には御嶽(うたき)があり、照屋の守り神が祭られ、織物に携わる人たちが首里の弁ノ御嶽を拝むためのお通し(遥拝所)もあります」と話す。御嶽のそばには北に顔を向けた石獅子がある。「昔、照屋と南北で接する本部集落では火返し(火難の厄よけ)のために集落から南の方向にある八重瀬岳に向けて石獅子を置きました。その石獅子がちょうど照屋の方を向いていたため、それに対抗して照屋では石獅子を本部に向けて置いたという言い伝えがあります」と話す。



小高い丘「デームイ」。松などうっそうと木々が茂り、野趣を感じさせる

デームイ毛(モー)にある石獅子。学校建設のために現在の場所に移された
デームイ毛(モー)にある石獅子。学校建設のために現在の場所に移された

デームイ毛にある御嶽。今も地域の人に信仰されている
デームイ毛にある御嶽。今も地域の人に信仰されている

「照屋ノロ殿内」。集落を守護する神々を祭る
「照屋ノロ殿内」。集落を守護する神々を祭る

井戸「ユンヌカー」。かつてはくぼ地の底にあったが、今は埋められ現在の形に井戸「ユンヌカー」。かつてはくぼ地の底にあったが、今は埋められ現在の形に


力比べをした広場

南の平たん地にある公民館の敷地は、ナガ毛と呼ばれるアシビナー(神聖な広場)で、戦前はその周辺にサーターヤー(製糖工場)が7軒立ち並んでいたという。ナガ毛にも照屋の守り神などを祭った拝所があり、遠く今帰仁にルーツがある人たちの遥拝所でもある。「戦前までは、ここで青年たちが大きな石(力石)を持ち上げて力比べをしました。一番大きい石は71キロもあり、それを持ち上げられる人は集落でも1人いるかどうかというくらいで、大変もてはやされました。先輩は後輩に石の持ち上げ方のこつを教えました」と話す。

照屋は井戸が少なく、水は貴重だったという。照屋の井戸の中でも「ユンヌカー」は、水がきれいで飲料や正月の若水に使われ大事にされたそう。「洗濯などはほかの井戸でやりました。日照りで水不足の時は、井戸のそばに見張り小屋を建てて水場を管理していたそうです」と話す。


ナガ毛(モー)にある拝所に祭られている神様について説明する大城さん
ナガ毛(モー)にある拝所に祭られている神様について説明する大城さん




案内してくれたのは

大城敏雄さん
南風原町観光協会が主催する「まち歩きツアー」で、地元ガイドを務める
電話=098(882)6776


取材/池原拓
『週刊ほ〜むぷらざ』シマ散策 

第1888号 2023年10月12日掲載

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