[沖縄スポット]シマ散策⑧|宜野湾市嘉数|fun okinawa~ほーむぷらざ~

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2022年6月16日更新

[沖縄スポット]シマ散策⑧|宜野湾市嘉数

地域の人におすすめのスポットを案内してもらい、その地の魅力を再発見する企画。今回紹介するのは、宜野湾市嘉数。宜野湾市文化財ガイド察度の会のメンバーに、集落内に点在する拝所や井戸などを案内してもらいました。

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信仰と戦跡残る拝所群 【宜野湾市嘉数】

嘉数は市の南西部に位置する石灰岩の台地にあり、琉球王府によって編さんされた歌謡集「おもろそうし」にもその名が登場する歴史ある地域。沖縄戦の激戦地でもあり、それを物語る戦跡が数多く残っている。

まずは集落の北側にある丘、ウィーヌヤマ(上ヌ山)へ向かった。集落で最も重要な聖地で、現在は嘉数高台公園として整備されている。頂上を目指してゆるやかな坂道を上へと歩く。宜野湾市文化財ガイド察度の会の國吉真由美さんは「昔は石垣がありましたが、首里城の石垣を作るため王府に農民たちが石垣の石を献上したといういわれがあります」と説明する。

頂上には祠があった。戦後に作られたもので、祠の後ろにある石がご神体だという。嘉数では、旧暦3月3日の豊作物の御願、8月10日のコウヌスージ、9月御願、12月24日の御願解きなどの年中行事でウィーヌヤマをはじめ、集落内に点在する拝所を回って拝んでいる。

公園の遊歩道を下りる途中に沖縄戦で使われた旧日本軍のトーチカ(防御陣地)が残されていた。察度の会の伊波義雄さん(85)は、「戦前のウィーヌヤマは松の木の名所でしたが、沖縄戦で日本軍によって切り倒され、壕を補強する資材などに使われました。ちょうど今歩いている道は当時は弾薬を運ぶための通路で、松の木の枝で覆って敵に見つからないようカムフラージュしたそうです」と話す。今は遊歩道のそばにはカンヒザクラが植えられ、桜の名所になっている。



ウィーヌヤマの頂上にある祠。祠の後ろにはご神体の大きな石がある

変わる集落の景色
ウィーヌヤマを後にし、集落内を巡って、かつてノロが祭祀を行ったトゥン(殿)や、厄払い行事するカンカー石、航海の安全を祈願したトーバルヌヤマ(桃原ヌ山)などの拝所を案内してもらった。伊波さんは「トーバルヌヤマは昔は海が望めるほど見晴らしがよかったが、今は高い建物に遮られています。集落内も石垣などの昔ながらの沖縄の風景は少なくなりました」と振り返る。

集落の南側にある洞穴、ティラガマも大事な拝所の一つ。國吉さんは「普天満宮の祭神になった首里桃原の美女が、家を逃げ出した際に休憩した場所といわれています」と話す。時代は変わっても地域の人が伝統や信仰を大事に守り継いでいるのが感じられた。

帰り道に子どもが産まれた時に産水をくんだ井戸、アガリガーを通った。琉球石灰岩の洞穴が陥没してできたものだそうで、自然が偶然に作り出した造形が興味深かった。



アガリガー。子どもが産まれた時にウブミジ(産水)をくんだ井戸で、正月にはワカミジ(若水)をくんでいた。琉球石灰岩の洞穴が陥没してできた、すり鉢状のくぼ地になっている


ティラガマ。国道330号のすぐそばにある。戦時中は避難壕として利用された。普天満宮の女神ゆかりの地


カンカー石。旧暦8月10日に厄払い行事「コウヌスージ」で牛を屠殺して供え、残りは集落で分配した


トゥン。敷地内にジトゥーヒヌカン(地頭火ヌ神)があり、ノロが集落の火の管理をしていたという





案内人

宜野湾市文化財ガイド察度の会
会長 國吉真由美さん

宜野湾市内の史跡や戦跡のガイドをしている


『週刊ほ〜むぷらざ』シマ散策   (池原拓)
第1819号 2022年6月16日掲載

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