緑の山に舞い降りて 佐賀の新緑の香り|新城和博さんのコラム|fun okinawa~ほーむぷらざ~

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新城和博

2023年5月10日更新

緑の山に舞い降りて 佐賀の新緑の香り|新城和博さんのコラム

ごく私的な歳時記Vol.106|首里に引っ越して20年。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、これまでの概ね30年を振り返りながら、季節の出来事や県産本の話題をつづります。

まったくのワタクシゴトであるが、4月のおわりから5月のはじめにかけて、佐賀を訪れた。新型コロナウイルスの日々、その記憶が薄れてしまったわけではなかったが、人気(ひとけ)の少ない時と場所を求めて、そろりそろりと旅をしたのだった。仕事以外で島を離れて旅行するのは実に久しぶりである。



Uという温泉街に泊まった。宿は川沿いの老舗の旅館であったが、モダンな雰囲気にリニューアルされていた。リスニングルームには膨大なレコードと音楽の本。ビートルズ関連の充実ぶりに、おーいぇとつぶやく。貸し切り状態だった大型浴場を出ると、地元で暮らしている方々が選書した、実にさまざまな趣味、嗜好(しこう)の本が並ぶ本棚エリアが。ここも揺り椅子の貸し切り状態で、久々に出合った「迷走王 ボーダー」を読みふけった。


​飛行機、快速列車、新幹線、駅前からのタクシーを乗り継いでたどり着いた山間は、どこもかしこも新緑。原色としての濃い緑で覆われている沖縄と違う。爽やかな緑の里山が続く景色も味わい深かったが、なんといってもうれしかったのが、新緑の香りである。



山に入らなくても、温泉街を歩いているだけで、春の樹木の香りが漂ってくるのである。うまく例えようもないのだけれど、できたてのパンを想像するときによみがえるふわったとした匂いというか、やさしさに包まれたならきっとこんな香りなのではないだろうか。人通りのない小径を歩きながら、自然にマスクを外していた。




この新緑の香りは、レンタカーで山の中を移動しても、畑の中を通っても、道路沿いの集落の中でさえも感じた。多分地元の方々は当たり前の季節の訪れとして、この香りを自慢することはないだろうが、ぼくは昔あった「空気の缶詰」ってこういうことかと思った。この季節、佐賀の里々に来たのは初めてではなかったのに、どうして今まで気がつかなかったのだろう。


宿を出て、お茶をテーマとした観光施設で、たまたま手にした簡単な観光案内の地図で、山の中の展望台と太古からのすがたを残して「化石の木」といわれる原生林の森を見つけた。穴場かもしれないと思い、さっそくドライブ・マイ・レンタカーした。




ナビ通りに進んでいったが、まったく他の車とすれ違わず、きれいな新茶の段々畑で作業する人以外誰もいない。たどり着いた山中の広場には、ほんとうにワタクシたち以外、誰もいないというシチュエーションになった。観光案内の地図に載っていて、迷ってないはずの林道なのに。昨日まで知らなかった森で、たった2人だけ。

すこし湿りだしてきた空気の気配を感じつつ、深く深く深呼吸してみた。やさしさに包まれた香りがそこかしこに漂っていた。




数日後。清明の続く沖縄、首里に戻るとテッポウユリが咲き始めていた。さっそく弁が岳を散歩する。御嶽のそばによくあるクロツグの花が咲いていて、ぷわんとした甘い香りを漂わせていた。雨の季節を待つ小さな森の緑は濃く、道ばたに咲くテッポウユリに顔を近づけると濃厚な匂いが鼻の奥を刺激した。



そして、どっちが先かなと思っていたが、沖縄の梅雨の訪れより先に、WHOは3年ほど続いた新型コロナウイルスの緊急事態宣言の解除を発表したのでした。

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ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。

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