えびす通りで黒ビール|新城和博さんのコラム|fun okinawa~ほーむぷらざ~

沖縄で暮らす・食べる
遊ぶ・キレイになる。
fun okinawa 〜ほーむぷらざ〜

沖縄の魅力|スマイリー矯正歯科

COLUMN

新城和博

2022年12月8日更新

えびす通りで黒ビール|新城和博さんのコラム

ごく私的な歳時記Vol.101|首里に引っ越して20年。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、この20年も振り返りながら、季節の出来事や県産本の話題をつづります。

えびす通りで黒エビスを飲む。コロナ禍のなかでのひそやかな楽しみだった。

おなじみ開南バス停からサンライズ那覇通りの坂道を下り、水上店舗の連なる太平通り、新天地市場通りをまたいで、浮島通りを横切ると、すぐの左手斜めに入り口がある。そこが、えびす通り。

小さい頃は、母親と一緒に市場に買い物に行くと必ずといっていいほど、その入り口にあった紳士服店に立ち寄った。島の同郷のひとがやっている店だ。えびす通りは特に衣料、布地関係の店が並んでいた記憶がある。思い出すときはいつもきまって土曜日の夕方の雰囲気。きっとオトナのゆんたくに飽きて、早く家に帰ってテレビでも見たかったに違いない。

そのころから木造アーケードがあった。那覇でもっとも古いアーケード横町なのである。ビニールトタンの薄い日差しが差し込むアーケードは、ここ数年雨風が吹き込むようになっているが、まるで昭和の映画セットのように、この小さな通りの時間を少しだけ巻き戻している。




牧志公設市場かいわいに立ち飲み・センベロブームがおこったのは2016年に、足立屋という東京下町の雰囲気を醸した立ち飲み屋が出店してからだ。それ以前は、アーケードの下の商店街に居酒屋や飲み屋というのはあまりなかった。アーケード商店街は昼間の街だったのだ。昼飲みという文化がなかった。しかし足立屋の成功は「アダチアン・ドリーム」と一部で名付けられ、気がつけば公設市場周辺を中心に、水上店舗やサンライズ那覇商店街などにぞくぞくとセンベロの店がやってきた。飲食店がなかったえびす通りにも少しずつ飲み屋が増えて、気がつくと、両側のほとんどが飲み屋という通りになっていた。見渡すと、ふとん屋も靴屋もボタン屋も衣料品店も、みんな居酒屋、飲み屋になってしまった。

ぼくが好んで立ち寄ったのが、えびす通りのまんなかの十字路の角地にある生ビールスタンドのお店。カウンターはそのまま通りに面していて8人も座ったら満席になる。沖縄ではあまり見かけない生ビールが数種類置かれている。週末の用事を済ませた夕方、または映画を見たあとの余韻をもてあましているとき。ふらりと立ち寄り、エビスの黒ビールを飲むのを無情の楽しみとしていた。というか、この店で黒ビールの味に目覚めたのだ。

アーケードの下で感じる春夏秋冬の風と湿気のなか、お客さんは地元のような旅人のような、常連のような一見さんのような、そんな雰囲気。ぼくはひとりちょこんと混ざってカウンターへ。打ち上げも懇親会も断ってきたコロナ禍でも、なんとなく立ち寄れたのは、オープンスペースだったからだ。毎回決まって黒ビールを頼んでいたので、知らないうちにお店の人に「メン・イン・ブラック」と呼ばれていた……。

家路につく、ほんの少しの時間、なんでもない時間を満たしてくれた黒ビールをちびちび味わう。なじみのお客さんがカウンターの向こう側に合図する。聞き耳を立てなくても聞こえてくるいろんな会話。持ち歩いている文庫をめくりながら、酔いが回ると次第に何を読んでいるのかわからなくなる。そういうあんばいになったら、そろそろ切り上げの時間だ。

さあ、ゆいレールに乗って、首里に帰ろう。

 
 

新城和博

タグから記事を探す

この記事のキュレーター

キュレーター
新城和博

これまでに書いた記事:90

ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。

TOPへ戻る