誰もいない海のバニシング・ポイント|新城和博さんのコラム|fun okinawa~ほーむぷらざ~

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COLUMN

新城和博

2022年10月7日更新

誰もいない海のバニシング・ポイント|新城和博さんのコラム

ごく私的な歳時記Vol.99|首里に引っ越して20年。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、この20年も振り返りながら、季節の出来事や県産本の話題をつづります。

遠出をすることが極めて少なくなったのはコロナ禍の影響だ。すっかり外出そのものにおっくうになった自分がいる。テレビで見るイベントの人出を見て、なんだか違う世界、パラレルワールドにいるみたいだと思いつつ、月日は過ぎていく。

それでも夏の終わりの連休には、えいやっと重い腰をあげて、行く当てもないままドライブした。イメージは、誰もいない海――。ふたりの愛を確かめたくなるには遅すぎる世代になってしまったが、せめて夏の終わりくらいは味わいたいのだ。

できる限り人がいない浜辺という条件を満たす海岸というのはなかなかないだろうと思いきや、今回はいろいろ探しあてることができた。



ここ数年妙に落ちつく沖縄島東海岸沿いを北上。沖縄島で歳を重ねていくと、東海岸がしっくりくるようになるのだ(たぶん)。観光施設はもちろんなくて、知り合いがいない限りぜったい訪れることのない集落の、かぎりなく農道に近い脇道にそれていく。車がすれ違えるかどうかというところまできて、心を決めてそろりそろり入っていくと、まあだいたいは行き止まりなのはしょうがないが、意外なほどきれいな浜にでることがたまにある。

人がいた気配はするのだ。でもいまは誰もいない。ちょっとしたゴミや、車1台分ほどの防風林の切れ目、段差に置かれたブロックの階段。それはだいたいおじさんの気配である。どこにも居場所のなくなったおじさんたちは、ひとり海を眺めに、そういう隠れ家的な海岸をひそかに持っているのである。多分夜中、もしくは夕方やってくるに違いない。

そしてそういう眺めの場所に、ときおりぽつんと椅子が置かれている。だれかが自分ひとりのために、おうちから持ってきた椅子、でも知らない誰かが座ってもいい椅子。雨風にさらされても気にしない、たぶんおうちでは使わなくなった椅子だろう。行き場のないおじさんのもうひとつの分身かもしれない。



みなさん、知ってましたか。おじさんは行き場がないんです。

ぼくも試しに座ってみる。広がる浜辺の風景はやはり極上のもの。だれもいないというそれだけで得した気持ちになる。そしてその椅子の持ち主のことをふと思う。いったいどんな気持ちでこの海を眺めているのだろう。釣り人ではないのだ。彼らはもっとぐぐっと海に接近するし、釣りざおをはめ込むためのセッティングは岩場にダイレクトに仕込んでいたりする。おじさんの椅子は浜からすこし離れて置かれているのだ。



ぼくはそのおじさんの視線と重なることを意識しながら、誰もいない海をしばらく眺めた。その椅子は、誰にもしれられずに、おじさんがこっそり持ってきた。それはきっと彼の人生のバニシング・ポイント(消失点)だ。そっと消え去りたいと思いつつ座ってそこからの景色を眺めていたい。

誰もいない海にぽつん置かれた椅子ひとつ。そんな妄想だけが広がっていく。
 

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ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。

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