やんばる・オン・マイ・マインド 1980-2025|新城和博さんのコラム|fun okinawa~ほーむぷらざ~

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新城和博

2025年4月24日更新

やんばる・オン・マイ・マインド 1980-2025|新城和博さんのコラム

ごく私的な歳時記Vol.125|首里に引っ越して30年ほど。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、季節の出来事や街で出会った興味深い話題をつづります。

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 遠くに行きたいけど、近場ですませたい。

 そんな初老の気分が続く中、ひさしぶりに山原に向かった。仕事ではあるが、那覇から北部に向かう、しかも名護を越えて「やんばる」が目的地だと、自然にテンションがあがる。那覇や南部・中部に住む人はおおむね、そういうこころ持ちになるかと思う。

 名護の市街地を越えて、旧羽地村(名護の仲尾次・田井等あたり)を過ぎ、今帰仁村の分岐を曲がらず北へ、海沿いの一車線道路がうねうね曲がり続くようになると、「やんばる」に来たという気持ちがふわぁと広がる。左には、重ね餅のように青き海に浮かぶ古宇利島、右手には深き森がヒダのように迫り、遠くにひろがる山々が視界に入ってくる、あのあたり。
 

大宜味と国頭の境あたり

 ロング・タイム・アゴー……。ぼくが高校生のころ……、沖縄が「復帰」して交通法規が日本式になった「730(ナナサンマル)」から二、三年の時期……、連休や春・夏・秋・冬の休みごとに、那覇から北部の山々目指してヒッチハイクしていた。当時ワンダーフォーゲル部(通称「ワンゲル」)に所属していて、重いザックを背負い、やんばるの山歩きをしていたのだ。
 
 そんなことを同乗していた、ひと回り半ひねりほど年齢の違うライターの方に話すと、そんなに車に乗せてもらえたんですかと聞かれた。当時、日本全国あちこちに、バックパッカーとして旅する若者がいたから、けっこう普通に乗せてもらえたのだ。まぁ数時間停まらないこともあったけど、それもまた楽しかったような記憶もあるし。
 

1980年ころ愛用していた地図とコンパス

 高校二年生の春休み、ワンゲル部の春合宿として、大宜味村から山には入り、東村、国頭村の山々を縦走して、最北の奥集落まで歩いたことがある。こうした山歩き、キャンプすることを「ワンデリング」と言っていた。国土地理院の25000分の1の地図に手書きでルートを書き入れて、奥深いの山道を歩いていた。もちろん何度も迷い、ハブにも出会った。五泊六日、ずっと山の中にいたのだ。


 ちなみにこんなコース。

 (大宜味村)ネクマチヂ岳 → メシ滝(大保川上流)→ 玉辻山(東村)→ 伊湯岳(国頭村、以下同)→ 与那覇岳 → 牛首山 → 横断道路 → 伊武岳 → 我地林道 → 辺野喜川上流 → 西銘岳→奥

 このあと、再びヒッチハイクして奥間から与那覇岳近くの琉球大学ワンゲル部の山小屋に登っている。15歳から17歳の若者は元気だったのだ。

 その時の記録を綴ったノートがいまも手元にある。合宿のあと、三年生になってしばらくして思い起こして書いたものだ。二週間ほどかけて書いた、と「あとがき」に記してあった。

 午前5時に那覇泊高橋からヒッチハイク開始して、途中名護のA&Wで朝ご飯を食べて、九時頃には大宜味に到着している。名護から大宜味までのヒッチハイクの様子はこんな感じ。1980年3月20日の朝。

〈もう町は活気にあふれていた。みんなぼくたちの方を見ていく。あっ快感、ってわけでもないがもうすでに慣れたのも確かだよ。なぎさ食堂をとおりぬけて、さぁヒッチ開始。ぼくは名護病院前をよく使います。ここも愛着があってね。ここからは楽だもんね。すぐ停まったので乗りこむ。もう心は山原だ。もうすぐ海が見えてきて、おなじみの景色。そしてあらたな旅の始まりでもあるような……〉。

〈大宜味着。ついた、ついた。海浜でFは、はしゃぐ。ぼくは寝る。Mは……。海が心地よい。しばらくはこのままで。ここからぼくたちのワンデリングがはじまるのだから。もう心は山の中だよ。山を前に緊張してくるな。北にははるか辺戸岬が見える。では出発(でっぱつ)。まずはネコマチヂ岳。〉
 

2025月4月の大宜味
 
 いまだにやんばるに行くと、その時の光景・高揚感が重なってしまう。もう何十年も山の中をさまよい歩いていないのに、ぼくのこころの奥底の基層として、北部へのヒッチハイク、ワンデリングの記憶がある。時々、身もだえしながら、そのふわりとあまずっぱい感触が浮上してくるのだ。

「思い出」というのは、遠くに行きたい、近場ですませたいものにとって便利でやっかいなものである


 

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ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。

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