新城和博
2024年10月29日更新
本がある場所が「本屋」なのだ|新城和博さんのコラム
ごく私的な歳時記Vol.121|首里に引っ越して20年。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、これまでの概ね30年を振り返りながら、季節の出来事や県産本の話題をつづります。
いろんなところで本を売っている。仕事としても、趣味としても。
沖縄の書店には、わがボーダーインク刊行の本が棚にずらりと並んでいる。書店への配本、納品は、ぼくも長年やっている。その本屋で新刊が出るとトークイベント、サイン会をして本を売ることもある。これらは通常業務だ。著者の講演会は確実に売れるので、ばたばたしていても楽しい。
最近は減ったが、出版記念会と称して、ホテルなどの宴会場で、本の販売をすることもあった。著者の家族や知人など数十人でこぢんまりとした誕生日のようなものから、100人規模の生年祝い(とぅしびー)のような雰囲気まで、いろいろあった。著者の社会的な地位、人柄がよくわかるのである。ある郷友会でさいごにみんながクイチャーを踊ってるなか、本を売ったこともある。
この夏は、某エフエム局の創立記念ライブ会場のブースで売った。復帰後の沖縄音楽を振り返った特別番組を書籍化したのだ。4千人規模のライブ。となりのブースの公式Tシャツが飛ぶように売れていた。そういえば10年ほど前にこの会場がボクシングの試合があって、そこでは、チャンピオンになれなかった沖縄出身のボクサーたちを描いたノン・フィクションを販売したのだが、みんな試合に夢中で、1日中いて1冊しか売れず、ノックアウトだったなぁ。
考えてみれば、市場のアーケードの下で、駅弁スタイルの移動販売もしたし。パン屋やビール・バー、ミニシアターで1日だけの本屋さんもやった。
今年の雨の多かった夏のある日に、わが社の在庫を置いている貸倉庫で販売してみた。ガレージセールである。これは前々からやってみたかったのだ。出版社の在庫倉庫って読者の興味をひくのでないかと思ったのだ。はじめての試みである。事務所は、通称「電柱通り」にあるが、倉庫ははそこから歩いて5分24秒ほどの「ガラス工場通り」にある。いずれも初めて来ると行きすぎてしまうような迷路感のあるところ。
いつもは閉じたままのシャッターをガラガラとあげて、ひとり、パイプ椅子に座り来るかどうかわからない客を待つ。この日のために、というか、いつか使うこともあるかと思い取っておいた「沖縄県産本フェア」の看板を下げてみた。今年5月に閉店してしまった「リブロリウボウブックセンター店」で、20年にわたり行われていた、県内最大規模のフェアで使われていたもの。沖縄にある出版社が一同に介したフェアのいろんな思い出がある看板。閉店時に捨ておかれそうになっていたのを、いつの日か掲げる時もあるかとおもい、個人的に引き取っていたのだ。わりと感傷的な気分で。こんなに早く使うことができるとは。ボーダーインクの本はすべて「沖縄県産本」なので、この看板を(こっそり)掲げてもいいだろう。
意外なことに、客は来た。いや来るとは思っていたのだけど、わざわざ県外からきたり、迷いながらもたどり着いた人、長年ボーダーインクの本を手にしていた人、向かいのアパートの住人などなど。さまざまな興味を持ってやってきた読者と、在庫の棚を案内したり、バーゲン本や、自分で書いた本を手にしつつ、いろいろおしゃべりが出来たのだ。平日昼間、すこし雨交じりの通りは、いつもとちがい少しだけにぎやかになった。通りすがりの方が、ここは本屋だったんだ、いつもシャッターがおりているからなんだろうと思っていたよと、長年の疑問がとけたようである。出版社だって本屋なのだ。
街角から新刊書店が消えていくなか、ここ数年は、本がある場所が本屋なのだと、すこし強引かもしれないが、そう思うことにしている。本が並んでいる場所には人が集まるものなのだ。
栄町市場には、最近よく聞くようになった「シェア型」書店が出来た。これは棚貸しの店主をたくさん集めるタイプの書店である。本屋という場をみんなでシェアするのだ。ぼくは「本もあい」仲間で一箱出店している。店の名前は「栄町共同書店」、ぼくらの屋号は「本もあい分校」。自分たちの蔵書をもちより古書として販売している。そんな棚が70ほど集まっているようだ。たくさんの本が並んで、出来たばかりの本屋さんは注目を集めているようだ。
来月11月は、久しぶりに「おきえい通り一箱古本市」にも出る予定である。コロナ禍あけの去年は参加出来なかったので、今回はいつもの屋号「ばくすいブックス」「うっちん堂」にかわり、「本もあい分校Z」と名を変えての参加だ。このあたりは趣味としての本屋である。数冊の本と店の名前と看板があれば、もうそこは本屋なのである。
沖縄の書店には、わがボーダーインク刊行の本が棚にずらりと並んでいる。書店への配本、納品は、ぼくも長年やっている。その本屋で新刊が出るとトークイベント、サイン会をして本を売ることもある。これらは通常業務だ。著者の講演会は確実に売れるので、ばたばたしていても楽しい。
最近は減ったが、出版記念会と称して、ホテルなどの宴会場で、本の販売をすることもあった。著者の家族や知人など数十人でこぢんまりとした誕生日のようなものから、100人規模の生年祝い(とぅしびー)のような雰囲気まで、いろいろあった。著者の社会的な地位、人柄がよくわかるのである。ある郷友会でさいごにみんながクイチャーを踊ってるなか、本を売ったこともある。
この夏は、某エフエム局の創立記念ライブ会場のブースで売った。復帰後の沖縄音楽を振り返った特別番組を書籍化したのだ。4千人規模のライブ。となりのブースの公式Tシャツが飛ぶように売れていた。そういえば10年ほど前にこの会場がボクシングの試合があって、そこでは、チャンピオンになれなかった沖縄出身のボクサーたちを描いたノン・フィクションを販売したのだが、みんな試合に夢中で、1日中いて1冊しか売れず、ノックアウトだったなぁ。
考えてみれば、市場のアーケードの下で、駅弁スタイルの移動販売もしたし。パン屋やビール・バー、ミニシアターで1日だけの本屋さんもやった。
今年の雨の多かった夏のある日に、わが社の在庫を置いている貸倉庫で販売してみた。ガレージセールである。これは前々からやってみたかったのだ。出版社の在庫倉庫って読者の興味をひくのでないかと思ったのだ。はじめての試みである。事務所は、通称「電柱通り」にあるが、倉庫ははそこから歩いて5分24秒ほどの「ガラス工場通り」にある。いずれも初めて来ると行きすぎてしまうような迷路感のあるところ。
いつもは閉じたままのシャッターをガラガラとあげて、ひとり、パイプ椅子に座り来るかどうかわからない客を待つ。この日のために、というか、いつか使うこともあるかと思い取っておいた「沖縄県産本フェア」の看板を下げてみた。今年5月に閉店してしまった「リブロリウボウブックセンター店」で、20年にわたり行われていた、県内最大規模のフェアで使われていたもの。沖縄にある出版社が一同に介したフェアのいろんな思い出がある看板。閉店時に捨ておかれそうになっていたのを、いつの日か掲げる時もあるかとおもい、個人的に引き取っていたのだ。わりと感傷的な気分で。こんなに早く使うことができるとは。ボーダーインクの本はすべて「沖縄県産本」なので、この看板を(こっそり)掲げてもいいだろう。
意外なことに、客は来た。いや来るとは思っていたのだけど、わざわざ県外からきたり、迷いながらもたどり着いた人、長年ボーダーインクの本を手にしていた人、向かいのアパートの住人などなど。さまざまな興味を持ってやってきた読者と、在庫の棚を案内したり、バーゲン本や、自分で書いた本を手にしつつ、いろいろおしゃべりが出来たのだ。平日昼間、すこし雨交じりの通りは、いつもとちがい少しだけにぎやかになった。通りすがりの方が、ここは本屋だったんだ、いつもシャッターがおりているからなんだろうと思っていたよと、長年の疑問がとけたようである。出版社だって本屋なのだ。
街角から新刊書店が消えていくなか、ここ数年は、本がある場所が本屋なのだと、すこし強引かもしれないが、そう思うことにしている。本が並んでいる場所には人が集まるものなのだ。
栄町市場には、最近よく聞くようになった「シェア型」書店が出来た。これは棚貸しの店主をたくさん集めるタイプの書店である。本屋という場をみんなでシェアするのだ。ぼくは「本もあい」仲間で一箱出店している。店の名前は「栄町共同書店」、ぼくらの屋号は「本もあい分校」。自分たちの蔵書をもちより古書として販売している。そんな棚が70ほど集まっているようだ。たくさんの本が並んで、出来たばかりの本屋さんは注目を集めているようだ。
来月11月は、久しぶりに「おきえい通り一箱古本市」にも出る予定である。コロナ禍あけの去年は参加出来なかったので、今回はいつもの屋号「ばくすいブックス」「うっちん堂」にかわり、「本もあい分校Z」と名を変えての参加だ。このあたりは趣味としての本屋である。数冊の本と店の名前と看板があれば、もうそこは本屋なのである。
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ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。