【動画あり】沖縄県南城市の糸数・玉城城跡 壮大な城壁 神聖な拝所|シマ散策 拡大版

今回は南城市ガイド・アマミキヨ浪漫の会の長嶺清喜さんの案内で、沖縄県南城市の南にある糸数グスクと玉城グスクを訪ねました。14世紀前半の三山分立の時代のグスクで、壮大な城壁やアマミキヨの神話を伝える御嶽など見どころがいっぱいです。(編集部/池原拓)

糸数・玉城城跡の周辺地図

南城市にある玉城グスクと糸数グスクは、築城年代や歴代の城主についてはよく分かっていないが、さまざまな言い伝えが残る。南城市ガイド・アマミキヨ浪漫の会の長嶺清喜さんは「伝説によれば玉城グスクは、三山分立の初期(14世紀前半)の玉城按司の居城で、糸数グスクは、玉城按司の三男の糸数按司が築いたと言われています」と説明する。

糸数グスク/沖縄本島内で最高峰

糸数グスクは、集落の東南にある琉球石灰岩丘陵に築かれたグスク。南から西側は断崖で、北と東側に壮大な城壁が続く。アマミキヨ浪漫の会の長嶺清喜さんは「標高180余と本島内で最も高い場所に築かれたグスクです」と話す。

本格的な発掘調査はまだされていないが、城内や崖下から古銭や切羽(刀の鍔(つば)を固定する金具)、炭化した米・麦などが見つかっている。

城壁は自然の石を加工せずに積み上げた「野面(のづら)積み」が主で、正門など要所には切石を積み上げた「布積み」が用いられている。補修工事がされ保存状態も良く、当時の様子がしのばれる。「沖縄戦後、米軍基地の建築資材として城壁の石材を使いたいと本土の建設会社が訪ねてきたのを、集落の役員が追い返したという話もあります」。

東側の城壁の南北には、アザナ(物見台)が設けられている。北のアザナの側に昨年建てられた展望台から、那覇市や豊見城市の街並み、東シナ海の慶良間諸島などが遠望できる。

北のアザナからの眺め。東シナ海を遠望

グスクの南側からの眺望。重瀬町方面を見渡せる

グスクには防御の工夫も随所に見られる。「南のアザナの近くにあった虎口(こぐち)(城の出入り口。現在はふさがれている)には、城壁の外側に突き出た部分があり=下写真の赤丸、虎口に入ろうとする敵を攻撃するための防御施設と考えられています。これには中国や韓国の城の建築の影響がみられるといいます」。

東側の城壁。かつてはグスクの入り口である虎口があったという。赤丸は虎口を守るための防御施設といわれている

また、グスクの西側にも「馬出し」というグスクの外に設けた防御施設があったと考えられている。馬出しとグスクの間には堀があり行き来するための石橋が架かっていて=下写真の赤丸、伝説では糸数按司の配下の武将で怪力無双の比嘉ウチョーが1人で大岩を持ち上げて造ったと言われている。

左奥のスペースはグスクの外に設けた防御施設「馬出し」と考えられている。赤丸部分の堀に架かった石橋からグスクと行き来できる

糸数グスクは、15世紀に尚巴志配下の上間按司に攻め滅ぼされたという。比嘉ウチョーが城の増築に使う材木を買いに国頭へ出掛けていた留守の間に攻められたという言い伝えもある。「那覇市の上間集落に糸数グスク方面に向いた石獅子があり、これは攻め滅ぼされた糸数からの災いを押し返す『返し(けーし)』と言われます」

グスク内には拝所である「糸数城之殿(とぅん)」があり、ウマチーなどで拝まれ地域の人たちの信仰の対象になっている。「殿の奉納された灯籠に使われている石は、トカラ列島から交易の際、琉球に持ち込まれたものだそうです」

糸数城之殿(とぅん) ウマチーなどで拝まれている。神聖な場所にあるクバの木が高々と生い茂る。写真中央の灯籠に使われている石は、トカラ列島から持ち込まれたそう

グスク内にある糸数按司の墓

玉城グスク/琉球開闢神話の聖地

玉城グスクは集落の北方、標高約180メートルの丘陵にある山城。14世紀前半に玉城周辺を支配した玉城按司の居城とされる。山頂から階段状に「一の郭(くるわ)」、「二の郭」、「三の郭」の三つの郭(=石垣などで囲われた区画)が築かれていた。

一の郭からの眺望。太平洋が広がる

長嶺さんは「字玉城地域は戦後、米軍の敷地となり、二の郭と三の郭の城壁は、基地建設の建築材料として持ち出されて残っていません」と話す。グスク内では、土器や矢尻、ジーファー(かんざし)、甲冑の小札(鎧を構成する短冊状の板)などが出土している。

一の郭へは急峻(しゅん)な石畳道が続く。現在は登りやすいよう階段が併設されていて、頂上付近から南城市の街並みや太平洋、そして久高島や奥武島が見渡せる。

一の郭に至る急峻な石畳道。現在は左の階段から登ることができる

一の郭の入り口には、自然の岩をくりぬいた城門を構えている。「郭の内側から城門の外を見ると東の海を望み、夏至の日にはちょうど太陽の光が差し込む幻想的な風景が楽しめます」

自然の岩をくりぬいて造った一の郭の城門。東に向いていて門から太平洋が見える。夏至の日には門から太陽の光が差し込むのが見られるそうだ

一の郭の内部。苔むした岩や生い茂る樹木が野趣を感じさせる

一の郭には、琉球の開闢神話でアマミキヨが最初に造った七つの御嶽(うたき)の一つ、「天つづあまつぎの御嶽」がある。「琉球国王が本島南部の聖地を巡礼した参拝行事『東御廻り(あがりうまーい)』で最後に拝む場所です。干ばつの際には国王が雨乞いの祈願をしたとされます」

一の郭にある「天つづあまつぎの御嶽」は、琉球開闢の神話でアマミキヨが造ったとされる

玉城グスクには、13世紀の舜天王統3代・義本王の伝説が残っている。天災が続いたため、義本王は自らの不徳を恥じて城内で薪を積み上げ、焼身自殺を図った。しかし、にわかに大雨が振って焼死を免れたとされる。「義本王が帰路に着いた時、大雨によって道が水没したので、仕方なく泳いで渡ったとされ、その場所は『泳ぎ口(ういーじぐち)』と呼ばれ、後に『上江洲口(いいじぐち)』となったといわれています」

案内してくれたのは

南城市ガイド アマミキヨ浪漫の会
長嶺清喜さん

斎場御嶽をはじめ、南城市の史跡などのガイドを務めている。
問い合わせ先 電話 098(949)1899


毎週木曜日発行「週刊ほ〜むぷらざ」シマ散策(10)
第2026号(2026年6月11日発行)から転載