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2019年4月25日更新

琉球に空前の緑茶ブーム―茶山団地|地元の宝ありんくりん[1]

執筆:竹内章祝
平成最後の4月ですね。これから1年間、私たちの地域に眠る史跡や自然を親しみやすく紹介していきます。1回目は、琉球の緑茶ブームについて。浦添市の茶山団地(浦添市仲間)とよばれる地名に、その名残があります。




浦添市に王府が経営した茶畑

唐突ですが、沖縄を代表するお茶といえば何でしょうか?大抵の方は「サンピン茶」をイメージするかと思います。サンピン茶は琉球王朝時代から親しまれていましたが、他にもウーロン茶をはじめ中国のお茶が琉球に輸入され、士族階級を中心とした一部の人々に愛飲されていたようです。

では、一体どのようなお茶が好まれていたのでしょうか「茶と琉球人(岩波新書発行、武井弘一著)」によると、台湾では、沖縄人の茶の好みについて以下のように分析されているそうです。「沖縄は多量に茶を飲用するがため、味はきわめて淡泊にして、苦み・渋みなどはほとんどなきを好む」

つまり、飲みやすく香り豊かなお茶を好んでいたことが分かります。好まれていたのは、中国のお茶だけではありませんでした。琉球王朝時代、士族から農民に至るまで、広く愛飲されていたお茶は何と日本の緑茶でした。その中でも当時、圧倒的な支持を集めたのが、銘茶「求麻(くま)茶」です。



琉球王国時代、王府が経営する茶畑があった茶山団地(浦添市仲間)。周辺には浦添八景にも指定されている安波茶橋、浦添城跡、浦添ようどれ、当山の石畳道など、史跡も点在している


産地で百姓一揆

「琉球では士族から地位・身分の低い者にいたるまで、日常では求麻茶を飲んでいる」とか、「琉球においては、古くから求麻茶に慣れ親しんでいる。それは誠に『国癖』のようなものだ。かかるがゆえに、他国の茶では一切納得することができないどころか、求麻茶でなければ誰も承知しない」という記録が残っているほど(「茶と琉球人」より)。

求麻茶は現在の熊本県人吉市から球磨郡一帯にかけて栽培されたお茶で、香味が優れていると言います。まさに沖縄人が好む強い香りを帯びたお茶だったわけです。求麻茶の人気はすさまじく、大量に輸入されていたにもかかわらず、琉球人の需要を賄いきれずに密輸する者まで現れます。現地の生産者は増産で重労働を科せられ、ついには百姓一揆まで起こしたほど。これほど人気の求麻茶は、やがて琉球でも栽培が試みられました。

求麻茶の種を持ち帰り、現在の宜野座村漢那や久米島で栽培を行い、1733年には現在の浦添市仲間に王府が経営する茶畑が作られるに至りました。その跡地が現在の浦添市の「茶山団地」と呼ばれる場所です。当時は茶畑や茶葉精製所、王府の浦添訪問の休憩所が作られたとされます。戦後、それらは姿を消してしまいましたが、名称がその歴史を今に伝えています。琉球人に人気の求麻茶。ぜひご賞味ください(現在は熊本で生産され、球磨(くま)茶と表記されています)。



バス停の表記=上=や、歩道橋の表記=下=が往年を忍ばせる


参考文献:浦添市史第1巻通史編(1989年)、浦添市史第6巻資料編5 (1986年)、日本歴史地名大系第48巻沖縄県の地名(2002年)、
あやしい!目からウロコの琉球・沖縄史 上里隆史著 ボーダーインク(2014年)



 
執筆者

たけうち・あきのり
末期の沖縄病に感染した東京下町出身の人情派! 韓国や戦中のユーゴスラビアなど20年近くを海外で過ごし、沖縄に移住。沖縄地域通訳ガイド(韓国語)、通訳案内士養成研修講師など。
 

毎週木曜日発行・週刊ほーむぷらざ
「第1656号 2019年4月25日紙面から掲載」

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