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2015年5月7日更新

[彩職賢美]仲里文江さん|弱者に寄り添い94歳の思い熱く

2015年3月25日、那覇市社会福祉協議会での最後の相談業務を終えた仲里文江さん、御年94歳。63年間にわたりボランティアとして福祉活動に力を注いできた、県内の民生委員の走りでもある。「行政の目の届かない福祉の谷間にいる人たちと直接関わるのは私たちの役割」と、常に社会的弱者に寄り添ってきた。柔らかな笑顔の中に福祉への熱い情熱を絶やさない。


 

困窮者・高齢者ら支援 63年

沖縄の福祉制度に創設期から携わる
小規模多機能ホーム すずらん 運営推進委員
小規模多機能ホーム 寄宮 運営推進委員

仲里 文江さん


仲里さんは1950年代から、地域の婦人会や青少年健全育成活動に取り組んでいた。地域との交流が深く、世話好きな一面が買われ60年代に入ったある日、県から民生委員児童委員(以下民生委員)への就任要請があった。
自身は小学生から中学生までの6人の子育て真っ最中。「最初は家族に相談してからと返事を保留していたけれど、何度か要請があったので、これは引き受けるしかないかな」と、長年の福祉活動を突っ走る日々がスタートした。
1964年、福祉委員として那覇市を担当し、受け持ったのは約3千世帯。低所得者への世帯更生資金の貸付、手続きなどを行った。「夫をはじめ、周りが協力的で、子育ても地域でサポートするのが当たり前だった。何よりも、目の前に困っている人がいたから」と振り返る。
復帰後、県外の民生委員の活動状況を知り驚いた。組織の活動範囲の広さや、利用できる補助金などの制度の違いだった。「本土との格差を実感し、格差を縮めるため、一生懸命勉強した」と、本土での研修にも積極的に参加。民生委員の定年75歳を迎えた後も福祉の相談活動を続けた。



那覇市社会福祉協議会の相談業務を行っていたころの仲里さん。相談者の悩みをはじめ、家族構成や家庭環境などを聞き取り、アドバイスする=同協議会


地域福祉活動を続けてきた背景には、自らの戦争体験、戦後復興期を通した平和への思い、助け合いの精神があった。
結婚後、長男を出産したのが沖縄戦直前の1945年3月20日。一週間後には夫に付き添われ、家族らと北部に避難。米軍の沖縄本島上陸は4月1日。本島南部は激しい地上戦となったが、北部での戦闘や避難生活も厳しかった。「食事が十分に取れなく、母乳も出なかった。息子も痩せ、泣くこともできないくらい衰弱した」。幼児を抱え、張り詰めた日々を送った。
9月になり、収容所のある羽地村(現名護市)へ行き、何とか食事にありついた。「母乳を飲ませると息子は生まれて初めて笑ってくれ、周りの大人も笑顔になった」と目を潤ませた。その後、那覇へ戻り、現在の自宅のある寄宮の平野区に移ったのが1951年。地域の人たちと、裕福とはいえない状況でも助け合い、やがて民生委員へ。
「戦後、入院患者は布団を持参しなければならず、それができない人がいて、私が布団を用意し、入院につなげたことも。その人が退院し、元気な顔を見せた時は安心した」。活動を続けて良かったと思う瞬間だった。
仲里さんが日頃から後輩に伝える言葉が、「福祉の谷間にいる人のことを忘れてはいけない」。地域の困っている人にいち早く手を差し伸べられるのは、地域にいる自分たちだからこそと誇りに思っている。現在、那覇市社協の相談員を終えたが、2カ所の相談業務は継続中。ただ、気がかりなことが。それは、民生委員のなり手の減少だ。
「この制度がなかったら、本当に困っている人はどうしたらいいのかと怖くなる。若者がもっと福祉に興味を持ち、ボランティアで成り立つ民生委員制度を継続しなければ」。時代の流れの中で、社会的弱者の味方として一貫して活動してきた仲里さん。強い信念は揺るがない。

 

仲里さんのハッピーの種

Q.過去の相談や、制度の内容・変遷など、細かく記憶していますね。
私たちが貸付、相談業務を中心に働いていた当時、書類は全て手書きでした。手続きも直接、足を運ばなければならず、時間と労力を割いていました。
今みたいにネットで調べればパッと分かるわけではないから、全て書類を見て覚えていました。だからこれまで関わった制度の内容などは記憶に残っています。体をフル活用して、福祉活動を実践してきからですかね。

Q.元気の秘けつは? また、これからやってみたいことはありますか?
元気の秘けつに関しては、特に意識していることはありませんが、大好きな食べ物は、ナッツ類。口にすると元気が出る気がします(笑)。
これまで、趣味を持てないくらい福祉活動に頭がいっぱいだったから…。今は少し余裕ができたので、何か趣味を持てたらいいですね。とにかく、何をするにも、足腰が大事だから鍛えないといけないと思っています。



PROFILE
仲里文江(なかざと・ふみえ)1921年、那覇市出身。44年に結婚後、6児をもうける。64年に那覇市の福祉委員に就任。復帰後は同市の民生委員児童委員として活動。県民生委員児童委員協議会副会長、那覇市民生委員児童委員連合会会長を歴任し、2001年に勲六等宝冠章、2008に社会福祉部門で県功労者表彰などを受ける。その後、那覇市社協のふれあい相談員などの活動を続けた。


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撮影/比嘉秀明・編集/安里則哉
『週刊ほーむぷらざ』彩職賢美<1167>
第1451号 2015年5月7日掲載

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日々、課題ばかりですが、取材ではできる限り、対象者の人間性が引き出せたらと思い、仕事に努めています。食べることが大好き。そのためダイエットにも力を入れたところですが、いまだ実現せず(笑)。

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