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2024年2月8日更新
[沖縄スポット]井泉の水を活用した公園|豊見城市平良|シマ散策(23)
地域の人におすすめのスポットを案内してもらい、その地の魅力を再発見する企画。今回は、豊見城市平良を訪ねました。豊見城歴史文化同好会の新垣義三さんと喜屋武幸弘さんにせせらぎ公園内にある井泉「轟泉(トゥドゥルチガー)」や「平良グスク」などを案内してもらいました。
井泉の水を活用した公園 【豊見城市平良】
せせらぎ公園の園内は南北に遊歩道が続き、そばには轟泉(トゥドゥルチガー)の水を生かした水路が流れる。水辺にはグッピーなどの生き物も見られる
豊見城市の南東側に位置する「平良」は、井泉が点在する水の豊かな地域。中でも南端にある「轟泉(トゥドゥルチガー)」は、1995年に井泉の水を活用した「せせらぎ公園」として整備され住民の憩いの場になっている。公園は南北に500メートルほど続く遊歩道とその側を流れる水路で構成され、せせらぎの音を楽しみながら散策ができる。下流にあたる公園の北端の近くには、轟泉を水源とする「轟の滝」が流れている。
新垣さんは「18世紀に王府が編さんした『琉球国旧記』では『平良井(轟)』と記録され、当時から近隣集落の貴重な水源として利用されていました。首里へ向かう街道が井泉の側を通っており、往来する人にも利用されていたと思われます。明治末期まではかんがい用水路によって近隣の農地でも使われ、戦後もしばらくは簡易水道として利用されていました。平良では初拝みや五月ウマチーなどに拝んで大切にされています」と話す。
集落の西側、標高109メートルの石灰岩丘陵にある「平良グスク」は、14~15世紀ごろに形成されたといわれ、城壁や石畳道が一部残っている。うっそうと木々が茂る山道を登って頂上に着くと、木々の合間から豊見城市の街並みや東シナ海が見えた。「三山時代は南山に属し、中山に対する前衛的なグスクだと考えられています。調査では土器や中国製の陶磁器、刀、鉄製の矢尻などが見つかっています」
平良グスク。グスク内には御嶽や古い墓もあり信仰の対象でもある
公園内にある「轟泉」。集落内にはほかにもデークガーやウチヌカー、チンヌウカーなど井泉が点在
公園の北にある「轟の滝」
平良グスクの周辺からの眺望。(右から)豊見城歴史文化同好会副会長の新垣義三さん、同事務局長の喜屋武幸弘さん
組踊の舞台にも
平良グスクは、組踊「未生の縁」の舞台でもある。平良若按司(あじ)・鶴千代と保栄茂按司の娘・乙鶴を主人公に、生まれる前から縁談が決まっていた二人が困難を乗り越えて結ばれる物語だ。新垣さんは「琉球王府時代に中国の冊封使を歓待するため上演されました。その詳細は長らく不明でしたが、1988年に石垣市で台本が見つかり、再び上演されるようになりました」と説明する。
平良グスクの北東には、平良の地頭で豪族だったテーラシカマグチの墓「金武御墓」がある。喜屋武さんは「17世紀初頭の尚寧王の時代、琉球に初めて浄土宗を伝えた袋中上人の布教をバックアップした人物と言われています。一説には、袋中上人が伝えた歌念仏をテーラシカマグチが琉球の言葉に訳して節を付け、それがエイサーの起源になったとも言われています」と話す。
金武御墓にある墓石碑。碑の右に刻まれた上間親方長胤か左の平良親方長往のいずれかがテーラシカマグチだといわれている
案内してくれたのは
豊見城歴史文化同好会
豊見城市立中央公民館を拠点に市内外の歴史を学んでいる歴史サークル
電話・090(9785)3539
事務局長・喜屋武
取材/池原拓
『週刊ほ〜むぷらざ』シマ散策
第1905号 2024年2月8日掲載