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2023年6月29日更新

[沖縄スポット]金丸ゆかりの史跡が点在|西原町嘉手苅・内間|シマ散策(16)

地域の人におすすめのスポットを案内してもらい、その地の魅力を再発見する企画。今回は、西原町嘉手苅と内間を訪ねました。西原町観光まちづくり協会の笹倉絹代さんに、金丸の伝説が残る「カヤブチ御殿」や拝所などを案内してもらいました。

金丸ゆかりの史跡が点在 【西原町嘉手苅・内間】

西原町の北側にあり、南北に接する「嘉手苅」と「内間」。15世紀、第二尚氏王統の初代国王になった金丸(尚円王)ゆかりの地だ。金丸は伊是名島で生まれ、首里に上って越来王子(のちの尚泰久王)に見いだされて頭角を現した。尚泰久王が即位すると、内間の領主に任命された。嘉手苅には金丸が領主の時に住んでいた屋敷跡に建てられた神殿「内間御殿」がある。

内間御殿から散策をスタートし、まずは嘉手苅集落の発祥の地とされる拝所「ウフンミウタキ」を訪ねた。国道329号沿いにある小高い丘で、うっそうと木々が茂り、頂上付近には拝所が点在する。西原町観光まちづくり協会の笹倉絹代さんは「神女の就任式が行われた場所です。内間集落の手前にある御嶽ということで地元では『前ヌ嶽(メーヌタキ)』と呼ばれています」と説明する。



首里に上る前に金丸が住んでいたという伝説がある「カヤブチ御殿」


カヤブチ御殿の近くにある井戸「イワオーウカー」。金丸が取った魚をさばいたという言い伝えが残る


神女の就任式が行われたという「ウフンミウタキ」。嘉手苅集落の発祥の地とされる


国指定史跡の内間御殿は、17世紀に王府によって整備された「東江御殿」と、18世紀に西原の人々によって普請された「西江御殿」の二つの神殿からなる。写真は敷地の北側にある西江御殿


「名幸毛(ナコーモー)」はかつて小高い丘で、祠は頂上付近にあったという


内間ノロが祭祀を執り行った拝所「内間ノロ殿内」


ノロとの恋の伝説

地域に伝わる伝説では金丸は伊是名島を出て、首里に上がる前に一時期内間集落に住んでいたという。金丸が住んでいたとされる「カヤブチ御殿」に案内してもらった。かつて拝殿がかやぶきだったことからそう呼ばれるようになったそう。

笹倉さんは「カヤブチ御殿には金丸が内間ノロと一緒に過ごしたという伝承も残っています。金丸が一人で食事を作っていると、近くを通りかかった内間ノロが木々の間から立ち上る炊事の煙を見かけて、そこへ行き食事を作ってあげたそうです。それから二人は親しくなりました。そして、金丸が首里へ上る際、内間ノロが別れのつらさを歌った琉歌などが伝えられています」と話す。

丘陵の南斜面に集落が広がるこの一帯は内間集落の発祥の地とされ、内間ノロが祭祀(さいし)を執り行った「内間ノロ殿内」をはじめとする拝所や井泉が集中している。

金丸と内間ノロの伝説が残っている場所はほかにもある。国道沿いにある拝所「名幸毛(ナコーモー)」だ。笹倉さんは「内間ノロと金丸が契りを結んだ場所といわれ、別名『縁結び毛』と呼ばれています」と話す。この辺りは元々は小高い丘で、祠(ほこら)は山頂付近にあったという。戦後、米軍が道路(現在の国道329号)を開通したことで、昔の面影はなくなり、祠も現在の場所に移された。




案内してくれたのは

西原町観光まちづくり協会
笹倉絹代さん

地域の情報発信や、まちづくりに取り組んでいる。会員募集中。
電話 098(911)9178


取材/池原拓
『週刊ほ〜むぷらざ』シマ散策 

第1873号 2023年6月29日掲載

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