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2023年6月15日更新
[沖縄スポット]集落に残る石獅子と湧泉|宜野湾市喜友名|シマ散策(15)
地域の人におすすめのスポットを案内してもらい、その地の魅力を再発見する企画。今回は、宜野湾市喜友名(きゆうな)を訪ねました。同市文化財ガイド「察度(さっと)の会」の会長、國吉真由美さんに集落に点在する石獅子や「喜友名泉(チュンナーガー)」を案内してもらいました。
集落に残る石獅子と湧泉 【宜野湾市喜友名】
市の北側にある「喜友名」は高台の平たん地にあり、琉球王国時代に碁盤の目のように区画整理された昔の集落の面影が今も残っている。国指定有形文化財の「喜友名泉」をはじめ多くの湧泉がある水の豊かな地域。戦後、キャンプ瑞慶覧に集落の一部が接収され、湧泉のほとんどは米軍基地内にあったが現在は返還されている。
集落を取り囲むように配置された7体の石獅子があり、「喜友名の石獅子群」として市指定有形民俗文化財に指定されている。宜野湾市文化財ガイド「察度の会」の会長、國吉真由美さんは「石獅子は集落に災いが入らないよう『返し(ケーシ)=魔よけ』として、外につながる道に面した場所などに置かれました。村を守る石獅子が一つの集落に数多く残っているのは県内でもめずらしいそうです」と説明する。
集落をぐるりと巡って石獅子を案内してもらった。最初に訪ねたのは、集落の東南端にある「伊礼小前のシーサー」。石獅子は新城方面を向いていて、かつては新城へ向かう道に面して置かれていたという。次に向かったのは北東端に置かれた「徳伊礼小前のシーサ」。横幅1㍍、高さ80㌢ほどの大きな石獅子で、國吉さんは「石獅子は集落が広がるにつれて置く場所が移動することもありました。この石獅子は、集落の家々が畑だった東側に広がるにつれて移動し、三回目で今の場所に落ち着いたそうです」と話す。
3度場所を移動した徳伊礼小前(トゥクイリグァーメー)のシーサー
集落の入り口にあたる場所にある前當山前(メートーヤマメー)のシーサー
仲元前(ナカムトゥメー)のシーサー。戦前の村役場(現在は普天間基地内)にに行く道に向いている
伊礼小前(イリーグァーメー)のシーサー。新城方面を向いている
前ン当前(メントーメー)のシーサー。字宜野湾方面を向いている
藏根小前(クラニーグヮーメー)のシーサー。ほかの石獅子とは違い集落の中にある
前真志喜前(メーマシチメー)のシーサーの前には、かつて宜野湾や神山に続いていた道があった
喜友名泉と集落を結ぶ坂道。水くみの往復は重労働だった
喜友名泉へ続く坂道
北西側にある「前當山前のシーサー」は、喜友名泉と集落を結ぶ坂道(カービラ)の方を向いている。ここは集落の入り口にあたり、かつて喜友名泉から水くみをする時にひと休みした場所で、イーユクイビラと呼ばれている。「喜友名は水に恵まれた地域ですが、湧泉は集落から離れた急な坂道を下ったところにあったので、水くみは重労働でした。地元には生活用水の確保に苦労した様子を歌った琉歌も残っています」と國吉さん。
石畳の急な坂道を下りて喜友名泉へ。喜友名泉は石造りの湧泉で、ウフガー(イキガガー)とカーグヮー(イナグガー)に分かれている。國吉さんは「ウフガーは、若水や産水を取ったり、牛馬を洗うのに使われ、カーグヮーは飲み水や洗濯などに利用され、女性が髪を洗ったり水浴びをしたそうです」と話した。
喜友名泉は石造りの湧泉で、ウフガー(イキガガー)=上写真=と、カーグヮー(イナグガー)=下写真=に分かれている。見学するには市の教育委員会か自治会に連絡が必要
案内してくれたのは
宜野湾市文化財ガイド「察度の会」会長
國吉真由美さん
宜野湾市内の史跡や戦跡のガイドをしている
取材/池原拓
『週刊ほ〜むぷらざ』シマ散策
第1871号 2023年6月15日掲載