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2023年5月18日更新
[沖縄スポット]シマ散策(14)|八重瀬町港川・長毛
地域の人におすすめのスポットを案内してもらい、その地の魅力を再発見する企画。今回は、八重瀬町港川と長毛を訪ねました。八重瀬町ガイドの会、副会長の吉田清英さんに「港川遺跡」や拝所などを案内してもらいました。
太古の遺跡と海の拝所 【八重瀬町港川・長毛】
八重瀬町の南側に位置し、国道を境に南北で隣り合う「港川」と「長毛」は、かつて粟石と呼ばれる石灰岩の産地だった。粟石とは、有孔虫やサンゴ、貝殻でできた砂質石灰岩。菓子の粟おこしに色や質感が似ていることから地元ではその名で親しまれてきた。八重瀬町ガイドの会、副会長の吉田清英さん(64)は「粟石は加工が容易で建材に利用されました。明治の中頃から産業として盛んになり、石切り職人は“イシアナー”と呼ばれていました。戦前から戦後しばらくまでは、本島北部と中南部を往来した交易船・山原船が入港し、長毛にはマチグヮー(市場)ができて、料亭や商店などが立ち並んだ通りは『粟石通り』と呼ばれ活気があったそうです」と説明する。集落を散策していると、粟石の石垣や採掘跡が散見された。
長毛の国道沿いには、約2万2千年前の旧石器時代の人骨化石「港川人」が発見されたことで知られる「港川遺跡」がある。港川遺跡は高さ20㍍ほどの石灰岩丘陵で、昨年「港川遺跡公園」として整備された。吉田さんは「ここは採石場跡でもあり、採石によって崖のようになっています。崖には縦に割れた亀裂(フィッシャー)があり、その下部の堆積物から人骨化石が発見されました」と話す。
昨年整備された「港川遺跡公園」。かつては採石場でもあり、採石によって崖のようになっている。写真は国道の橋の上の歩道からの眺め
海にまつわる拝所
港川の南は太平洋に面していて、港川漁港があるこの地は海と関わりある拝所や言い伝えが残る。「昔、糸満の漁師の中には、港川に定期的に滞在して漁を行う人がいました。港川集落の起源は、19世紀に糸満の漁師が移住したのが始まりといわれています」と吉田さんは語る。漁港の近くには、港川ハーレーの御願場所でもある龍神碑や南ヌ御嶽、海上遭難者慰霊之碑がある。そこで吉田さんから村史にも実話として記された、海難にあった青年の不思議な話を聞いた=下参照。
また、長毛には海にまつわる拝所「唐ヌ船御嶽」がある。昔、中国の貿易船が難破して、この地に上陸した船員たちが設けた拝所とされる。航海と漁業の守護神である中国の女神「媽祖(まそ)」を祭ったもので、船員たちは故郷へ帰るため航海の安全を祈願した。願いがかなって船員たちが中国に帰った後も地域の人たちから信仰されるようになったという。
航海と漁業の守護神である「媽祖(まそ)」を祭った「唐ヌ船御嶽」。
ご神体の石は、最初は石像だったという言い伝えがある
フカの腹から人骨が…
明治時代の話。漁で捕獲したフカ(サメ)の腹から人間の腕の骨が出てきた。海難にあった青年の骨で、漁師はそれを丁重に葬った。半年後、青年の母親が訪ねてきた。ユタに拝んでもらったら、「港川の人が私を葬ってくれているから、礼をつくして腕を受け取りなさい」と青年の霊が言っていると聞かされたという。そして、骨は無事、家族のもとに返されたという。
港川人の人骨化石が発見された港川遺跡の崖の亀裂(フィッシャー)=写真奥=について説明する八重瀬町ガイドの会の吉田清英さん
漁港の近くの眺望。太平洋や糸満へ続く海岸線が見える
案内してくれたのは
八重瀬町ガイドの会
まちあるきなどを通して、八重瀬町の自然・歴史・文化を紹介している。
電話=090(8351)8870
取材/池原拓
『週刊ほ〜むぷらざ』シマ散策
第1867号 2023年5月18日掲載