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2022年5月19日更新

[沖縄スポット]シマ散策⑦|うるま市勝連平敷屋

地域の人におすすめのスポットを案内してもらい、その地の魅力を再発見する企画。今回紹介するのは、うるま市勝連平敷屋。近世琉球の和文学者で、組踊「手水の縁」の作者として知られる地元の偉人、平敷屋朝敏について調べている「平敷屋朝敏を語る会」のメンバーに、朝敏ゆかりの地を案内してもらいました。

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文人領主ゆかりの丘と池 【うるま市勝連平敷屋】

平敷屋はうるま市の東南、勝連半島の先端に位置し、18世紀に琉球王国の士族で和文学者の平敷屋朝敏が脇地頭(領主)として赴任した地。最初に訪れたのは、市指定の文化財である標高70㍍余りの小さな丘「平敷屋タキノー」。平敷屋朝敏を語る会(以下語る会)の会長、東武さん(75)は「朝敏が水不足に悩む領民のためにクムイ(ため池)を掘り、その際に掘り出された土を付近の高台に盛り上げて築いたものです」と説明する。

かつてそこには大きなリュウキュウマツとガジュマルの木があり、地域の憩いの場だったという。東さんは「私が小学生のころは遠足の定番でした。ここで弁当を食べたり、遊んだりしました」と思い出に浸った。

丘の頂きには屋根付きの休憩所があり、勝連半島を取り巻く浜比嘉島や津堅島などの島々や、金武湾や中城湾が見渡せる。



平敷屋公園内にあるクムイ。公園として整備される前のクムイの様子を説明する「平敷屋朝敏を語る会」の会長、東武さん。昔は池の大きさはもっと広く、今の2倍くらいはあったという

生活に根差していた池
丘を下りてクムイに向かう。平敷屋公園内にあるクムイは、周りに遊歩道が整備されていた。東さんは「平敷屋の先輩たちから聞いた話では、かつてのクムイは今の2倍くらい大きく、中央部は深さが1㍍60㌢ほどあったそうです。公園整備事業で道路や遊歩道を造ったことで現在の形になり、昔の面影はなくなってしましました。語る会では、かつてのクムイの様子を絵図を交えて説明した案内板を設置しようと取り組んでいます」と話す。

昔、クムイは農家がイモや野菜、農具を洗うのに役立てていた。池の北西と南西側にはトラバーチン(石灰岩)の階段があって、水かさが減った時でも利用しやすかったという。かつては、階段の付近には石柱が数本あり、そこに洗ったイモや野菜を入れるバーキ(竹かご)を置いて頭に載せて運びやすいように工夫されていた。

東さんは「私はこの石柱の工夫は、農民を思いやる朝敏の心の表れではないかと考えています。子どもの頃は石柱を跳び箱代わりにして遊んだものです。池のそばにはデイゴの大木があり、夏にはきれいな花を咲かせました」と振り返る。

現在は階段や石柱は残っておらず、デイゴの木も台風で倒れてしまった。東さんの説明を聞きながら、かつてのクムイの様子や村の暮らしにしばし思いをはせた。



平敷屋タキノー。手前左は歌碑で、朝敏が勝連半島を散策して詠んだ和歌をまとめた「貧家記」の一首が刻まれている


タキノーの頂上、南側の眺望。ホワイトビーチの桟橋が見える


タキノーの近くにある戦前に建てられた製糖工場跡。沖縄戦をへて煙突1本と貯水槽だけが残る。国の登録記念物



案内人
平敷屋朝敏を語る会
定期的に平敷屋朝敏について勉強会や交流会を行っている。没後250年を記念した組踊の上演や歌碑の建立にも尽力した。
☎090(2718)3779


『週刊ほ〜むぷらざ』シマ散策   (池原拓)
第1815号 2022年5月19日掲載

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