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2022年3月17日更新

[沖縄スポット]シマ散策⑤|那覇市首里崎山町

地域の人におすすめのスポットを案内してもらい、その地の魅力を再発見する企画。今回紹介するのは、那覇市首里崎山町。首里の歴史愛好家サークル「古都首里探訪会」のメンバー3人に御嶽や御殿跡、古道などを案内してもらいました。

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史跡が語る古都の歴史 【那覇市首里崎山町】

地域の人におすすめのスポットを案内してもらい、その地の魅力を再発見する企画。今回紹介するのは、那覇市首里崎山町。首里の歴史愛好家サークル「古都首里探訪会」のメンバー3人に御嶽や御殿跡、古道などを案内してもらいました。

崎山町は首里城の東南の高台にあり、昔から風光明媚な地として琉球の文人らにたたえられてきた。今回は首里城の東南側にある継世門からスタートして、古道「ヒジガービラ」を目指して南へ下りながら道中にある史跡などを案内してもらった。

最初に向かったのが崎山公園内にある「雨乞御嶽」。古都首里探訪会の会長、知名勇さん(79)は「干ばつの時に琉球国王が臣下や神女官らを率いて雨乞いの儀式を行った場所です。ここから南西方向への眺望は、首里八景の一つに歌われるほど」と説明する。

御嶽のそばには展望台があり、西を見ると眼下に那覇の街並みが広がり、東シナ海が一望できる。白い町並みと青い海と空のコントラストが美しく、開放的な気分に浸れる。



「雨乞御嶽」の展望台からは那覇の街並みや東シナ海が一望できる。左は古都首里探訪会の会長の知名勇さん、中央は事務局長の宮城保茂さん、会員の久髙友千さん。展望台の東に弁ヶ岳、北西に首里城の石垣も見える

冊封使歓待の施設
御嶽を後にして、琉球王府の別邸だった御茶屋御殿跡へ。現在は首里カトリック教会の敷地内なので、許可をもらって見学させてもらった。古都首里探訪会事務局長の宮城保茂さん(72)は「ここは17世紀に造られ、首里城の東にあることから東苑とも呼ばれ、識名園(南苑)とともに冊封使の歓待などに利用された施設です」と話す。

沖縄戦で建物は破壊され、今は石垣や石段跡を残すのみだが見晴らしが良く、当時の人も楽しんだであろう眺望が堪能できた。


首里から南へ延びる道
「沖縄の産業の恩人」と称される儀間真常の墓などを案内してもらいながらゆるやかな坂を下りていくと、「ヒジガービラ」に到着した。会員の久髙友千さん(78)は「琉球王国時代に整備された首里と本島各地を結ぶ宿道(幹線道路)の一つです。崎山町から南へ下り、金城川に架かるヒジ川橋を渡って識名に続く道で、国王が識名園へ行く際、その準備に携わる王府の人たちもここを使っていたといいます」と解説する。

現在は整備中で通行止めになっていて、柵の外から様子を見るだけだったが、道には石が敷きつめられ、道の両側には石垣や土留めの石積みがあった。こけむした石畳や石垣が歴史の重みを感じさせた。



首里から南へ延びる宿道「ヒジガービラ」。石を綿密に敷き詰めた石道で、戦前は道の両側に松並木が続いていたという


御茶屋御殿跡からの眺め。今は石垣や石段跡が残る。芸能や茶の湯など文化発信地でもあったそう

メーガ金城ダムのそばにある「ヒジ川橋」。琉球石灰岩で造られた、アーチを描く石橋


案内人
古都首里探訪会
首里公民館を拠点に首里の歴史愛好家が集うサークル。首里の名跡・旧跡を資料で調べ、フィールドワークも行う。問い合わせは、首里公民館 ☎098(917)3445


『週刊ほ〜むぷらざ』シマ散策
第1806号 2022年3月17日掲載

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