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新城和博

2024年8月15日更新

32年ぶりのぷぅぷぅ、ハイヤッ 津嘉山大綱挽きに会いに行く|新城和博さんのコラム

ごく私的な歳時記Vol.119|首里に引っ越して20年。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、これまでの概ね30年を振り返りながら、季節の出来事や県産本の話題をつづります。

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首里から南風原津嘉山に行くにはどうすれば良いか。今回は車では行かないことにした。ビール飲みたくなるだろうから。
21年ぶりに津嘉山大綱挽きが行われると知ってからそわそわしていた。ぼくは1992年に見た津嘉山大綱の光景が忘れられずにいた。とてもたおやかで美しい行列と綱のガーエーだった。10年まーい(10年に一度)だけど、いろいろな事情で出来なかった大綱が、このままでは次世代に継承されなくなるということで、津嘉山の人びとがついに立ち上がったのだ! ゆい! などとかってにひとり盛り上がっている。バスで行くにはアクセスが悪く、この炎天下で歩くのは地獄の沙汰なので、結局かろうじて拾えたタクシーに乗って津嘉山へ下る。実は那覇の街へ行くより近い津嘉山は、もともと首里王府の直轄地的な場所である。津嘉山トンネル手前で降りるとそこは整った道路と新しい住宅が並んでいた。




32年ぶりに津嘉山集落をうろうろする。パイパス道路にロードサイド店舗、そのそばに表れる新興住宅地と、沖縄のあちこちで見かける普通の郊外風景から一歩奥に入れば、本集落の道は、くねくぬっている細い道筋だ。昔ながらの間取りの敷地がぎゅっと並んでいる
耳をすませると聞こえてきた鉦(かね)と法螺(ほら)の音。綱の支度の音だ。その響きをたよりに歩いていくと、次第にいろんな光景を想い出していく。祭りの音はすぐ近くに聞こえていても、実は集落のあちこちに反射していて、行列の本体を探すのはちょっとコツがいる。人の気配がしないところから一人、二人と道行く人が増えてきて、唐突に西の旗頭がスタンバイしている広場を見つけた。支度の音はその上のお家の庭からしている。きっと村の草分けの家・根屋かなんかだろう。塀越しにのぞいているのは村外から来たぼくのような物見遊山のものか、映像記録のためのスタッフだ。
ぷぅぷぅ、ハイヤッ、ぷぅぷぅ、ハイヤッ。
そうそう、津嘉山の旗頭行列は、鉦の音が刻むリズムが、とても穏やかなんだよね。争いの雰囲気じゃない。綱によっては勇ましく闘いを鼓舞するリズム、掛け声があるけれど、ここは、ぷぅぷぅ、ハイヤッ。



大綱は小学校のグラウンドで待っている。西と東の道行列は集落を回って、高台にある小学校を目指す。まだもう少し時間があるので、ぼくは広場の裏手にある小高い丘の木陰で風を求めた。暑い、とにかく暑い。芝生と遊歩道がきれいに整備されていた。そのすこし離れた人気の無い丘の木陰から、二人の若い女性が広場の様子を眺めている。地元のちょっとヤンキーっぽいたたずまい。村の祭りの楽しみのひとつは、地元のマイルドヤンキーOBたちの姿だ。昔の自分と今を重ねているかしら。
32年前の西の支度の様子をぼくはこんなふうに書いてる。



やがて20代の青年を中心に、鉦や太鼓やホラでリズムを刻んで、道ズネーの踊りが始まった。これがなかなかかっこいい。きれいなんだよね。…………ふとそばを見るとそんな若者をじっと見つめてる小学生の男の子たちがいる。10年後の自分の姿に思いをはせているのだろうか。
あっ、そういうことか、次の津嘉山の大綱引きは、2003年なのである。21世紀じゃないか。今、小さな幟(のぼり)とパーランクーを持っている小学生の視線はすでに21世紀なのである。 (「祭りの季節」『うちあたいの日々』より)



その次の大綱挽きは2003年に行われたらしいが、ぼくは見に行けなかった。
そしてその次の10年後の大綱挽きは行われなかった。
後継者不足とも聞いたが、いろいろあるのだろう。こんな規模の大綱を一つの集落でやるというのはいろいろ大変だ。津嘉山の周辺は郊外住宅地開発でいろいろなことが変わったことは、外から見ていてもわかる。それでも、西と東の集落に果報をもたらす大綱の伝統をつなげてきた津嘉山の人たちの気持ちは変わらなかった。
21年ぶりに行われたこの夏の道行列の光景は、過去と未来が重なる「いま」という、見えない時間が流れているのだ。祭りはそんな時間が渦巻いている。
遠くから眺めているあの女の子たち、2003年の大綱挽きの時には生まれていなかったかもしれない。1992年、道行列をじっと見つめていた小学生たちは今どうしているのだろう。そして32年前、夢心地で津嘉山の大綱挽道行列を見ていたぼくは、どこにいるのだろう。



やがて棒術の掛け声「ゆい!」、そして「はーいや、プップー」のリズムにのって、
行列が動き出していく。
ぷぅぷぅ、ハイヤッ、ぷぅぷぅ、ハイヤッ。その光景は32年前と同じだ。すこし前に出した左足でリズムを取る薄化粧した青年たち、勇壮な棒術の男たち、伝統の色鮮やかな絣の着物をまとった女性たち。ぼくはその道行列のあとを夕暮れまでずっと追っていった。


 

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ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。

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