ピアノが天職 伴奏で元気届け|彩職賢美

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那覇市のピアノラウンジ「オクトーバー」でママさん兼ピアニストをしている又吉惠子さん(55)。県内では珍しくピアノ伴奏で歌を歌うことができるのが特徴だ。「自分の演奏がお客さまの元気の源になっていることがうれしく、天職だと思っています」と話す。(取材/池原拓、撮影/比嘉秀明)

ピアノラウンジ オクトーバー代表 ピアニストの又吉惠子さん(55)

アフリカでの経験が転機に

子どもたちの夢に触発 ピアノ伴奏続け20年

店内にはグランドピアノとカラオケが設置され、客はモニターで歌詞の字幕を見ながら(カラオケの音は消してある)又吉惠子さんのピアノ伴奏で歌う。お店でピアノ伴奏を始めてから20年、レパートリーは3万8千曲にも及ぶという。「お客さまの歌声を聞きながら、感情や表現をもっと豊かに引き出せるような伴奏を心掛けています。『気持ちよく歌えた』『明日の活力になる』と言ってくださる方もいて、自分の演奏が元気の源になっていることがうれしい」と又吉さんはほほ笑む。

3歳でピアノを習い始めた又吉さんは走ることも得意で、高校生までピアノと陸上に打ち込んだ。高校2年生の時に音楽大学と体育大学、どちらに進むか迷った。ある先生からピアノより声楽の才能があると言われたのがきっかけで、音楽大学の声楽科に進学した。

しかし、大学で声楽を専門的に学び始めると、才能がないことを痛感することになる。成績は「ほぼビリ」という状態。そんな学生時代に銀座のクラブでのピアノ伴奏のバイトは、貴重な体験になった。「お客さまの歌を聴いてその人の表現をより引き出すための演奏を追求することにやりがいを感じました」。ピアノ伴奏者として評判になり店のママにも気に入られた。卒業後はそのまま店で働くのもいいかもと思った又吉さんは、ママに相談したところ「まずは厳しい昼の世界を経験しなさい。夜の世界しか知らない人間には働かせない」と一喝され、教員の道に進むことになった。

地元で中学校の音楽教師になり、陸上部の顧問を務めながら、授業や担任の業務に追われる日々だった。「本当に厳しい世界でした。音楽に関わる仕事に就きたいと音楽教師になったのにピアノの練習すらできなかった。生徒と接するのは好きで、『先生のような人になりたい』『学校が楽しくなったよ』と言ってくれる子もいて励みになりました」

教員生活は足かけ10年続いた。生徒には「夢を持ちなさい」と指導したが、声楽の道を断念し、ちゃんとした夢を持っていない自分自身に疑問を感じていた。「このままでは良い教師になれない。自分を成長させる機会がほしいと考えていた」。そんな時に、ふと目に留まったのがJICAの青年海外協力隊の募集だった。1997年にアフリカのジンバブエへ派遣されて約3年間、音楽教師として教育支援に携わった。


当時のジンバブエは世界でHIVの陽性率が高い国の一つで、エイズで両親を亡くした孤児が非常に多い状況だった。又吉さんは、そんなエイズ孤児たちの「学びたい」という強烈な意欲に強い感銘を受けた。「過酷な環境にありながらも、子どもたちは『エイズを治す医者になりたい』『お金持ちになってみんなを助けたい』といったキラキラした目で夢を語ってくれました」

アフリカでの経験で自分の原点であるピアノの仕事がしたいという思いを強くし、知人の紹介で2001年から「オクトーバー」で働いた。「やはり私にはピアノ伴奏が天職だと感じ、この店でずっと働きたいと願いました」。お店でピアノを弾き続け、常連客からは「(ピアノの)先生」の愛称で親しまれた。そして、3年前に店を引き継ぐことになった。当初はピアノしか弾いてこなかった自分に店の経営なんでできるのか不安に思ったが、夫に相談したところ「手伝うよ」という力強い言葉が後押しとなり、現場のスタッフもサポートしてくれた。次第に客足も伸び、ことし3月に広い店舗に移転オープンすることができた。又吉さんのピアノは歌声と共にこれからも響き続ける。

ジンバブエで音楽教師として教育支援

青年海外協力隊として派遣されたジンバブエの子どもたち(又吉さん提供)

又吉惠子さんは、1997年からアフリカのジンバブエで約3年間、音楽教師として教育支援に携わった。派遣先の学校では合唱や、日本から寄付されたハーモニカ、カスタネットなどを使った合奏を教えた。音楽以外にも、折り紙やお箸の使い方、日本の歌を教えるといった日本文化の紹介も行った。派遣先は比較的裕福な層が通う学校だったが、放課後や学校が休みの日を利用して、学校に通えない貧困層の子どもたちに読み書きや算数を教えた。又吉さんは「消しゴムも持たず砂の上に文字を書いて練習したり、ボロボロになるまで紙に名前を書いたりする子どもたちの姿が衝撃的でした。『学びたい』という強い意欲を感じました」と当時をふり返る。また、帰国した後にも2年間、アフリカのマラウイに派遣されている。

これまでJICAからの依頼で度々講演し、県内の児童生徒にアフリカでの体験を伝えている。「子どもたちには物を大切にする心、学びたくても学校に行けない子どもたちがいることを知ってほしい」

ことし3月、「学びたくても学べない子の力になりたい」と、子どもの貧困解消を目指す「沖縄こども未来プロジェクト」に寄付した。「八重山で教員をしていた時もひとり親の家庭の子どもたちを多く見てきた。少しでも子どもたちを手助けできたらうれしい」

保育園で楽しく英語を指導

保育園での授業風景(又吉さん提供)

又吉さんは週に1回、豊見城市の保育園で英語を教えている。音楽教師だった経験を生かして、歌やダンスを交えながら楽しく指導している。又吉さんは「アフリカでは生活のために英語が必要だったが、半年間まったく上達せずとても苦労しました。その経験も指導に生かされています」とほほ笑む。

プロフィル

またよし・けいこ
1971年、茨城県つくば市出身。東京音楽大学声楽科卒。学生時代に銀座のクラブでピアニストのアルバイトをし、伴奏技術に高い評価を得る。茨城県で中学校の音楽教師を勤め、97年に青年海外協力隊としてジンバブエに音楽教師として派遣。帰国後、2001年に沖縄県の八重山の中学校で臨時教員を勤める。06年からピアノラウンジ・オクトーバーでピアニストとして働く。24年、店の経営を引き継ぐ


毎週木曜日発行「週刊ほ〜むぷらざ」彩職賢美〈1458〉
第2018号(2026年4月16日発行)より転載