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県内で多彩な分野で活躍する男性にインタビューする連載「このひとに聞く」がスタートする。初回は、両手が不自由な宮城恵輔さん(42)。タッチペンを口にくわえ、タブレットを操って優しい世界を描き出すアーティストだ。21歳の時、自らの飲酒運転で自損事故を起こし、自由な体を失った。現在は創作活動と並行し、自らの過ちを語る「飲酒運転根絶アドバイザー」としても講話を続ける。 (編集部/栄野川里奈子、撮影協力:HYGGE(ヒュッゲ))
アーティスト、飲酒運転根絶アドバイザーの宮城恵輔さん(42)

自分のようになるな 僕に伝えられること
21歳の誕生日の数日後、宮城さんは友人と酒を飲み、朝方にバイクを走らせた。国道58号のゆるいカーブを曲がりきれず、縁石を乗り越えて安全柵に激突。目を覚ましたのは1週間後、病院のベッドの上だった。「またバイクに乗れるだろう」。当初は楽観的だったが、現実は残酷だった。脳挫傷による麻痺(まひ)。リハビリを経て歩行能力は取り戻したが、左半身に麻痺が残り、右腕も神経断裂によって両手の自由を失った。妻子と別れ、実家へ。自責の念に駆られ、人目を避けて自宅に引きこもる生活が9年続いた。居酒屋の計画をしたためた手書きのノート。
人の役に立ちたかった
転機は30歳、知人の飲酒運転根絶アドバイザーから声をかけられて、飲酒運転根絶の県民大会に登壇した。「死んでもおかしくない事故で生き残った意味があるのなら、人の役に立ちたかった。両手が不自由な僕にできることは体験を語り、『自分のようになるな』と伝えることだと思った」。法律の改正で、事故当時より飲酒運転への社会の目は厳しさを増していた。「バッシングは怖くなかったか」という問いに、「僕にできる償いは、これしかなかった」と答える。
現在はアドバイザーとして学校や米軍などで講話を続ける。「『あんなふうになりたくない』と思ってもらえたらいい。飲酒運転による悲劇を、一人も出してはいけない」。参加者の「怖い」という感想に、言葉が届いたと実感している。
日常生活は食事にもトイレにも人の手が要る。仕事に応募しても不採用が続いた。「自業自得とはいえ、不自由な体であと何年生きるのか。朝、目が覚めなければいい」と思う夜もあった。そんな時期を支えてくれたのは、変わらず接してくれる家族や友人だった。「いつか必ず楽しいことがある、と思えることが一縷(いちる)の望みだった」
タブレットで描く日常

絵筆を持ったのは2021年、コロナ禍のことだ。友人の一言で「口で描く人がいる」ことを知った。
当初は筆で絵を描いていたが、道具の用意に人の手が要る。「自分の力で描き上げたい」と、独学でタブレットで絵を描くスキルを習得した。口にくわえたペンから生まれる鮮やかな色彩に、夢中になった。描くのは、油絵のような温かみのある絵だ。家の窓から見えた空、エメラルドグリーンの海、燃えるような夕日。日常で見つけた、心が動いた瞬間を切り取る。作品はSNSを通して販売し、本や手帳の装丁にも採用されている。

宮城さんの描いた絵。夕方の空に米軍のヘリが飛んでいる
「人生は種まき。ふさぎ込むより、外に出ればいいことがあるかもしれない」。その言葉通り、数年前にカフェで偶然出会った人とSNSでつながり、今年、音楽ジャケットを依頼された。「まいた種が芽を出した」と感じた。
宮城さんが、過去の自分へ伝えたい言葉がある。「人生は捨てたもんじゃなかった。楽しいことは、自分の足でつかみに行くんだ」。自ら「口タッチペンお絵描きおじさん」と名乗り、「今では人前に出ることが大好き。NGなしです」と笑う。
今年、絵を描くプロセスをプロジェクターで壁に投影する「ライブペイント」に挑戦した。「左腕にモップを取り付けて、壁に絵を描きたい」と、新たな表現にも意欲的だ。夢は絵で生計を立てること。障がいのあるアーティストを支援するドアレスアートオキナワの理事を務める宮城さん。「障がいがある人に希望を与える存在になりたい」。闇を超えてつかんだ光は、未来を照らす。
プロフィル
みやぎ・けいすけ
1984年宜野湾市出身。21歳の時、飲酒運転で自損事故を起こし両手が不自由に。飲酒運転根絶アドバイザー。ドアレスアートオキナワ理事
毎週木曜日発行「週刊ほ〜むぷらざ」このひとに聞く(1)
第2020号(2026年4月30日発行)より転載