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彩職賢美リターンズ

2019年4月18日更新

[彩職賢美リターンズ]NS琉球バレエ団団長の長崎佐世さん|琉球を舞うバレエを創作

今年、ほ~むぷらざは35周年を迎えます。読者のみなさまの声に応え、彩職賢美に出た人が再登場する「彩職賢美リターンズ」がスタート。1回目はNS琉球バレエ団団長の長崎佐世さん(67)。琉球舞踊とクラシックバレエを融合した「琉球クリエイティブバレエ」が国内外で観客を魅了しています。

NS琉球バレエ団団長
長崎佐世 
さん

20周年公演後、どん底に。
50歳を過ぎ人生が開けた。


彩職賢美に出た1993年は、私にとって忘れられません。当時、42歳。バレエスタジオの20周年で行ったバレエと琉球舞踊を融合した琉球歴史ロマンバレエ「マホナリ」の公演は、コンベンション劇場棟で2日間満席で幕を下ろしました。しかし公演後、演出への苦情があり、あわや裁判沙汰に。さらに、振り付けについて多方面からおしかりの声が…。

眠れないほど悩む中、追い打ちをかけるように弟子と生徒が離れ、120人以上いた生徒が18人になりました。

シングルマザーで娘2人を養わないといけない。家の借金と生活苦で、当時8歳と5歳の娘たちを連れて海に飛び込もうとした時、次女が「おなかが痛いよ」と言い出し、思わず娘を抱えて家に戻り救急車を呼びました。あの時、次女の言葉がなければ…。考えたただけでもゾッとします。


どん底があったから今の私がいる

その後は昼はバレエ、夜はバイトをして食いつなぎました。

バレエを指導する力も舞台を作る力も湧かず、自信喪失。教室を閉めようと決心した時、高校時代の同級生が「あなたにはバレエを続けてほしい」と、カンパをして支えてくれました。それから自分の行動を振り返り、慢心していたと反省。一からやり直そうと、バレエ指導に熱中しました。

すると、だんだん生徒が増加。教室周辺の治安が悪化したため、意を決して那覇市に移転し名前を変えて再スタート。その時から、20年近く温めた琉球舞踊を融合した「琉球クリエイティブバレエ」にも力を注ぐように。

苦しい時期に何度か教室を閉めようとしたのですが、そのたびに公演を依頼されたり、生徒が一気に増えて。使命として取り組もうと決意しました。今年で教室を始めて46年になります。

私は怠け者なので、どん底の時期が無ければ、仕事を人に任せて今の喜びは得られなかったでしょう。離れていく人がいる中で支えてくれる人もいて、本当にありがたかった。あの時期があったから、今があります。

苦しい時もあきらめずに地道に頑張り続けたら、必ず結果は出る。私の人生が開けたのは、50歳を過ぎてからです。


琉球舞踊取り入れ オンリーワンに!

ナンバーワンよりも、オンリーワンになりたい!

21歳で教室を持って以来、ずっと考えていたことでした。でも何をすればいいのか見当もつかず、ただ時が過ぎていきました。

そんな時、大学時代の恩師、須藤武子先生(日本民俗舞踊主宰)の「琉球舞踊は素晴らしい」という言葉を思い出し、時間があれば琉球舞踊の劇場に通いました。ある時、ハッと気付いたんです。重心移動やすり足、腰の入れ方、手の動かし方。琉球舞踊のすべての動きは、バレエにつながっている! 教室を開いて6年がたっていました。

生徒たちが誇りをもって沖縄の歌や踊りを生かせないかと、沖縄古典音楽を起用し、バレエと琉球舞踊の融合を試みることに。しかし、沖縄古典音楽は1曲の中で3拍子、7拍子とリズムが変わるため、振り付けは至難の技でした。安易に始めたことを悔いたことも多々ありましたが、逃げ出したい気持ちをおさえて取り組みました。

おかげさまでテレビに取り上げられてファンが増え、昨年はアメリカのディズニーワールドでも公演できました。観客のみなさんからの「オンリーワンですね!」の声に、胸が踊りました。


苦手を克服したことは大きな大きな宝物

2歳から12歳までを台湾で過ごし、台湾では「琉球人」、沖縄では「台湾人」と石を投げられ、毎日ケガをして帰りました。高校までは人と話すこともなく、下を向いて歩いている子でした。ずっと、どこかに逃げたいと思っていたんです。

変わったのは日本女子体育短期大学に入ってからです。スポーツが全くできない私に寮の先輩たちが跳び箱、平行棒、球技を毎日特訓してくれました。厳しくて、人からは体罰に見えたかも(笑)。でも、先輩たちの指導は、涙が出るほどうれしかった! おかげで良い成績で卒業できました。

そこで人は頑張れば必ずできる、と学びました。できなかったことを克服した時の喜びは、言葉では言い表せません。何事にも自信がなかった私に自信を与えてくれた、大きな大きな宝物です。
 
生徒たちにも、出来ないからこそ頑張ることが、人生で大きな力になると伝えたい! もちろん、バレエを通しながら。


バレエで「かぎやで風」

NS琉球バレエ団提供

2016年4月16日てだこホール(浦添市)でかぎやで風を披露した。「できるだけ費用を抑えて生徒たちがたくさん舞台に出られるように」衣装はすべてオリジナルで手作り。

NS琉球バレエ団
098‐941‐0360



プロフィル
ながさき・さよ

1952年宮古島生まれ、幼少期を台湾で過ごす。72年日本女子体育短期大学舞踊専攻科卒業。73年長崎佐世バレエスタジオを開所。93年スタジオ20周年で琉球歴史バレエ「マホナリ」を演出。2006年「NSバレエアカデミー」開校。15年NS琉球バレエ団創設。(公社)日本バレエ協会沖縄支部支部長。娘が2人。次女は世界で活躍するバレリーナ長崎真湖
 


初登場の紙面(1993年12月9日掲載)


撮影/比嘉秀明 編集/栄野川里奈子
『週刊ほーむぷらざ』彩職賢美リターンズ<1>
第1655号 2019年4月18日掲載

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おいしいものに目がないガチマヤー(くいしんぼう)。2016年に国際中医薬膳師の資格をとりました。おいしく健康に!が日々のテーマ。

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