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2019年3月22日更新

沖縄の芸能に、あくなき情熱|福島千枝さん(琉球芸能実演家)

ヤマトンチュの沖縄ライフ『楽園の暮らし方』<vol.10>
沖縄に移住した人たちの「職」と「住」から見えてくる沖縄暮らしのさまざまな形を紹介します。

琉球芸能実演家
福島千枝さん



琉球舞踊や沖縄芝居の世界で活動する福島千枝さんは大阪出身。「難しさが醍醐味(だいごみ)」と沖縄の芸能に打ち込む
 

県立芸大を卒業、フリーで琉舞や芝居の舞台に

夢にも思わなかった人生を歩んでいることに、福島千枝さん(34)は運命の不思議を感じている。

「若い頃はロックンローラーを目指していたんです。沖縄に来て琉球芸能に関わることになるなんて思いもしませんでした」

大阪生まれの福島さんと沖縄との縁は、歌手、Coccoさんの音楽を通して結ばれた。熱烈なファンだった福島さんは、沖縄限定発売のCDを買うために一人で沖縄にやって来た。初めて見る沖縄は、ういういしい16歳の心に楽園として映った。

「『空と海の色がなんでこんなに青いの? ここは竜宮城じゃない!』と、もうビックリして」

「部屋にこもってロックばかり聴いているような子」だった福島さんは、沖縄と出合って心を強く揺さぶられた。沖縄の海の映像を見るだけで涙がこぼれるような体験もした。

「あれ、どうして私、泣いているんだろうって、自分でも訳が分からなかったです」


昨年12月、那覇のテンブスホールで行われた沖縄俳優協会の舞台で「金細工」を踊った
 

後ろ姿まで美しい踊り

不思議な引力を感じる沖縄に、アルバイトでお金をためては通うようになった。宿泊先はいつも、父のように慕うオーナーが営む本島北部の宿。そこで知り合った人から「習ってみたら?」と琉球舞踊の先生を紹介された。

「先生がカチャーシーを踊るのを見て、鍛え抜かれた体と動きに衝撃を受けました。後ろ姿にまで見入ってしまったほどです」

先生は沖縄県内のほかに大阪にも道場を持っていた。「琉舞を習えば、大阪にいても沖縄を感じられる」。そんな軽い気持ちで道場に通い始めた。

入門して1年後、福島さんは大きな舞台に立つ機会に恵まれた。本式に髪を結い、お化粧をして衣装を着けた。舞台を見た人から、「これが本当の自分だと思うでしょう? それくらい琉装が似合う」と声をかけられた。

「乗せられちゃうタイプ」だという福島さんは、一念発起して沖縄県立芸術大学を受験することを決意した。予備校にも通って猛勉強し、22歳で琉舞と組踊のコースに入学した。


1月に南風原町で上演された歌劇「中城情話」ではヒロインのウサ小を演じた。「過去の公演の録音を何度も聞いてせりふを覚えました」(写真は友人の舘幸子さん撮影)
 

言葉の壁を前にして

在学中、福島さんがいかに勉強熱心だったかを一冊のノートが物語る。「最近、こんなものが見つかって」と見せてくれたそのノートには、沖縄語があいうえお順に並び、その横に標準語の訳がついている。例えば、「あまんかい、くまんかい」の項には「あっちに、こっちに」と。

「授業中に出てきた意味の分からない単語をまとめたんです。『“あまんかい、くまんかい”は“あまくま”と同じ意味だよ』などと説明されても、あまくま自体の意味がそもそも分からなかったりしたので(笑)」

優秀な学生に大学から授与される「西銘順治賞」も受賞した福島さんは、卒業すると首里城に就職した。しかし、舞台活動に本格的に取り組みたい気持ちが強くなり、3年で辞めた。

「芸能を学ぶために沖縄に来ているのだからと、思い切って働き方を変えることにしました」


昨年秋、沖縄にルーツをもつ音楽グループ、Bless4(ブレスフォー)と県外の公演で共演した。「沖縄の芸能を県外に広める活動にも挑戦していければ」(写真は福島さん提供)


「実は3枚目キャラ」だという福島さん。「10代の頃からあだ名は“宇宙人”。でも最近、『昔ほどおもしろくなくなってきたね。“地球人”になってきた』と人に言われて、しまったなと(笑)」


国立劇場おきなわの公演時に撮影ナビゲーターの仕事をしている。「カメラマンさんが撮影しやすいように、『踊り手がこれから舞台のどこそこまで歩きます』などと伝える仕事です」
 

夢のまた夢に

複数のアルバイトを掛け持ちしながら県内各所に営業に回って、舞台出演の依頼が来るのを待った。舞踊のほかに歌三線や太鼓の稽古にも通い、芸の質を高める努力もした。しかし、師匠の元を離れてフリーの立場で活動する福島さんに仕事はなかなか来なかった。舞台に立てずに1年ほど悶々としたが、徐々にイベントの余興や沖縄芝居の仕事をもらえるようになった。

「『勉強させてあげたくて』とお芝居の大役をいただくこともあり、ありがたい限りです」

舞台に出たときには、出演料の一部を「琉舞の未来のための資金に」と取って置いている。

「夢のまた夢ですけれど、いつか琉舞の資料館をつくれたらなどと思いを膨らませています」

芸能のおもしろさは「簡単ではないところ」だと福島さんは言う。難しい踊りや役を少しずつ踊りこなせる、演じられるようになる過程に喜びがあると。

「挫折しそうになることもありますが、多分一生続けていくと思います。どうしてここまで沖縄の芸能に情熱を傾けられるのか、自分でも不思議です。なんでかねー、と思います。結局、私、沖縄が好きなんですね」

昔、誰かに言われたように、「本当の自分」を、福島さんはそこに見つけたのだろう。


那覇の賃貸マンションに暮らす。「ひと目見て気に入った部屋です。自分にはグレードが高すぎるので借りるのをためらったのですが、相談に乗ってくれた知人に『一番いいと思う場所に住むべきよ』と背中を押されました」


本棚には「琉球戯曲集」や「沖縄古語大辞典」といった専門書が並ぶ


大学時代にまとめた沖縄語の単語ノート


数ある衣装のなかでも、新聞社主催のコンクールの最高賞に挑んだ時に身につけた紅型(写真右)は「宝物」だという


自称「うつわ狂い」の福島さんのうつわコレクションの一部。「ケガで入院した時に、病院からギャラリーに電話をして欲しいうつわを取り置いてもらったこともあるくらい、うつわが好きです」。奥は手作りの梅酢やレモン酒。「いい奥さんになりそう、とよく言われるのですが、お嫁に行きたい気持ちはあっても今のところその見込みは薄く、残念な限りです(笑)」


文・写真 馬渕和香(ライター)


毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1733号・2019年3月22日紙面から掲載

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