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2019年9月20日更新

尽きない楽しみ、大工の仕事に|山庄基喜さん(木造大工)

ヤマトンチュの沖縄ライフ『楽園の暮らし方』<vol.16>
沖縄に移住した人たちの「職」と「住」から見えてくる沖縄暮らしのさまざまな形を紹介します。

山庄基喜(やましょう・もとよし)さん(木造大工)


大阪府出身の山庄基喜さんは、伝統工法の木造建築を得意とする名護の上地工務店で初めて採用された本土出身者。「嫌になったことが一度もない」という大工の仕事で日々現場をかけまわる


県内指折りの木造工務店で活躍

温厚で、物静かで、妻の千鶴さんいわく「白黒はっきりさせたい私と違って、明確な意志を持たない人」という山庄基喜(47)さんが、驚くほど明確な意志を実行に移したことが一度ある。

沖縄に暮らして3年目のことだ。木造建築を得意とする工務店が名護にあることを新聞で知った山庄さんは、求人中でもないその会社に電話をかけて雇ってくれないかと頼んだ。

「当時、建具や家具を作る仕事をしていたのですが、家を建てる時のような達成感を感じられなくて。以前していた大工の仕事に戻りたかったんです」
 
電話をかけた先は、伝統工法の木造建築を手がける上地工務店。幸いにも代表の上地徳正さんが面接をしてくれることになった。結果は即採用。木造大工歴約50年の上地さんは理由をこう話す。

「木造を研究したい、木造で生きていく、という意気込みを彼から感じました。それまで本土出身者を雇ったことはありませんでしたが、即決でした」


今帰仁村の建設現場。大先輩の真栄田操さん(下の男性)は、「山庄さんは仕事をスムーズに運ぶのがうまい。信頼を置いています。上地工務店にとってプラスです」と話していた


クレーン車に手際よく合図を送りながら木材を決まった位置に誘導する山庄さん(右から2人目)
 

昔堅気の大工に弟子入り

もともとは建築士を目指していた山庄さんが大工の道に入ったのは24歳から10年暮らした種子島でだ。趣味のサーフィンにのめり込むあまり生まれ育った大阪から移住したその島で、漁師の助手から電気工事や鉄工所のアルバイトまでさまざまな仕事を経験してみて、特別な興味を覚えたのが大工だった。

「家が組み上がっていくのを見るのがおもしろかった。幼稚園時代の文集に『自分で自分の家を建てるのが夢』と書いた頃からずっと、大工にあこがれる気持ちを胸のどこかに抱いていたんだと思います」

「仕事が丁寧」と評判の大工を紹介されて、その人のもとで修業することになった。師匠はまだ30代と若かったが、妻の千鶴さんによれば、「生きざまがかっこいい、昔の日本男児といった感じの人」だった。

「初任給の給料袋に1万円多く入っていたので、『間違ってます』と言ったら、『黙ってもらっておくもんだ』と。それ以降も毎回1万円多く入っていました」

道具の使い方や仕事の段取りの仕方など、大工仕事の基礎を彼から教わった。中でも厳しくたたき込まれたのは、仕事の準備を完璧に行うことの大切さだ。

「現場に入る時、どんな材料がどれだけ、どんな道具がいくつ必要かを全部計算してから入りなさいと教わりました。一度入ったら作業が終わるまで出て来るな、『あ、あれがない』と取りに行くような無駄をするなと」


来年、創業40周年を迎える上地工務店。「沖縄の軸組構法で造った家は、万一台風に持って行かれるとしたら家ごと持って行かれるんじゃないかと思うほど風に強い。沖縄のすばらしい伝統を残したい一心で木造を勉強してきたし、今もしています」と上地代表(下写真左)は話す


「大卒では足りない。大学院卒くらいの頭脳がないとできないくらい難しい」と上地さんが冗談交じりに言う「墨付け」(写真)や木材の加工は工場で。「二つとして同じものがない木の個性をどう生かそうかと考えるのが楽しい」と山庄さん
 

楽しむ人にはかなわない

まじめな山庄さんは教えを着実に吸収し、子育てしやすい環境を求めて沖縄に移住するまでの間に、家一軒を一人で建てられるくらいの技術を身につけた。それもあって上地工務店に入ってからはわずか3年目で一人前と認められた。山庄さんが「到底かなわない、すごい人」と尊敬する上地代表は、山庄さんの働きぶりに目を細める。

「うちでは“尺杖”と呼ばれる定規を持たされたら一人前。普通は7年ほどかかりますが、彼はかなり早くに渡された。種子島で基礎を固めてきたから、というのもあるけど、結局、仕事というのは楽しんでやる人にはかなわない。彼が楽しんでいるのは見れば分かります」

 確かに、仕事中の山庄さんは水を得た魚のように生き生きとしている。高所恐怖症の人なら卒倒しそうな高さに架かる細い材木の上をまるで体操選手のように軽やかに歩いて仲間にテキパキと指示を出す時や、「一番頭と集中力を使う」という墨付け(木材を加工する箇所に目印をつけること)をする時の彼は頼もしい貫禄を放っている。
 
「大工の何がそんなに楽しいんでしょうね。でも楽しいんです。嫌になることがない」

温厚で、物静かな印象の山庄さん。その心の内にはひたむきな情熱が燃えている。


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自分で設計も施工も手がけた今帰仁村内の自宅。「沖縄に建てるなら沖縄らしい家がいい」と木造赤瓦屋根の家にした。使った木材は自分ですべて墨付けをし、材を組み合わせる部分は手刻みで加工した(4番目の写真)。「機械に加工させるのと自分の手で刻むのとでは、湧いてくる愛着の深さが違います」


床面積16坪とコンパクトながら、間仕切り壁が少ないせいか数字以上の広さを感じる。現代版組踊の稽古に通っている子どもたちものびのびと練習できる
 


「いいね!」を集めた家

ベニヤを一枚も使わない、本物の木だけの家。維持管理に時間とお金がかからない小ぶりな家。子どもたちが虫取りをして遊べるくらいに庭が広い家――。自宅を建てることになった時、山庄さん夫妻が思い描いたのはそんな家だ。

「これまで住んできた家の『いいね!』を集めたような家を建てたいと思いました」
 
そう話す妻の千鶴さんが総無垢(むく)材の家にこだわったわけを教えてくれた。

「種子島で貸家に住んでいた頃、天井や押し入れに使われていたベニヤが湿気でうにょうにょになって腐るのに手を焼いたんです。ベニヤは一時しのぎの素材、一生ものにならないと思うようになりました」

九州産の杉の芳香が漂う自宅は、梅雨でも湿気がこもらずに物がかびない。夏場でも涼しくて、冷房を入れるのは年に2、3日だ。

子ども部屋や寝室を思い切って省いて小さな家にしたのも正解だった。掃除はホウキでささっと掃くだけといたって簡単。個室が欲しい時は開け閉め自在のふすまで仕切ればいい。

「この家の全てが気に入っています」と千鶴さん。喜びの色が笑顔にあふれていた。


文・写真 馬渕和香(ライター)


毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1759号・2019年9月20日紙面から掲載

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