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2022年6月23日更新

[沖縄]6.23慰霊の日企画|白梅の思い つなぐ若梅

県立第二高等女学校の白梅学徒隊と呼ばれる少女たちの戦争体験を語り継ぎ、白梅之塔の慰霊祭を継承していこうと結成されたボランティアグループ「若梅会」。その存在や活動は、戦争体験の継承という課題に多くの気付きを与えている。

写真左上:白梅之塔を清掃する若梅会のメンバー(撮影/比嘉秀明)
写真左下:白梅同窓会の皆さん
写真右:若梅会は昨年、慰霊の日に花を供え参拝を代行する「ウムイ花プロジェクト」を行った
(写真提供/若梅会)


持続可能な継承を目指す

受け取った思い

「私たち戦争体験者がいなくなるのは目前。体験者がいなくなったら、継承の取り組みはやらなくていいということではないでしょ?」。白梅同窓会会長の中山きくさんの呼び掛けで、2019年2月に20~50代の男女9人が「若梅会」を結成した。

15年以上の付き合いがある中山さんから、若梅会の代表にと指名されたのが、いのうえちずさん。当初、「代表はウチナーンチュに」と断ったが、「沖縄とか県外とか、出身は関係ない」と返された。悩むいのうえさんに、「やるべきだよ。次につなぐまででいいんだから」と、歌手の宮沢和史さんが背中を押した。いのうえさんは「きくさんが先発投手なら、私は中継ぎ。次に渡すつもりでやろうと思えた」と振り返る。

雑誌編集長の仕事は多忙だ。それでも、いのうえさんを突き動かしているものは何かと聞くと「私にも分からない。でも、きくさんからなんか大事なものを受け取っちゃったんです」と笑顔を見せる。

沖縄で学び、つなぐ

若梅会は現在、教員、会社員、学生など、職業も年齢も出身地も違う10人が、平和学習の講師やガイド、慰霊祭の運営などで共に活動している。

会社員の新垣ゆきさんが、中山さんと出会ったのは高校1年生のとき。部活動で沖縄戦について学ぼうと、元白梅学徒隊に話を聞き、ガイドを実施。戦争で母校を失った白梅たちの思いを継ごうと「後輩宣言」をし、以来、慰霊祭に参加してきた。

コロナ禍で参拝者が減ったことを受け、昨年は、慰霊の日に花を供え参拝を代行する「白梅ウムイ花プロジェクト」を企画した。「心強いメンバーが一緒だからできる」と笑顔を見せる。

八重瀬町史編さんに携わる平仲愛里さんは、「軍属として戦争を体験した学徒隊の話を直接聞けることは貴重」と話す。人柄にも触れ、体験はより深く心に響いた。「戦争体験は映画みたいに関係ない場所で起きている関係ないことではない。沖縄戦を沖縄の人が学ぶのは、地域で起こったことなんだという実感を持つことができるということ。地域でつながっていくのが必要だと思うんです」と力を込める。

戦前、戦後も伝える

琉球大学准教授の北上田源さんは、若梅会に強みや意義について「白梅会の継承のために、全くの第三者で、発信や表現の経験値のある人たちが集まれた」こと、「戦時中だけでなく、戦前の学校生活や戦後の変遷などをしっかり聞いて、伝えていくという強い意識がある」と感じている。

県内小中学校の平和学習についても、「心身の発達段階に合わせること、戦争だけでなく、戦前、戦後も含め、身近な人や地域の経験から入り、まずは昔を知る楽しさを感じてもらうことが大事。そこから戦争体験も身近なこととして捉えられ継承につながる」と語る。

老朽化で破損した参道の修繕費を募るクラウドファンディングでは目標を上回る支援が集まった。説明板の設置も計画されている。北上田さんは「継承と検証も大切。今後、同窓会の皆さんと取り組むことがますます重要になる。表現の方法について意見を出し合い、未来に残すものを一緒に考え作っていきたい」と話す。

「中山さんや白梅の皆さんが築いてきたものの大きさを改めて感じている」と口々に話す若梅会メンバー。戦争体験の継承は持続可能でないといけない。「情熱だけでは無理。工夫とアイデア、基盤強化も必要」といのうえさん。平和を希求する思いを受け取り、未来へとつなぐ。



若梅会がクラウドファンディングを行い修繕した白梅之塔の参道。より安心して参拝できるよう清掃も行った

 ウムイ花プロジェクト 
昨年、慰霊の日に花を供え参拝を代行する「あなたのウムイ届けます~ウムイ花プロジェクト~」を考案した新垣さん。「コロナ禍でも祭壇をいっぱいの花で飾り、来られない人の思いも伝えたかった」と意図を話す。1口500円で、インスタグラムなどのSNSから申し込め、スマートフォンの決済アプリ「PayPay(ペイペイ)」を利用できるようにするなど、手軽さが受け、144口の申し込みがあった。いのうえさんが遺影も用意し、華やかになった祭壇を前に「白梅同窓会の皆さんも喜んでいた」と目を細める。


 クラファンで参道修繕 
1947年に建立され、92年に改修した白梅之塔だが、劣化や破損が目立つようになり、白梅同窓会の一人が参拝中、足を取られアキレス腱(けん)を切る大けがをした。若梅会は昨年、参道修繕費188万円をクラウドファンディングで募集。目標を上回る294万円の支援が集まり、参道の修繕に拡張や手すりの設置も行った。今後、塔の設立経緯を紹介する説明板も設置する予定。


クラウドファンディングで修繕する前の白梅之塔の参道。写真手前の亀裂に足を取られ大けがをする人もいた


修繕後の参道▲▼


 慰霊祭を運営 
若梅会は2019年6月から、白梅之塔慰霊祭の運営に携わっている。北上田さんは「祭壇の準備や進行だけでなく、案内状の作成・発送、テントの設営依頼、雨天時の対応など、同窓会の皆さんの細やかな配慮に驚いた。戦争の体験とともに、運営の方法を継承していくことも大事」と話す。いのうえさんは若梅会の法人化を検討中で、「次世代につなげるためにも、運営基盤をしっかりつくりたい」とした。


 平和学習もニーズに対応 
若梅会では、修学旅行生をはじめ、県内の学校や地域、職場などでも、白梅学徒隊の戦争体験を伝える講話を行っている。コロナ禍でオンラインによる学習へのニーズ、対応も増加した。いのうえさんは「慰霊塔周辺の掃除や献花など、気軽に参加できる取り組みを今後もやっていきたい」と話す。


「同じ過ちを起こしてほしくない」 

白梅同窓会会長 中山きくさん(93)

戦争体験を話すのは、最初はつらくてできませんでした。でも日本は戦争という同じ過ちを起こす可能性があると感じるんです。私が体験したこと、つらい思いを後輩たちにさせたくない、その思いで、これまで語り継ぐ活動をやってきましたが、心身ともに衰えていくのが自分で分かるんです。
 若梅会の皆さんは、これまで平和学習や取材などで知り合い、1回で終わりではなく、ずっと付き添ってくれた人たち。その人たちに、私の弱音を手紙に書いて送りました。そして、「私たちが引き継ぎます」と言ってくれました。それが何よりもうれしい。戦争は二度と繰り返してはいけない、これからもずっと伝えていかないといけないことです。

なかやま・きく/1928年、佐敷村(現南城市)出身。県立第二高等女学校4年生のとき、白梅学徒隊として第24師団第1野戦病院で看護補助作業、負傷兵の手当てなどに従事。

 話を聞いた若梅会の皆さん 

●いのうえちずさん(53)
1968年、広島県出身。若梅会代表。(株)東洋企画印刷出版部執行役員。「モモト」編集長。中山きくさんとは15年以上の付き合い。2011年、「女子学徒ウムイ展」の事務局も務めた。


●新垣ゆきさん(35)
1987年、那覇市出身。沖縄尚学高1年時、クラブ活動で「白梅の足跡をたどれ」プロジェクトを企画。白梅学徒隊からの聞き取り、ガイドを実施。「後輩宣言」も行い、語り継ぐ活動を継続。


●北上田源さん(40)
1982年、京都府出身。沖縄平和ネットワーク事務局長。若梅会立ち上げメンバーの一人。琉球大学教育学部社会科教育専修准教授。琉大生時代から平和ガイドに取り組む。


●平仲愛里さん(31)
1991年、八重瀬町出身。祖父が描いた戦争体験の絵や手記を元に、大学2年から語り継ぐ活動に取り組む。現在、八重瀬町教育委員会町史編さん事務員。多数の戦争体験を聞き取る。


 白梅学徒隊と白梅之塔 
1945年3月、沖縄県立第二高等女学校の4年生56人が、白梅学徒隊として組織された。八重瀬岳の病院壕で負傷兵の看護に当たったが、6月4日の解散命令で戦場に放り出され、22人が命を落とした。学徒戦没者をはじめ、教職員、生徒、卒業生など白梅同窓会関係の戦没者を追悼するため、糸満市真栄里に白梅之塔が建立された。

撮影/比嘉秀明 文/赤嶺初美(ライター)
『週刊ほ〜むぷらざ』6.23慰霊の日企画

第1820号 2022年6月23日掲載

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