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2018年7月12日更新

徒弟制度の中で|美容外科医のないしょ話

文/当山護(当山美容形成外科会長)

現在はほとんどなくなった制度に徒弟制度がありますが、わがクリニックには長い間、働きながら看護学校に通ってもらった大勢の看護師さんがいました。そのほとんどが挫折なく立派な准看護師、看護師に育ち、中には米国留学をした方や大学病院の婦長さん(現看護師長)になった方もいます。わがクリニックをこれまで支えてくださった女性たちは、ほとんどがこのような方々です。

高校卒業後から働き、勉学のため通学を続けました。看護師免許をとり、他のクリニックに巣立っていった女性を含め、私自身は感謝の気持ちでいっぱいです。医師不足に加え医療人が足りなかった戦後医療の混乱期から数十年、彼女たちの献身的働きがなかったら、これまで自慢してきた沖縄の長寿社会は生み出せなかったと考えています。

現在は沖縄にも看護大学が出来、看護学校もある程度増加した半面、授業料を肩代わりするかわりに学校卒業後の病院就業を義務化する所も増えています。結局、昔の徒弟制度がお礼奉公制度にかわっただけなのであろうと考えるのですが…。

悪評続いた徒弟制度、その中でもがき続けた医療人の約半世紀ですが、一方では、制度を超えて互いに感謝の意を伝えたい部分もあったのではないでしょうか? 今でも彼女たちは優しく患者さんに味方し、それぞれの能力をもって働いています。母となり、お孫さんもいる年齢になっている頃ですが、当院でも定年まで働き退職していった彼女たち、立派な人生を生き沖縄の医療を支えた看護師さんなど、卒入学、戴帽式が近づくたびに思い出します。

たとえAI時代と言われても医療現場はコンピューターや機械ではつながらず、昔と同じく言葉を掛け合い温かい手を結び合い働いています。そのような時…おやおや、グループメールの看護師さんから「頑張れ!」「お疲れさま」とメッセージが入ってきました。現代っ子の看護師さんは明るくステキなのだなぁと感じ入りましたが、とうとう自分の娘を看護師さんにしちゃったうちのカミさんが身近にいたのです。


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『週刊ほーむぷらざ』
第1616号 2018年7月12日掲載

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文・当山護(当山美容形成外科会長)

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