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COLUMN

崎原徹

2018年6月18日更新

音楽ビジネスと沖縄とボク|崎原徹のコラム

[funokinawa Vol.01]地元沖縄「コザ」のことや音楽業界のおもしろい話、音楽について綴ります。

コラムを読んでいるみなさま、はじめまして。
ワタクシ、産まれは沖縄のコザ(沖縄市)復帰っ子 100kg未満、ヤンバルとヨナグニのハーフ宮里聖志(宮里藍さんのお兄さん)さんそっくりの崎原徹と申します。
初の物書きで戸惑っていますが、ボクのコラムを通じて地元のコザのことや音楽業界に携わる者として音楽の話をしていこうかと思っております!

ボクは褒めて育ててもらえると成長します。
以後、お見知り置きを!

さて、まずは”ボク”という人間を知ってもらうために簡単なボクヒストリーを語らせてください。

与那国出身の崎原安春(父)とヤンバル出身の親川喜代子(母)の3人姉弟の末っ子として基地の町、KOZAにリリースされました。
ヤスハルとキヨコはコザで刺繍屋(ししゅうや)を開業しボクはこの街でたくさんの影響をうけながらもスクスク育ち、幼少の頃に患った小児リウマチを治すために野球を始め、ジャイアンツファンのおやじの影響もあり、高校3年までただの野球少年として育ちます。

しかし、ボクの野球人生は初戦敗退という形であっという間に終わり、野球への情熱は液体窒素に浸されてくぎが打てるぐらいカチンコチンに固まったバナナのように、冷めてしまったのです。そう、燃え尽き症候群になってしまったのです。

そんな空虚カスカス脳みそ状態なボクへ、悪友がそっと一枚のCDを差し出したのです。
その音楽はボクの空虚カスカス脳みそを今、はやりのグリーンスムージーがごとく、ぐちゃぐちゃにまぜみだしてくれてなんとも言えない気持ちにさせてくれました。

その時貸してくれたのがアーティスト名「DOKKEN」、アルバム名『Tooth and Nail』です。ゴリゴリのヘビメタで僕の激しいギターと疾走感のあるリズムが僕の心に高揚を与えてくれたのです。

それからは何かにとりつかれた、如く地元のCDショップと中古CD屋に入り浸る毎日でした。音楽ジャンルもヘビメタ・サザンロック・ブルースロック・ジャーマンメタルとさまざまでした。その中でも「AC/DC」、「Led Zeppelin」、「The Doors」からは、かなりの影響をうけ、僕の生き方にも影響を与えました。

そこから、バンドを始めるのに時間はかかりませんでした。
19歳から独学でドラムを始め音楽に没頭したのです。
僕にCDを差し出したB型のギター、少し変態なAB型のBass、 狂気を感じさせるA型のボーカルとバンドを始めたのですが、初めて2年ぐらいで自分に違和感を覚え始めました。
どうやら僕はステージに立つより、企画を立ててイベントを成功させることが快感だったようです。



ちゅらDisney|ちゅらディズニーはボクがプロデュースした音源




ステージに立つのは嫌いなくせに舞台袖からたくさんのお客さんが来ることが、うれしいのです。
メンバーには自分は才能がないからやめると宣言してあっという間に「アーティストとしての夢を諦め」5年間、三重県で働いて軍資金を作り、人脈を作り、僕の人生の師となるS師と2001年、沖縄市で音楽事業をスタートしました。当時高校生だったオレンジレンジと出会い、プロダクション事業をスタートさせることになったのです。





音楽プロダクションの話は次回へ、今後ともよろしくお願い致します。

崎原徹

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崎原徹

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2000年インディーズCD専門店スパイスレコーズをコザにて出店。2002年にインディーズレーベルspice recordsを立ち上げ、ORANGE RANGE、HIGH and MIGTHY COLOR、All Japan goith、Heaven's Hemp Hoifesta、the do-nuts等をを排出。2008年からはLIVE HOUSE Salt & pepper やレコーディングスタジオを運営。現在は沖縄市でまちづくりの活動と沖縄と台湾を文化と音楽で交流しながら、琉球POPS ユニット「リュウキュウノツカイ」のプロデュースも行なっています。

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