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喜屋武奈央子

2017年6月3日更新

沖縄から世界で活躍する人材を育てること|喜屋武奈央子のコラム

喜屋武奈央子のfunokinawaコラム[vol.01]
私のミッションは「沖縄から世界で活躍する人材を育てること」



はじめまして。喜屋武奈央子と申します。私のミッションは「沖縄から世界で活躍する人材を育てること」です。沖縄で生まれ育ち、米国で学士号と修士号を取得後に東京、スリランカ、スイスで勤務した経験から、グローバルに活躍したい女性へのヒントをシリーズでお伝えしていきたいと思います。

グローバルという言葉をあちこちで耳にしたことがある方もいらっしゃるでしょう。様々な定義がありますが、もともとはGlobe(地球)から派生している言葉です。英語ではGlobalと書きますが、「地球規模的な」という意味があります。今はインターネットが当たり前のように存在し、インターネットを通して私たちは世界中と繋がっていますので、拡大と発展を続けるビジネスの世界にグローバルな視点はとても重要です。プライベートでもグローバルな視点を持つことで、住んでいる地域や日本だけに留まることなく、様々な意見やアイデアに出会うことができますので、自分をより客観的に見つめることができるようになったり、クリエイティブなアイデアが浮かんできたりして人生がより豊かになります。

では、「グローバルに活躍する女性」と聞いて、皆さんはどのような女性を思い浮かべるでしょうか?語学に堪能?高学歴?おしゃれな生活をしている?ちなみに私が実際に海外に出るまで描いていたグローバルな女性たちのイメージは、語学に堪能で高学歴で、素敵なパートナー(笑)と子どもがいて、家事も完璧にこなし、仕事もプライベートも満喫している、でした。確かにそのような女性たちもいましたが、私が今までに出会った女性たちのほとんどは、私たちと同じように恋、仕事、親の介護問題、子どもの教育などで悩んでいました。

そのような「私たち」と同じ女性たちが、世界でイキイキと活躍できている理由を私なりに分析してみたら、彼女たちは次の資質を持っていました。
 

  • 精神的に自立している
  • 自分の意思で選択している
  • 自分で様々な情報を集め、分析し、判断している
  • 自分の行動に責任を持っている
  • 柔軟な考えを持っている
  • 自分にとっての幸せはもちろん、それが社会にとってもいい選択であるかを熟慮している
  • 英語を始めとする外国語でコミュニケーションがとれる


「グローバルに活躍する女性」には、会社で働く女性、フリーランスの女性、起業家、アーティスト、現在は子育てに集中している方など、様々な女性が含まれます。結婚しているしていない、子供がいるいないは関係ありません。インターネットのおかげで、私たちは場所や時間に関係なく世界中の人々とつながることができるので、必ずしも海外に住んでいる必要はありません。

生まれた頃からインターネットやスマートフォンが身近にある世代が育っていく社会では、今までにないスピードで新たなテクノロジーが開発され、人と人とのつながり、ひいては社会や国家のありかたなども変化していくことでしょう。AI(人工知能)の進歩によって、今ある職業の多くは淘汰されていき、今までに想像もしなかったような職業が生まれると言われています。だからこそ、沖縄や日本という視点だけではなく、より広い視野で人生を生きていく必要があると思います。

地球の未来を創っていくのは、特定の世代だけがすることではありません。様々な世代が一緒に創っていくものです。そして、次の世代を育てるのは、選ばれた特別な人々や教育機関がすることではなく、私たち一人一人がその役目を担っていると思います。私たちの親や祖父母、ご先祖様の世代が多くのことを教えてくださったように、私たち大人は、自分のことだけではなく、後ろに続いてくる後輩たちを育てていく責務があります。彼らは私たちの背中を見て育ちます。背中には顔がない分、雄弁にその人の人生を語ります。どうせ見られる背中なら、私は夢や希望、目標などのインスピレーションを与えられるような背中になりたいし、そういう背中を持った方がたくさん増えていくといいなと思います。

このシリーズを通して私が皆さんにお伝えすることは、自分が経験したことだけではなく、今までに出会った素晴らしいグローバルな女性たちから学んだことです。夢に向かってひたすら突き進んでいったあげく、突如自分がやってきたことに自信が持てなくなったり、何とも言えない焦燥感で行き詰ってしまった時、理想と現実のギャップで悩んだ時、人や社会との関わり方で苦しかった時、自分が無価値に思えて自信を喪失した時など、人生の様々な辛い時期に私を慰め背中を押してくれたのは、同じような経験をしてきた先輩方でした。このシリーズが、皆さんがグローバルに活躍して、次世代の憧れとなる「背中」を作り上げるためのヒントになれば幸いです。


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1974年に沖縄本島(現在のうるま市)で生まれる。父の仕事の都合で10歳の時に新潟県に、13歳の時に北海道札幌市に引っ越す。大学3年まで札幌市で過ごし、21歳で米国アイオワ州にあるアイオワ大学に編入し、学士号(経済学)と修士号(第三世界の開発)を取得。卒業後は東京の財団法人や政府機関で働いたのち、国連の専門機関である国際労働機構(スリランカとスイスのジュネーブ)で勤務。帰国後は沖縄に戻り、現在は恩納村にある沖縄科学技術大学院大学(OIST)で勤務。1児の母。

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