松の浦断崖と田園段丘の旅 浦添から宜野湾へ|新城和博のコラム|fun okinawa~ほーむぷらざ~

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新城和博

2017年5月23日更新

松の浦断崖と田園段丘の旅 浦添から宜野湾へ|新城和博のコラム

ごく私的な歳時記Vol.29|首里に引っ越して20年。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、この20年も振り返りながら、季節の出来事や県産本の話題をつづります。

梅雨入り直前のある日、雨の具合を気にしつつ浦添から宜野湾まで歩いた。市町村の境界線を越えると「散歩」よりも遠出感が出てくるが、距離的には首里から旧那覇(西町・東町かいわい)まで歩くのと変わらない。でもやはり車で通り過ぎる街をじっくり歩くとなると、初めて訪れるような気分になる。

毎年この時期、宜野湾真志喜に住む友人宅にお呼ばれされ、楽しい一夜の宴を過ごしている。例年同じく招待されている友人夫婦の車に同乗していたのだが、ここ数年のわが家の「散歩・まち歩き」熱の高まりを受け、今回は「歩けるんじゃない?」という気分になったのだ。浦添から宜野湾にいたるダイナミックな地形を一度たどってみたかった。

出発直前、雨がぱらついたので躊躇(ちゅうちょ)したが、東陽バスで首里から浦添城間まで行き、そこからスタートすることにした。バスとモノレール乗車は、まち歩きの一つである。

城間から伊祖、そして港川へと歩く道すがらは、計画的に整備されたであろう住宅地が整然と続いている。戦後というよりも、復帰後ベッドタウン化に伴い開発された住宅地なのではないかしら。学校とその周りに広がる住宅地の中をゆるゆると歩く。道路は直線的なので、できるだけ高低差のある道を選ぶのだが、いわゆる「すーじ小」はない。

電柱を確かめると、「松原」とある。これは住所ではない。電柱は、電気・電話などのいくつかの用途に使用されているのだが、それに応じて別途で独自の表示が貼られている。これがまたいい味を出していたりする。住所名を使っている場合もあるし、つなげている地域の頭文字の場合もあるし、まったく想像の付かないものもある。「松原」の表示を見て、ああそういえばさっき通った公園も松があったなと気がついた。



浦添港川といえば、外人住宅地がおしゃれなカフェエリアになっているところが有名だが、そこは通らずに周りの普通の住宅地を歩いていくと、高層マンションが建ち並ぶエリアが見えてくる。なぜこの辺りにマンションが集中しているのかというと、高台にあるというだけではなく、そこが断崖になっているからだ。断崖の高層である。見晴らしがいいに決まっている。まるで城壁のように並んでいるマンションの切れ目に、小さな公園がある。ここも松がいくつも植えられていた。いや、もともとあった小山を整備したようなので、もしかして自生していたのかしら……。その松山を少しだけ昇ると、そこは断崖。一挙に見晴らしがよくなり、宜野湾・北谷あたりの西海岸が一望できる。このコースのハイライトはここである。小公園の裏から断崖を一気に降りることの出来る、アスレチック公園的な木造の階段が設置されているのだ。



高低差をじっくり味わいつつ松の断崖を降りていく。なぜか途中に造花の花束が欄干にくくりつけられていた。見なかったことにして無事、下の広場に到着。子どもたちがバスケットをしている。振り返ってみて、「ああこれはきれいな断層だな」と気が付く。あとで調べてみたら、「伊祖断層(浦添断層)」と名付けられていた。ぼくはここだけの風景を「松の浦断層」と命名したい。松の浦断層を下りれば、そこは牧港。そこから牧港川を越え、A&Wを過ぎ、宇地泊川を渡ると宜野湾市である。

二つの川によって分けられる浦添と宜野湾の境界は、歩いていても少し混乱してくる。浦添と宜野湾が逆断層的に混じり合っているような……。

電柱を確かめながら、できるだけ国道58号に近付かないようにして、楽しい夜の宴の待つ友人宅を目指す。

宇地泊、大謝名、真志喜、そして大山あたりは、旧部落と米軍住宅地だったエリア、そして米軍基地開放によって新たに開発されたエリアが、主要道路を隔てて並列的に並んでいる。時代が重なり合っている住宅地は歩いて大変楽しい。

旧パイプラインあたりの住宅地を歩いているうちに、はたと気が付いた。一度はその場で口に出してみたかった。「おっ、海岸段丘か」。気分はすっかり「ブラタモリ」である。

米軍の普天間基地は琉球石灰岩の台地にあるのだけど、その西側が浸食されてできた海岸段丘に、真志喜、大山あたりの集落は段々状に広がっている。ところどころの小さな断崖には豊富な湧き水がある。琉球石灰岩×断崖=湧き水なのである。試験に出ないが沖縄のまち歩きでは必要な知識です。

こんなふうにほろほろ歩いていると、その地形のありさまが体感できる。もともと斜面に広がる集落フェチなので、この一帯は僕の好みだったんだと再発見した。



大山の田園風景・ターンム畑の風景を眺めたあと、無事、真志喜の友人宅に到着。お土産として、今日散歩した風景の写真と動画を見せる。

「松原」「中道」「A&W幹」「寿」「田園」。

電柱だけみると、また違った旅をしてきたみたいだなぁ。


 

<新城和博さんのコラム>
vol.34 かつてここにはロマンがあった
vol.33 夏の終わりのウッパマ
vol.32 ちょっとシュールでファニーな神さま
vol.31 セミシャワーと太陽の烽火
vol.30 甘く香る御嶽かいわい
vol.29 松の浦断崖と田園段丘の旅
vol.28 一日だけの本屋さん
vol.27 春の呑み歩き
vol.26 そこに市場がある限り
vol.25 すいスイーツ
vol.24 妙に見晴らしのよい場所から見えること
vol.23 帯状疱疹ブルース
vol.22 隣の空き地は青かった
vol.21 戦前の首里の青春を偲ぶ
vol.20 君は与那原大綱曳をひいたか?
vol.19 蝉の一生、人の一日


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新城和博さんのコラム[カテゴリー:まち歩き 沖縄の現在・過去・未来]
ごく私的な歳時記 vol.29

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ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。

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