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新城和博

2016年9月22日更新

戦前の首里の青春を偲ぶ|新城和博のコラム

ごく私的な歳時記 Vol.21
首里に引っ越して20年。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、この20年も振り返りながら、季節の出来事や県産本の話題をつづります。

那覇市首里のまち|新城和博さんのコラム

 

戦前の首里の青春を偲ぶ|「一中一条会」記念誌

 

 

お盆が過ぎ旧暦の八月十五夜になって、ようやく今年最初の台風が沖縄に近づいてきたらと思ったら、立て続けにやって来そうな気配。心のどこかで少し「待ちかんてぃ」していた台風だけど、実際やってきたらやはり、やっかいなことではある。台風が来る前に今年の夏の思い出を振り返っておこう。

今年のお盆の話である。実家のトートーメーの前で、来るか来ないかわからない親戚を待っていた。ふと本棚にあった『友、一中一条会』という記念誌を手にして読み始めたら、あまりの面白さにあやうくウークイを忘れるところであった(というくらい熱中したという話)。
 

「一中一条会」記念誌|新城和博さんのコラム


離島出身で那覇に出てきた父親は僕が大学の時に亡くなった。戦前は沖縄県立第一中学校、いわゆる「一中」、戦後、首里高校につながる学校に通っていた。当時は13歳で入学し5年間通うはずだったが、2年生にあがって戦局は緊張を増し、授業のほとんどは軍事作業となり、軍事訓練としてモールス信号などの技術を学ばされた。そして1944年10月10日の米軍の大空襲、翌年3月、沖縄戦直前に「通信兵」として日本軍に現地徴用されて……という、幼くして沖縄戦の最前線に巻き込まれた学生たちであった。このすぐ上の先輩となると、大田昌秀・元沖縄県知事のように少年兵として学徒動員された「鉄血勤皇隊」である。

僕の父親は離島出身だったので、通信兵とはならずに島に帰されていた。戦後、教育制度も変わり、父は糸満高校に入り直した。アメリカ世らしく「糸満ハイスクール」などと呼ばれたらしい。そんな父親からは、島での集団自決の話も、ましてや一中時代の話もほとんど聞いたことはなかった。

お盆は自分の祖先たちを迎えて偲ぶ行事だが、自分の父親の事すらもよく分からないとはいかがなものか。そう思って読み始めた『友、一中一条会』である。沖縄戦から42年たってまとめられた一中60期生たちの手記だ。戦争前、戦争中、戦後と過ごした日々と亡き友たちへの思いがつづられていた。


「一中一条会」記念誌|新城和博さんのコラム


僕がびっくりしたのが、戦争前、首里での学生たちのいきいきとした様子である。彼らの中で一番人気だった食べものは、校内売店で売られていたポテトフライだった。すれ違う女学生のお姉さんたちに値踏みされたり、セーラー服姿をスーミー(のぞき見)して喜んだり、勉学のあと近くの川で行水したり、名物先生たちにあだ名をつけたり(カンパー、ヘンリー、腕力、リトルー、クルー、コーイ少佐、チョッチョナーとか)、肝試し大会で宿舎から御茶屋御殿を通り、弁が岳へというコースを往復したり、那覇におりて、映画をこっそりヌギバイ(こっそりただ見)したり……。要するに彼らは戦争さえなければ、まぶしいくらいの青春を送ったはず。そしてその一人に僕の父もいたはずなのだ。この記念誌が作られたとき、既に父は他界していたので、彼が一中時代、何を考えどう過ごしていたかはわからない。

今、僕は首里に住んでいる。弁が岳のすぐそばだ。そしてそこは戦争が始まるまでは学生たちが肝試しをするような場所で、沖縄戦では日本軍の通信施設があったため大激戦地となり、父と同級の通信隊の子どもたち(14、15歳なのだ)のほとんどが戦死した場所なのである。

お盆の日から数日間、ずっとこの記念誌を読み続け、一人だけ面識のある方を見つけた。一度、20年ほど前、新聞の対談でお会いしたY教授である。あの時、父と一中で同級生だとわかっていれば、もっと聞きたいことがあったのだが……。Y教授も数年前に亡くなられている。全てはもう手の届かぬところにあるかもしれない。でもまだこんなふうに、ごく身近に残された記憶、記録たちが眠っていることもある。この一冊と出合って、僕の首里での散歩はまた違った意味合いを持つことになった。

皆さんも実家に、親の世代、祖父・祖母の世代の記念誌があるのなら、少しだけページをめくってみると、思わぬ出会いがあるかもしれない。



 

<新城和博さんのコラム>
vol.34 かつてここにはロマンがあった
vol.33 夏の終わりのウッパマ
vol.32 ちょっとシュールでファニーな神さま
vol.31 セミシャワーと太陽の烽火
vol.30 甘く香る御嶽かいわい
vol.29 松の浦断崖と田園段丘の旅
vol.28 一日だけの本屋さん
vol.27 春の呑み歩き
vol.26 そこに市場がある限り
vol.25 すいスイーツ
vol.24 妙に見晴らしのよい場所から見えること
vol.23 帯状疱疹ブルース
vol.22 隣の空き地は青かった
vol.21 戦前の首里の青春を偲ぶ
vol.20 君は与那原大綱曳をひいたか?
vol.19 蝉の一生、人の一日


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ごく私的な歳時記 vol.21

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ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。

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