あれから2年、そして50年|新城和博さんのコラム|fun okinawa~ほーむぷらざ~

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新城和博

2022年4月20日更新

あれから2年、そして50年|新城和博さんのコラム

ごく私的な歳時記Vol.94|首里に引っ越して20年。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、この20年も振り返りながら、季節の出来事や県産本の話題をつづります。

2020年2月、未知の存在であった新型コロナウイルスの影響を考慮して、ぼくたち夫婦は泣く泣く予定していた台湾旅行を直前でキャンセルした。以来、ぼくは沖縄から離れることなく、島内旅行も島外出張もなく過ごしてきた。多くの方は、コロナの波にも慣れてきたのか、普通に観光客として、仕事として、ぼちぼち国内のあちこちに出かけているようだが、ぼくはじっとしていた。しかし「復帰50年」を迎えた2022年4月、のっぴきならない件で東京に行くことになった。『ぼくの沖縄〈復帰後〉史プラス』という本を書いたために、仕事といえば仕事、責任があるといえば責任があるような「復帰」についてのあれこれをしゃべらなければならなくなったのだ。でもこれって不要不急かもしれないなと思いつつ……。






那覇空港の出発ゲートをくぐると、中は以前と変わらない気がしたが、2年以上、飛行機にも乗ってなかったので、久しぶりの機内は少し様子が違う。ぼくはすっかり「お上りさん」になっていた。いつから国内線の普通席もタッチパネルになったのか。キャビンアテンダントの業務用ビニール手袋と目を保護するグラス姿も様になっている。観光客という感じでもないが、機内はほぼ満員。コロナ対策はしているとはいえこのご時世、ぼくは息を潜めてじっとしていた。2年間がまんして、ワクチン3回も打ったのに、これで感染とかしたら残念ではないか。

東京の街はあいかわらずの人波なのだが、全体的にすこし静かな気がした。マスク越しの会話は皆さん抑え気味なのだろうか。電車でもぼくは息を潜めていた。まあ呼吸を止めることはできないから、気持ちの問題ではあるが。

ここだけはすっかりもと通りの人混みのスクランブル交差点をそそくさと渡り、渋谷のホテルにチェックインしたあと、せっかくだからと2時間ほど、周辺を道ゆらりした。散歩である。



人気のない通りというのはどこにでもあるもので、一見にぎやかな通りも一つ道をずらせば、おやって思うような静けさがある。渋谷の特徴である坂道から降りてみつけたこの遊歩道はどこかでみたことがあるぞとたどってみたら「宇田川」の文字発見。以前「ブラタモリ」に登場した川跡だ。得した気分になる。なんだか気になるカフェが多いが、ぐっとがまんする。このあたりの商店街は近年「奥渋」、つまり渋谷の奥の通りということで、そのレトロでこじゃれたたたずまいが人気とか。2年前だったら飲み屋、レコード店、本屋をはしごしただろう。でもぼくは息を潜めてただ歩いていた。




新型コロナが収まらず、ロシアのウクライナ侵攻が続いているというなか、東京で「復帰」について何を語ればいいのだろうかと悩みながら、ぼくはてくてく奥渋かいわいを歩いているわけだが、あれから2年、いや復帰から50年たったなんて、ほんと悪い冗談のような気がしてしまうのであった。

新城和博

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ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。

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