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新城和博

2024年9月24日更新

#那覇市民会館の思い出|新城和博さんのコラム

ごく私的な歳時記Vol.120|首里に引っ越して20年。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、これまでの概ね30年を振り返りながら、季節の出来事や県産本の話題をつづります。

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あんなに暑かった日々も台風がやってきて、どこかに連れて行ったような、柔らかい風が吹いてくる。秋の月夜の祭りはどこか幻想的で、テレビから流れてくる映像でさえ、すこしだけ時を止めるような気がする。

このままほんとうの秋風が吹いてほしいのだけど、どうなることやら。季節を表す言葉の書き換えが必要になるかもしれない、ここ数年の気候変動と、自分の残りの人生の期間を重ねてみる。旧暦と新暦が溶け込んで新たな暦が誕生したらおもしろいかもしれない。

 

ずっと閉鎖されたままだった那覇市民会館、今年の11月から解体工事が始まるという新聞記事が目に入ってきた。那覇市議会の議員の質問の当局の返答だ。

そっけないなー、と思う。

復帰前の1970年に出来て、さまざまな催し物で長いこと那覇市民、沖縄県民が世話になった象徴的な建物であり、歴史的な建造物といってもいいはずなのに、「さよなら、那覇市民会館」「ありがとう、那覇市民会館」のセレモニーをするわけでもないのだ。老朽化で現在の耐震基準の問題など、もろもろ理由はあったらしいが、那覇市や沖縄県は、戦後の特にアメリカ世時代の建築物に対して歴史的な価値を見いだすことなく、どんどんランドマーク的な建物を取り壊してきた。

そのニュースを知った日、ふと思いついてツイッター(現X)に、こんなことをあびあびーしてみた。



那覇市民会館がいよいよ取り壊しだそう。市はとくに「ありがとう那覇市民会館」とかやらない感じなので、那覇市民、沖縄県民、その他、思い出のある方、どんな舞台、ライブ、発表会、出演した! など、#那覇市民会館の思い出 でつぶやいていただけたらうれしい!

 

みんなどんな思い出があるのだろうと興味津々でいたら、ぞくぞくと那覇市民会館で見た、聞いた、出会ったさまざまな舞台、催し物の体験があがってきた。詳しくは「#那覇市民会館の思い出」で検索して読んでほしい。

沖縄復帰の式典を行ったことは有名だけど、学校の合唱コンクールの舞台だったり、初めて観たライブだったり、初めて演奏したところだったり、政治集会、オタクのフリマだったり、ダンスパーティ会場だったり、政治集会だったり、確定申告会場、クラシックバレエ、オーケストラ、沖縄芝居に、成人式と、とにかくこれって那覇の、沖縄の復帰後生活史そのものじゃないか。懐かしいーとも思うし知らなかったーとも思う。

世代的には、80年代から90年代にかけてのバンドブームで、当時人気絶頂のバンドがたくさん公演していたことが印象的。ブルーハーツ、ザ・ブーム、リンドバーク、佐野元春、ユーミン、まあ挙げれば切りが無いし、ジュリーからドリフターズまで、ゴルバチョフからイ・ビョンホンまで、ほんとうに切りがないのであった。



コロナ禍では封鎖されていた那覇市民会館の駐車場を使ってPCR検査場にもなっていた。このままではそれが一番最後の記憶になってしまうのはあじけないないなぁと、次々投稿されている「#那覇市民会館の思い出」を見ながら、物思いにふける秋なのであった。

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ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。

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